アンナプルナ一周



 年末年始にネパールのアンナプルナ100キロトレイルにエントリーしている。
折角だから、走り終わったらアンナプルナ内院のベースキャンプへ足を運ぼうと思う。
実は、ネパールは4度目、その中の一つ、25年前の日記が出てきた。

 

 出際の悪いはずの入国審査、今回はすんなり出れた。
1986年 2月 15日 10時 カトマンズ 快晴 18℃ 
懐かしいネパール、ホッとする。
知り合いのシェルパ、タパさんの家に向かう。
タパさんの奥さんは日本人である。その久美子さんが息子ジョージくん2歳を連れて、わざわざ空港まで迎えに来てくれていた。
相変わらずのガタガタ路、相変わらずの賑わい、相変わらずの野良牛、鶏や人が車の目の前を横切っていく。路上の床屋さんとさりげなく目が交差した。いよいよヒマラヤトレッキングが始まろうとしていた。距離300キロ、トロンパス5416Mの峠を越えるのだ。



16日 7時 カラスがガーガー鳴く声に起こされた。霧の立ち込める朝、聞き覚えの無い小鳥の囀りも聞えていた。牛追いの歌声、カトマンズの朝なんだ。
 自転車を借りて、ボードナートテンプルの猿達に挨拶をしてから、以前に来たときに美味かったタメル地区のツォナゴンで昼飯だ。モモは水餃子、チョウメンは焼きそば、チャーハン、チァンは焼酎、締めて30ネパールルピー、約200円だ。ネパールでは、一ヶ月1万円で暮らせるそうだ。夜にはタパさんと居酒屋の梯子、山の色々な話を伺った。 



17日 6時 雨が降り出しそうだ。
ポカラに向かう急行バスに乗り込んだ。今回世話になるパックリンくん27歳のシェルパも一緒だ、日本語も少し話せて、タパさんの弟子で、1日500ルピーで雇ったのだ。
 バスは押し合いのギュウギュウ詰め、やたらにバンバン車をたたく、止まる時や走り出す時に叩くらしい。それに負けずと凄いエンジンの音でギンギンにやかましい。運転が乱暴なうえ、谷が深く地形がやばい、「命を大切にしなさい」と叫びたいところだが、身近に神様が居るのか信じてるのか郷に従えだ。



 12時 ドゥムレ村 40℃ タルカリ15ルピー「定食だ、ライス 野菜カレー 豆スープ チャツネ」を残さず食べた。するとおかわりがよそられた。気前がいいな・・・。頑張る。完食。日本人は凄いだろぅ、残さず綺麗に食べるんだぞ・・・エッヘン。 えっ まさか・・・   残すのが常識だそうだ。3度目を苦しんで食べていたらパックリンが教えてくれた。余りは家畜の餌にするんだって・・・。
 ここからジープで奥まで入る。小さなジープは既に満杯、どころではなく20人、屋根や横にもしがみ付いている有様、それでも乗せようとしている・・・。僕は右のボンネットにしがみ付いた。振り落とされないように激し過ぎる揺れに必死に耐えた。満腹の腹がグルグル暴れているが、体中を力ませていたから吐かずに済んでいた。
 ところがエンジンの音が怪しい・・・。かなり急な下り坂でした。あれ、止まりました。重量オーバー、もはやブレーキは利いていません。どおなるのかな・・・。「神様・・・エイッ」飛び降りました。怪我をしたところは自身でアンモニア消毒しました。「ゴトン ゴトン ドカン」振り返るとジープが横転してました。「ギャー ワー ギャー」怪我人続出、「プシュー」水蒸気を噴出しました。運転手が修理を始めました。当たり前なのか皆は血を流しながら見守ってます。「動かないのでは・・・」付き合ってられません、僕らは歩き出しました。「ネパール・・・」不思議な国だ。
 ボーテコーラ村 プルナホテル 5時着 可愛い子供達、カメラのレンズを向けるとハ二カミながらもポーズをとってくれた。



