2016 MALNAD ULTRA 110Km 

ARRIVAL

 

 

 

 

バンガロールには、32年前にも訪れたことがあった。

 

テニスの大会出場の為だ。

 

当たり前だが、その頃の面影は全く残っていなかった。

 

 

私は、インドでは最もメジャーなスポーツとして知られるクリケット、そのスタジアムに隣接されるクラブハウスの部屋に宿泊した。

 

現在はグランドが改装中ということで、ビップラウンジに入れてもらうなど、自由に歩き回ることができた。

 

 

第一回、MALNAD 110kmウルトラトレイルに参加するために、南インドのバンガロールにやって来た。

 

外国人は私だけ。

 

殆どがバンガロール付近のランナー達だ。

 

私は北インドのラダックで行われるLA ULTRA THE HIGH 222kmを完走したことがある。

 

何と、今年の8月にも、走らなかったが行っていた。

 

それだけ大好きな所だ。

 

 

ある日、レースのスタッフに誘われて、ラダックを観光した時のことだった。

 

インドならではの時間のルーズさを超え、インド人達でさえも申し訳ないと思うほどの遅れで、待ち合わせの場所に彼らはやってきた。

 

私は炎天下の下で、延々2時間以上も彼らが乗るマイクロバスがやって来るのを待たされていた。

 

私は怒らなかった。

 

彼らは、私の反応を確認するように謝ってくれ、一言も返さず、笑顔で応対した。

 

一言も文句を言わなかった私を、「心の広い武士」だと彼らは思ったそうだ。

 

私は文句を言いたかったが、文句を言ってしまうと気まずくなるし、許してしまったほうがこの先楽しめると思っただけなのだ。

 

そして、何をかくそう、上手に英語を使えない。

 

その時、バスに同乗していたアナンドが、今回初めてディレクターとして110kmのレースをすることになった。

 

「是非、良一にも走って欲しい」

 

私は、走らせてもらうことにした。

 

 

 

 

FACE

 

 

 

約束していた時間を大分送れてやってきた案内役の女学生ランナーに付き添われ、バンガロール駅へとタクシーで向かう。

 

セキュリティーチェックをし、歩く事15分余り、やっと自分達が乗る車両を見つけた。

 

巨大な駅に、やたら長い列車だった。

 

席は予約されており、乗った車両はランナー達で一杯だった。

 

その中に、ギリシァのスパルタスロン246.7Kmを、インド人としては初めて完走したキリアンが乗っていた。

 

彼は昨日、そのギリシァから帰国したばかりだった。

 

彼の功績は新聞にも大きく取り上げられており、正にヒーローとなっていた。

 

 

Birur駅まで列車で2時間で着くはずが3時間で到着する。

 

駅からは、ランニングツァーバスに乗って2時間余り、インド最大のコーヒー農園である「Coffee Day」の敷地内にあるリゾートホテルへとやってきた。

 

農園の総面積4000エカー、東京ドーム350個分、見当の付かない広さだ。

 

カスタネットを叩いたような声で鳴く蛙たち、木々を渡り歩く猿、森の奥で鳴く鹿や孔雀たちがDark Forestといわれる森の住人だった。

 

カレーを右手を使って食べながら、焚き火を囲み、ウエルカムパーティーが行われ、ヒンディーの神様にお祈りをした。

 

 

私は人気者だった。

 

唯一の外国人だったから、だけではない。

 

スパルタを、インド人として始めて完走を果たしたのは、このレースのランマネージャーとして働くのはキリアンだ。

 

初めて彼に会ったのは、レースのレースディレクターのアナンドと同じくラダックでのレースの時だった。

 

 

2013年、私はラダックで行われたLA ULTRA THE HIGH 222kmを完走していた。

 

その時、走り出したばかりのキリアンがスタッフとしてきていた。

 

翌年2014年、リタイアしたが私は333Kmの部に挑戦していた。

 

その本レースの前イベントとして28kmのトレイル大会が行われた。

 

キリアンも私も参加した。

 

私は2時間45分で優勝し、彼は3位だった。

 

私は完走後に、選手達を出迎えるために元来た道を戻り、独りで応援していた。

 

そこへやって来たキリアンが加わり、二人で高い岩の上に登り、選手達が現れるのを待っていたのだ。

 

彼は、その岩の上で、私からスパルタのことを知ることになる。

 

 

昨年2015年、既にスパルタの虜になっていたキリアンは、やはりスパルタを複数回完走しているイギリス人のマークが、きちんと英語で説明をしてくれた。

 

その後、参加資格を掴み、見事、今年スパルタ完走を果たしたのだ。

 

ランナー達に囲まれるキリアンは、私が8回もスパルタを完走していたことを話してしまうと、今度は私がインド人ランナー達に囲まれてしまう番となってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

BEGIN

 

 

 

誰もが私が優勝するものだと思っていたようだった。

 

しかし、私の栄光は過去のもの。

 

