第13回東海道五十三次ジャーニーラン 

   2003.12.28 日本橋ジョギング2004.1.3 三条大橋 537km
 東京・日本橋北詰・街道元標レプリカ前6時。これから京を目指す12人のランナーと、今日だけの野次馬ランナー5人奥野さん隆子さんなどと、更に海宝さんなど見送り数名がまだ薄暗い中ゴソゴソ四方から集まってきた。その顔ぶれは、スパルタやさくら道とは違うジャーニーラン、走り旅の専門家達である。初参加は僕と、3ヶ月前にスパルタの地を亀ちゃんと栄二と僕とでリルケアからサンガス山をワイワイガヤガヤ一緒に走った加納くんと、永島夫妻に堀口くん渡辺くん6人だった。



 いよいよスタートだ、走り出して直ぐに寒さと緊張でお腹がグルグルになってしまい、銀座の地下街に潜り込みトイレを探した。スッキリし、誰も居ない地下街から外へ出ると、やはり誰も居ない東海道、皆新橋に姿を消してしまい、寂しさで思わず帰りたくなったが、トボトボと一人で走り出す。カラスがゴミを漁っていた。
 品川で追いつく。八ッ山橋から旧道に入り、やっと東海道らしい町並みに安堵する。商店街のシャッターには浮世絵が描かれていた。
 鈴が森刑場遺跡の泪橋付近には今もはりつけ台石が残っていた。国道に出たり旧道に入ったり、国道1号を縫う様に旧東海道が続いていた。
 巨大なイチョウの古木が見えた。その蒲田の梅屋敷に立ち寄った。
 六郷大橋から川崎ビル街の向こうに富士山が見えた。「東海道には富士山だよなぁ。」繁華街の堀の内を抜け、新鶴見橋を渡り、駅東モールの中へ入る。国道を横切り、国道駅の先には鮮魚店が立ち並ぶ生麦魚河岸があり賑わっていた。
 生麦事件碑、浦島伝説の慶運寺、いちいち見学していたら今日のゴール小田原に着かないからレースモードに切り替える。それでもメモを取りながら走るベテラン菅原さんは、何度も走る東海道は完走が目的ではないみたいだ。僕も今回はきっちり完走し次回は東海道を味わいたいものだ。
 神奈川駅から横浜の北を通る。その先の天王町の師走の商店街の人ごみを怪しげなランナーが通り抜ける。保土ヶ谷から権太坂、本当の権太坂は富士を仰ぐかなり高台を通る住宅街にあった。その証に、相模と武蔵の国境を示す境木地蔵や品濃の一里塚が残っていた。
 品濃坂を下り国道へ出ると吉田橋がある。広重が戸塚の浮世絵を書いた所で、鎌倉道の分岐になっている。
 遊行寺のイチョウの巨木前を通過、しばし唖然とする。この当りは大山詣でや江の島詣でを結ぶ主要路であり、道標が多く見られた。
 茅ヶ崎の松並木、左富士の鳥居橋を渡り、平塚の繁華街を抜けて、国道を渡ると化粧坂に出た。陽も暮れ出し、暗く静かな旧道は遥か昔にタイムスリップさせてくれる。大磯の松並木を筆頭に二ノ宮と国府津にもぱらぱらと松並木が残っていた。
 相模湾の先に小田原の街明かりが見えた。やっと一日目が終わる。長かった、明日からが不安になった。 86.2K 12時間15分 2位

まだ暗い6時30分、小田原を発つ。昨夜は若いカップルに挟まれる形の部屋だった。煩くてまったく眠れなかった。それでも今日も一日走れるから不思議だ。皆の走力も分かり、3つのグループに分かれた。加納、北條さんと僕の3人が先頭チームだった。
 二日前に降った雪がたっぷり残る箱根路である。甘酒茶屋で暖を取っているといつの間にか全員が集まっていた。 居心地が良い、もっとゆっくりしたい。