 18日 6時40分 マナスルが朝焼けしていた。
ベットに南京虫がいたらしく、手足と腹周りにおびただしい数の刺された痕があった。チャイを片手にホテルのテラスから外を眺めていた。「手ごわいぞネパール」だからどしたのと牛が鶏がアヒルが鳴いた。
 ネパールのラーメン  raraを食べて、青空オープントイレをすまして7時30分に発った。ベシサハールのバティ、食堂で卵チャーハンとビールで30ルピーの昼を済ましていたら、「パーパー プープー バンバン」ラッパを吹いたり、鉄砲を撃ったりのパレードが近づいてきた。選挙活動らしい。
 広場では、運動会が行われていた。バレーボール 綱引き みんなニコニコしていた。突然の雨でギャーギャーワーワー大変な騒ぎになってしまい帰ってしまった。ラッパの音だけが谷間に残っていた。
 ブルブレ アラジュンホテルにはドイツ人 スウェーデン人カップルがいた。みんなトロンパスに向かうみたいだ。



 19日 長い長い登りの先にバウンドラ村があった。チェックポストがあり、正しくルートを歩いているか審査しなければならない。
 つり橋では、30頭に及ぶロバのキャラバンに路を譲ったりした。深い深い渓谷に風と川の音に混じりガランゴロンとベルの音が鳴り響いていた。
 狭い谷間のジァガット村 ヒマルロッジに着いた。インナーヒマラヤに入り、チベット式の住居に変わってきた。




 20日 更に高度を上げる。
狭い谷間から突然広い川原に出た。ジァル村だ。子供達が青空教室で元気よくアルファベットを響かせていた。その声と風と滝の音しか聞えない。先生はというと、静かにトランプで博打をしていた。
 ダラパニ村 ビッシュヌホテル ここにもチェックポストがあった。満天の星空にマナスルの白い頂が映えていた。



 21日 朝日を背に高度を上げる。
大きなマニ車を右手で回しながら村々を尋ねた。
 チャーメ村には温泉があり、川原の湯に浸かった。アンナプルナ靴見えている、いよいよだ。汚れたシャツを川に着けたら黒い物が布着していた。川蛭だった。
 雨が降り出し、夜半に雪に変わった。トロンパスは越えられるか気がかりな降り方だった。
 カマルロッジ泊




 22日 銀世界を歩み続けた。
「オン マニ ぺメ フン」数珠を手にしながらお祈りするチベット系が増えてきた、グルカ族である。大きな身体で勇敢な民族で有名である。
 松林を抜けると目前にガンガプルナ7415Mが迫ってきた。ピサン村は白いお経の書かれた旗があちらこちらで棚引いていた。タルチョウである。
 村の老人と砂絵で会話しながらチァンを飲み続けた。蒸芋に岩塩を付けて食べた。小さいながら濃い味で食が進んだ。飲み過ぎ食べすぎのせいだろうか頻繁にトイレに行く。やがて出てくる物が液体だけになる。激しい腹痛、そして白濁したものが・・・   コレラだ。
 外で頻繁に訪れる現象に耐えながら「俺、無事に日本に帰れるのかなぁ」とつぶやきながら冷たく輝く星空を眺めていた。アンナプルナホテル泊




 23日 食べても直ぐにトイレに直行だったが、頑張って食べ続けた。少しでも身になって欲しかった。シェルパのパックリンに先に行ってもらい、ふらふらしながらもやっとマナン村に辿りついた。
 ヒマラヤの懐に抱かれた森に池や川、熱にうなされながらのこの景色は正に天国の如きであった。マルシァンディ川の向こうに氷河が横たわり、その先にはガンガプルナ7454Mをはじめ、景7555M、己7525M、曲7939Mの神々の領域が見渡せた。
 ヒウンチュリホテルには日本人男性が一人滞在していた。お互いに久しぶりの日本人だった。Kさん25歳、この村の娘に惚れて10日間もマナンに居ると言う。ビザはもう切れるらしい、でも離れるつもりは無いらしい、僕のコレラより重い病気なのかもしれない・・・。




 24日 何処までも深く濃く済んだ青空だった。4000Mは既に越えていた。
Kさんとはなぜか涙のお別れでした。やたらと息が切れました。
 深い雪の中をゆっくりだが高度を上げていった。幸い風もなく静かに、そして黙々と登れていた。少し前に4人のトレッカーがラッセルをしてくれていたおかげでもある。僕は最後尾、シェルパに半分荷物を預けてのだらしのなさである。これで着いて行くのが精一杯だった。チュリリッター4200Mのバティでは石の様な硬いパンをやっと一つミルクティと共に胃に中に入れることが精一杯だった。シェルパのパックリン以外は可なり辛そうだった。一歩一歩が本当に辛くなる。皆で倒れこむようにしてトロンフェディにたどり着いた。4450M、酸素が平地の半分である。「ハァー ハァー ハァー ハァー・・・・」