今では「酒も、運動も危険だから避けるように」と医者から言われている。

 

度々起こってしまう、命の危険性が高い不整脈が私にはある。

 

体内には、私の命を守る(ICD)という器械が埋め込まれていた。

 

だから無理が出来ない。

 

アナンドもキリアンもそれを知っている。

 

妻の千夏からは「決して強行はしないように」と言われていた。

 

大会には迷惑を掛ける訳にはいかないのだ。

 

 

COFFEE DAY農園内に張り巡らされる作業道を、110km辿るレースが始まった。

 

朝6時、雨季の終わりを告げる朝焼けの中を、200人のランナーが一斉に走り出した。

 

私は早々に苦戦する。

 

走り出して直ぐに不整脈を感じてしまったのだ。

 

不安がペースと希望を奪っていく。

 

やがて不整脈が治まり、ペースを上げてみる。

 

一度だけ、先頭に出てしまった。

 

怪しい心臓の動き。

 

ペースを落とせば、今日は走れそうな気がした。

 

先頭を直ぐに譲った。

 

度々、ランナー達から記念写真をせがまれる。

 

まともに走れない、こんな調子だと優勝は無理だという大きな言い訳が勝手に膨らみ、そして皆に伝わった。

 

南インドの西ガーツ山脈の東に広がるデカン高原にある森である。

 

ダークフォレストといわれる深い森の中を走る。

 

森の下では、コーヒーの木々で埋め尽くされ、青い実を付けていた。

 

農園内には作業人達が暮らす村が点在し、どの村でも村人は正装して応援をしてくれた。

 

感動した。

 

道はジープがどうにか走れるほどの傾斜と滑るデカンの赤い土だった。

 

簡単なコースではなかった。

 

前半から予定の一時間遅れで粘っていた。

 

コース半ばの45km地点の頂からは、黒く拡がる森が眼下にあり、遠くの湿地帯が夕日に輝やこうとしていた。

 

やがて暗くなる。

 

私はライトは必要ないであろう、と思っていた。

 

でもアナンドから、60kmか80kmのポイントにライトを預けた方がいいと言われていた。

 

「そんなもの必要ない」、とは言わず、80km地点にライトを預けていた。

 

そして60km、既に外は暗い。

 

スマホの明かりで細々歩み続けた。

 

腰痛で体が傾いているのを感じる。

 

視界は狭かった。

 

そして谷底へと足元を外した。

 

間一髪、本当に危なかった。

 

動悸が続いてしまった。

 

80kmに到着。

 

制限時間までの残り30kmを11時間も残されていた。

 

その時は午後の7時、殆どのランナーは遥かに後ろにいるはずだ。

 

どうやら先頭が今ゴールしたようだ。

 

明るい内にゴールしたランナーなんて一人もいなかったのだ。

 

 

不整脈ではなかったが、私はリタイアを告げた。

 

ゴールに着くと、キリアンとアナンドが待っていた。

 

「クオリティーの高い、素晴らしい大会だったよ」

 

距離表示が2km置きに、補給所も約2〜3kmの間にあった。

 

「すばらしい」

 

実際、そう思って絶賛した。

 

 

 

 

 

AFTER

 

 

10月9日

 

レースも終わり、スタッフと共にロッジで仮眠する。

 

レースの看板など回収しながら、村々を巡り御礼をする。

 

そしてCoffee Day オーナーのゲストハウスで一晩お世話になる。

 

嬉しそうに、キリアンが私に大切そうにスパルタの完走メダル、完走証、ゼッケンをわざわざ持ってきてくれて見せてくれた。

 

無事にレースが終わり、改めてスタッフたちにスパルタでの話を始めるキリアンだった。

 

庭先に蝶が舞い、猿やキツネザルが枝から枝へと遊び、孔雀や鹿が遊びに来る。鳥の鳴き声はいったい何種類聴いたことだろう。

 

 

10月10日

 

帰りに遺跡や聖地をアナンドに連れて行ってもらう。

 

10エーカー(100m×400m)の敷地に建つアナンドの屋敷に泊めてもらった。

 

 

10月11日

 

帰国日。

 

南インドではダサインという祈りの祭りの真っ最中だった。

 

色とりどりに飾り付けをされた車が街を走り回っていた。

 

 

ラダックのスタッフもしてくれていたシャムさんが高級日本レストランに連れて行ってくれた。

 

日本を発ってから、唯一カレー以外に口にする食べ物だったが、この時も寿司だったので、結局全ての食事が右手を使って食べるものとなった。

 

 

 

 

南インドの知らなかった優しさを知ることができ、完走できなかったが、素晴らしいウルトラマラソン大会に出会え、呼んでいただき感謝の気持ちで一杯だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

みんな、ありがとう

 

ナマシカール

 

 


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    動画 YouTube     (2013 LA ULTRA THE HIGH 222km at RYOICHI SATO)            2013年、8月3日

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