 芦ノ湖湖畔の箱根の関所から箱根峠846Mへ、東海道で最も高い所である。余りのも強い風で体がよろける。 
 三島へ下る箱根西坂の笹林で野犬に阻まれた。昔はもっとあちらこちらに現れただろうが、たった一匹にびくびくしてしまった。
 三島大社で一人旅になる。街道沿いには魚の天日干しの光景がよく見かけられた。沼津に千本浜と言う所があるが、夏にトライアスロンが行われ参加したことがあった。6年前走ったコースに寄り道をする。その先が和歌で有名な田子の浦である。駿河湾と東海道本線に挟まれる様に走る。
 遠くに吉原工場地帯の棚引く煙がみえてきた。まったく街道の雰囲気が無い事に気づく、やはり旧道はもっと内陸に在るようだ、富士川の赤富士に間に合うか、1時間探してそれらしき面影のある道に出ることができた。夕暮れの富士山は日本一大きな大仏様でした。
 蒲原と由比にはいい町並みが残っていた。名産の桜海老の看板が僕を呼んでいる、店の人に佃煮とみかんを頂いてしまった。元気を頂いて東海道一の絶景、薩タ峠に向かう、蜜柑や枇杷の木に囲まれた、真っ暗な農道を喘ぎながら登り切ると、視界が拡がってくる。展望台から見られる東名高速、国道1号線、東海道本線に新幹線、海岸線と街明かりのコントラストが見事である。いつか富士山の見える昼間に走って来たいところである。下山路を間違えかなり遠回りして駿河健康ランドにゴール。79.7k 12時間35分 2位

 昨夜は4時間ほど熟睡できた。朝焼けの太平洋に天城山をはじめ伊豆半島の影がはっきり見えていた。今日はグルメの日である、加納くんと楽しむ事になった。先ずは江尻宿の追分羊羹、次に府中宿の安倍川もち、丸子宿の丁子屋とろろ汁、宇津の蕎麦と続く。更に茶畑や古道もあり見所も満載な一日、弥次さん喜多さんで楽しむのが一番だ。



 宇津ノ谷の集落は静かでおもむきのあるいい町並みが残っていた。その先の峠へは蔦の細道、今でも盗賊でも出て来そうな山道が旧東海道だった。峠を下り、小さな集落でお婆さんにみかんをいただく。
 藤枝宿の大慶寺にある久遠の松は見事に横へ伸びていた。藤枝には瀬戸の染飯「強飯をクチナシで染めたもので、疲労回復にいいとされているらしい。」島田宿には街道一の饅頭と称された清水屋の子饅頭がある。
 街道筋を抜けると「越すに越されぬ大井川」にぶつかる。橋の上から白銀の南アルプスが遠望できた。



 金谷、菊川と続く茶畑の石畳で足を捻り、アキレス腱を痛めてしまう。何故昔の人達はあんなに歩きにくい石畳にしたのだろうか、もっと古い西洋の石畳のほうが歩きやすいぞ。これからが不安になった。
 菊川の里に「小夜の中山」がある。昔、妊婦が山賊に殺され、お腹の赤子は助けられた。その母の霊を慰める為に久延寺には「夜泣き石」がある。助け出された赤子は飴で育てられたことから、扇屋の「子育て飴」が今でも売られている。
 掛川城は夕日を受けて美しかった。足を引きずり、東海道のヘソと言われる袋井宿に着いた。77.1k 11時間57分 3位

 31日、脚が腫れている。今日は67キロと短い。大きな峠もないから脚の負担はすくなさそうだ。しかしスタートして2時間後、天竜川の橋の上でポツリと空が泣き出した。



 シトシト雨の中、浜松で姫街道に迷い込んでしまい、15分のロスをしてしまう。この辺りには火伏せの神を祀る秋葉神社がやたらに多い。武田信玄によって焼かれた秋葉寺だったが、観音堂の棟の上から水が噴出したとされている。街道沿いの各宿場には秋葉山常夜灯が数多く残されていた。
 かつてのあばれ天竜川、今は歩道のない天竜川橋を渡る。大都会、浜松の駅前を逃げる様に進むと浜松湖が見えてきた。対岸の競艇場からモーターボートのエンジン音が響き渡り、歓声も聞こえてくる。この大群衆の声のうねりは戦国時代をを彷彿させる。
 名物のウナギは注文してから1時間かかるとのこと、残念ながらパスした。芭蕉句碑の前で北条さんを見つた。彼を見てると、まるで現代の松尾芭蕉の趣があった。潮見坂まで併走する。
 道中から仰ぐ遠州灘は冷たい雨の中に深く霞んでいた。今日は境川を3度渡った。文字通り市町村の境を流れる川だが、おそらく日本で最も多い名前かもしれないと思った。
 白須賀宿から二川宿には古き良き町並みが残っていた。雰囲気のいい軒下でしばし雨宿り、走り旅の想いにふけってみた。吉田宿着 67,2km 8時間07分 3位 