    


 25日 快晴 7時 −10℃ 寝れたのか解らないが、悪い夢を見続けていた。山に漂う白い幽霊達が纏わり着く夢だった。
ここまで高度順応をせずにのぼって来たせいで高山病に苦しむことになった。4人組はマナンで順応させたらしが、先頭ラッセルを代わる代わるこなした。「1歩 2歩 3歩 4歩 ハァー ハァー ハァー・・・」1M進むのに1分を要した。頭が痛い、いや勝ち割れそうな痛みだ。脚がもつれて雪の中に倒れる、平行感覚がないのだ。
数字が思い出せない「3の次は何だっけ・・・」
「あ れっ 俺はこれから何をするんだったっけ・・・」
「あーっ 息が苦しい」「頭が・・・。」
「どうしてしまったんだぁーワカンネ・・・」
「そうだー 登るんだ」
「この忌々しい腰まである雪を掻き分けてトロンパスを越えて、向こう側におりるんだった。」
1 2 3 4 ・・・・・・・・・・・・・・・・。
 遠くから犬の吠える声がした。「人が住んでいる証だ」12時間後、峠を越えて聖地ムクチナート村のノースポールロッジに着いた。峠の記憶はほとんど無かった。水の音、子供の声、マニ車を鳴らす音が嬉しかった。足の裏が豆だらけだった。どれだけ酷い歩き方をしたのだろうか・・・。
 4人組は実はそれぞれ単独でトロンパスを越えに来たのだが、中々越えられず、たまたま集った4人に僕らが加わったのだ。中には5回目で越えた人も居た。僕はラッキーだった。



 26日 快晴 遠くにダウラギリ8167Mが朝日を受けていた。
4人組は残るみたいだ。僕等は次のジョモソンで延泊する予定だ。
 峠を越えてからは、高山病の症状もすっかり無くなった。
雪の無い不毛地帯が拡がり、チベットに近づいたんだなと実感した。
カクベニ村は城壁に囲まれていた。男は身体が大きく快活に見える。女性もやはり身体が大きく綺麗な顔立ちをしていた。
 ここから北に行くとムスタン王国がある。国王の身体は高見山サイズらしのだ。その身体で挨拶の仕方が頭を下げて「アカンベー」をするらしく、敵意が無い事を意味してるのだとか、何時か行って見てみたい。
 カリガンダキ川はアンモナイトの化石がゴロゴロじている。昨夜のロッジのトイレに畳1畳分の大きさがあるでかいアンモナイトが置かれていた。チベットでは宇宙を表しているとされる。川原には沢山それらしき石があったが、重たいから小さいのを拾ってきた。
 ジョモソン ムーンライトロッジには、ティッシュ付きのトイレがあった。電気も来ていてホッとする。温かいムスタンワインで暖をとった。musutan win ・   egg fried rice ・    egg begetable chowmien ・    tomato soup  ・   potato chips  ・   big pot milk tea  ・   beer  ・52ルピー だいたい415円くらいだ。しっかり栄養を蓄えた。



27日 快晴 休養日 
午後に風が強まり、その中でもグルカ兵達は川原でロープ渡りをしてた。
ブルブレで会ったドイツ人がトロンパスを越えてやってきた。脚を引きずっていた。仲間が酷い凍傷と高山病で、今頃はヘリでポカラに運ばれたとの事、震撼させられた。




28日 曇り 
快調に飛ばした。雨が降りそうだからだ。昼前には宿泊予定のラルジュンに着いてしまい、ランチを済ませてカロパニまで足を伸ばす事にする。しかし、ラルジュンのおばさんが中々料理してくれない、雨が降るから今日はここに泊まれと言うのだ。やっと出てきたダルスペシャルのおかわりをして、外に出たとたんに雨、思い切って「これもトレッキング・・・」歩き出した。やがて本降りに、そして雹になった。
 カロパニは森の中だった。カロパニ ゲストハウスに逃げ込んだ。そこにドイツの彼がやってきた。余りの激しい降りに顔を見合わせてゲラゲラ笑い出した。そこに陽気なフランス人グループが加わり
楽しい宴が始まった。

ニルギリ7061m

3月1日 晴れ インナーヒマラヤを抜けるといきなり湿度が上がり、緑に覆われてきた。
ロッジの女将さんにりんごを頂、元気に出発する。小さな上り下りを繰り返しながら少しずつカリガンダキ川を下った。この路は川口慧海が1899年にチベットからインドに抜けた道であり、チベット岩塩の塩の道として昔から栄えた所でもある。昔は海底であった証がアンモナイトの化石である。
 街が点々としていて、人やロバの隊列の往来が激しい。ルクセ村でいきなりな雷雨、乾季から雨季に移ろうとしていた。
 タトパニ村のナマステロッジに着いた。バナナの木が生い茂り。まるでジァングルみたいな所だ。
 ここにも温泉があり、タトパニのタトは熱い、パニが水だから解りやすい地名だ。




2日 快晴 1100mからゴラパニ峠3000mまでの登りである。
真っ赤な石楠花、ネパールの国花ラリーグラスが満開だった。その木々の間をヒマラヤンモンキーがつたっていった。白い毛に覆われて、目の辺りが黒い大型の猿だ。
 長い登りを3時間、シーカ村1935mでダルスペシャルとソーダ2本、16ルピー
 更に3時間でゴラパニ村2750mだ。昨日と同じくして雷雨、標高を上げるにしたがって白い雪になってしまった。annapurna view lodge 明朝の景色が楽しみだ。ここは延泊する。




3日 快晴 プーンヒル3198mに登る。アンナプルナサウス7219m ダウラギリ8167mが朝日を受けて輝いていた。アンナプルナ8091mはサウスの左奥に見えていた。
 登る時の雪や霜はこの強烈な日差しにあっという間に解けてしまった。
 ロッジに帰ると遅いランチが用意されていた。宿の娘が僕の目の前に座り、なんだか食べずらかった。
 外で洗濯してると娘が髪の手入れをしながらジッと見ている。何だよ気があるのかよ・・・。ひと段落したら「はら へったか」と日本語でしゃべってきた。彼女の名はカンチプン16歳、なんだ日本語がしゃべりたかったんだと納得した。
 午後外でボーッとしていた。鶏の泣き声、子供のはしゃぐ声、ロバ隊のカウベルがガランゴロンと鳴り響き、誰が吹いてるのか笛の音、時々水牛がモーッと鳴いた。のどかなひと時である。
 笛の音が近づいてきた。太鼓の音も混じる、ポッコン ポッコン、それがネパールでひたしまれているリッサムピーリーリーであることがはっきりしてきた。その音はレストランからだった。カンチプンに促されその輪に加わった。それからが大変だった。ギンギン ドンチャカ ヤッホー アハハー、飲んで歌っての大騒ぎになってしまった。ジァパニーズソングを教えろと言われ、簡単なメダカの学校を身振り手振りでおしえてあげた。
 夕方になりいつもの雷雨、外では裸足で子供が走り回っている。そして雪に、子供の鼻の穴から地面に向かって二本のラインが延びている。「あっ 垂れるーっ」「シュルン」治まった。再び延び出すが吸い込んでしまう、まるでヨーヨーみたいだ。



4日 晴れ 
カンチプンちゃんに「愛してる ずっと此処に居ろ」の声を後にしポカラを目指した。暫く続く日当たりの良い尾根道には色とりどりの草花が咲き誇っていた。ヒマラヤン小桜 ゴラパニフウロ ネパりーブルーグラスなどと仮名を付けながらのんびり歩いた。アイスバーン化した急斜面ではギャーギャー騒ぎながら駆け下りていった。
 タラパニでランチタイム、沢山のトレッカーで賑わっていた。僕は水牛のチャーハンを注文した。午後には雲行きが怪しくなる。そして雹が賑やかな音を立てて降ってきた。外で食事をしていたトレッカー達が中に逃げ込んできた。慌ててナイフやスプーン チャイを溢しながらの撤退だった。
 石垣に土塀、瓦の屋根、ガンドルンは古い日本の街道街を偲ばせる村だ。その中のヒマルロッジが今日の宿である。