 9時までに全員がゴールし、近くの居酒屋で忘年会が行われた。アルコールが入り脚が腫れてきた。

 元旦、みんな顔が腫れぼったい。



 昨日のペースが少し早過ぎたのか、足首にダメージが残るスタートになった。
豊川に掛かる吉田大橋で初日の出を迎えた。今年は東海道が終わったら何をしようかなぁ・・。
 御油宿の松並木、藤川宿の松並木、知立宿の松並木などが数キロにわたり黒松が街道を覆っていた。そして一里塚や常夜灯も現代の旅人を見守っていた。国道から一歩入った旧道の緩やかなカーブや、旧家の屋根瓦など歴史を感じさせる発見が多く残されている。
 岡崎宿の二十七曲がりでキョロキョロしていたら方向感覚が無くなり抜け出すのに一苦労した。岡崎城を抜けると味噌蔵が立ち並ぶ八丁通りがあったり、宝蔵寺には近藤勇の首塚、有松の桶狭間の古戦場には御万の方の碑や芭蕉句碑など足止め見所満載だった。




 夕方に七里の渡し跡を通過、元旦の熱田神宮では人の海に飲まれながらヘロへロに、金山の佐屋路道標が今日のゴール。やっと見つけた。 74.4KM 11時間03分 3位 

 残り 158.8K 後二日、足首や左アキレス腱の痛みが本格的になり足の裏までブヨブヨ腫れている。昨夜は余りの痛みで寝ていなかった。



 七里の渡しは雨季に利用するもの、乾季は木曽川三川を渡る。木曽川の尾張大橋と、長良川の伊勢大橋を渡ると桑名の渡しに出る。だから  走らなければならない。                  
 悲しいくらい脚が痛くて下ばかり見ている。第二集団に着いて行くのがやっとだった。そのおかげで、石原さん、花井さん、渡辺くんなどとじっくり話をすることが出来た。
 四日市宿の笹井屋のなが餅をバクバク食べたら元気が出てきた。街道沿いの餅はこれまで随分食べてきたが、ここのなが餅が一番旨かった。元気が出たついでに家に二箱送った。
 元気な今のうちに先を急ぎ、伊勢参宮道を横目に京を目指す。
 鈴鹿川の上流を辿っているうちにすっかり暗くなってしまった。石薬師、庄野と寂しい人気の無い道を少しづつ高度を上げていくと、小さな城下町、今日のゴール、亀山宿に辿りついた。
 近くに食料の調達しに行くのが無理そうなので、バスルームで痛んだ御御足をずっとアイシングをしていた。75.7KM 11時間25分 5位 後1日 ショック

 1月3日 最終日、腫れた脚を摩った。
 昨夜2時に近くのコンビニへ行くと何故か皆が居た。皆同じなんだ。そして今、次の宿場の関宿までゾロゾロ歩いて来てしまったのだ。宿場町に朝日が降り注いできた。ここでは最後尾のグループと話すすことができ、その中でやっと永島さんとじっくり話をする事が出来た。僕は毎年夏になると千葉県の岩井海岸で遠泳の指導をしていた。お世話になる民宿さじむには指導員の他にも色々な人が泊まっている。丁度同じころ岩井にやって来る高校生ブラスバンド部の顧問が永島さんだった。お互いランナー同士、一緒に走りながらマラソン談義、一年間の報告が楽しみにしていたが、ここでまた合え るとは、人生は子の様なものなのか・・・。




 鈴鹿峠の登りで少しづつばらけてしまった。峠を少し越えると熊野を想わせるこんもりとした杉の森があり、威厳ある田村神社の参道では屋台が数件、いい匂いに誘われて焼餅と焼きそばを胃に収めた。
 土山宿には「かにが坂飴」が有名である。水田宿では獅子舞が練り歩いていた。石部宿では教科書で見覚えのある天井川を幾つも見ることができた。
 草津宿は商店街モールが旧道だった、大津からは地元京都のウルトラランナーが逆走しながら応援、差し入れをしてくれた。昔ながらの面影を残す旧道にはコンビニが無いから差し入れは助かった。
 琵琶湖を渡り、山科への登りで歩き出す。残り10K、緊張の糸が切れて、疲れと痛みに絶えられなくなってきた。暗い峠道、疲れもピーク、早く休みたかった。京都の夜景は清水山に隠されて見えていないがもうすぐのはずだ。
 大通りにでた。東山駅を通過する。残り800Mの表札を凝視した。そして三条大橋、東海道ジャーニーランの横断幕が僕のために張られていた。完走する事ができた・・・。
 今、野次馬の若者達に囲まれて、はるばる537Kを走り終えたのだ。83.1KM 13時間 3位




 明くる朝、三条大橋に参加者が集まりご挨拶をした。
 そして帰路に着く。
 新幹線で帰るのは味気ないからローカル線を乗り継いで帰ることにした。やっぱり遠いいや・・・。


 参加19人 部分参加6人 完走8人 80時間22分 3位

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    NHKおはよう日本に出演

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