5日 曇り
雲の中、時々アンナプルナやマチァプチァレが顔を覗かしていた。沢山の小鳥達の歌声が嬉しかった。10時間はぐっすりねていた。あさのチャイが最高に美味かった。明日にはポカラだ。帰りたくなかった。今まで自分がどれだけ恵まれていたかを感じ、感謝した。
 昼にビレタンティに着いた。日本の知人に渡すように託されていた写真を、サンタロッジに届けた。写真の主人公の女将さんが出迎えてくれた。その写真を除きに人だかりが、そして撮影大会になってしまった。たくさん撮ったが、この写真は何年後に渡せることやら・・・・。
 宿の子供達とお絵かきや、ネパールの理解できないゲームをしてたらすっかり遅くなってしまい、タダで泊めてもらうことにした。女子供だけなので酒盛りはありませんでした。



6日 晴れ 蒸し暑い
今日は正装をしての撮影大会に始まった。
 宿の女将さんにトピー、ネパール人男性の帽子を頂く。かぶるとすっかり気分はネパーリー、しつこい客引きも戸惑っていた。
 ノーダラ村のマチャプチャレロッジに泊まった。宿の男が気持ち悪い、「イッショニ シャワルカ」「イヤヨン」「ヨシテチョーダイ」日本の女の子がふざけた日本語を教えたのか、こいつがお釜なのか知らないが、はやく抜け出したい・・・。さわるなボケ



 7日 ノーダラからポカラまでジープに乗った。散々に身体を揺すられた。
ポカラ グリーンホテル 100ルピー約800円 広い部屋にお湯のシャワーがちゃんとでた。高額なだけあった。雇ったシェルパのパックリンは次の仕事でカトマンズに帰ってしまった。一人で暫くベットで休んでいた。「コンコン」小さくドアをノックする音、母が子供を抱いていた。15歳くらいだろうか「200ルピー」部屋に入ってきた。娼婦だ「ハッシシ20ルピー」「ハッシシクッキー2ルピー」必死な訴えに見えた。確かめずにドアを開けてしまった俺が悪いのだ、クッキーを2枚買ってあげた。親子に笑顔で帰っていった。30円でこんなに喜んでくれるんだ・・・。
 24時間10ルピー、貸し自転車でウロウロしていた。コレラが完治したわけではなかった。トレッキングが終わった気の緩みか具合が悪かった。油汗をかいてチョウタラで休んでたら「日本人でしょ 俺の宿まで乗せてよ」日立のエンジニアだそうです。彼も具合が悪そうだった。ティーチャークリシュナ 1泊15ルピー 俺は連泊してるから1泊4ルピー 「エッ 5円!」 引っ越しました。6畳くらいの土間、トイレの穴があいてます。窓ガラスはありません。ロウソクと蚊取り線香が2組ありました。ベットでしようかゴザが1枚引いてありました。野犬が体当たりしてきたらひとたまりのなさそうな壁です。
 薬をミスター日立に頂、ぺワタール湖岸のレストランに向かいました。大麻でしょうか煙でかすんでました。「なんだか良い気分・・・・」そして不思議なたいけんをする事になる。「内緒です。」ポカラの夜が更けていきました。
 9日 カトマンズでは、パシュパティナート寺院のヒンドゥの丘から荼毘の煙を何時までも眺めていました。焼かれた死体が暴れて見えます。灰を川に掃き出します。「お牛様の所に行くんだなぁ・・・」
 13日 早朝 ハレー彗星が視えました。いよいよ帰国です。社会復帰出来るかなぁ 不安です。
 14日 夜の東京、地下鉄でした。向かいのサラリーマンが酔っ払って愚痴を溢してました。見渡すと、どの人の眼も死んで見えました。
 ネパールに今すぐに帰りたいと・・・。涙
 今度はいつあの綺麗な瞳にあえるのかな・・・・。
 manang3469m
 「ただいまー。」

 母「犬くさいから お風呂に直ぐ入りなさい」

 「・・・・・・。」普段はとてもやさしいです。



 そして、25年前のビレタンティの写真を持って・・・・


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    NHKおはよう日本に出演

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