Annapurna 100K RACE

 
    走るアンナプルナ

 27日の夜に香港 ダッカ経由でカトマンズにやってきた。
15年振り、5度目のネパール、相変わらず路はガタガタでゴミだらけ、水牛や犬がそのゴミ溜めの中に顔を突っ込んでゴミ漁りをしていた。標高1300M、寒さは東京と同じくらいだろうか。
 今大会のメインスポンサーでもあるサミットホテルは、カトマンズの隣街である古都パタンにあった。小高い丘の上に佇む歴史のある洗練された静かなホテルだ。1泊65$で豪勢なモーニングビュッフェが付いている。


 オーナーのロジャーさんはオランダ人だ。彼もランナーであり、今回も100キロに挑戦する。「是非食事を」と書かれたメッセージを頂いたが、残念ながら既に0時を回っていた。

 28日、着いたばかりだというのに、元写真家としての血が騒いでいた。日の出前には郊外のキルティプルに登った。朝の風景をカメラに収めるためだ。カトマンズは盆地の為、この時期は毎朝霧に包まれるのである。 暫く待ってみたが、陽は既に昇っているはずなのに霧が中々晴れず、朝の祈りや生活シーンをカメラに収め、ロジャーが心配してるだろうから降りることにした。
 ホテルに戻るとロジャーの満面の笑顔が待ち受けていた。「ウエルカム ウエルカム リョウイチ」
朝食を済ませ、パタンの街をウロウロしてからバスでカトマンズに向かい、レース後に予定していたアンナプルナベースキャンプまでの入山届けを出してきた。
 夕食をロジャー家族と過ごした。今回が初対面だったが、これまで半年に渡るメールのやり取りで、お互いに山好き、ネパール好き、走るの大好きと言うことで波長が合うことが 解りここで会えて嬉しかった。
 食後にレースのスタート地点、ポカラに向けて朝一8時の便で行く為、荷持つをまとめ早めに床に着いた。

 29日、霧が晴れたのは昼近くになってからだった。
定刻の3時間遅れでポカラ行きや、エベレスト方面のルクラ行き、ブッタの生誕地ルンビニ方面のバイラワ行きなど10便以上のプロペラ機が 我先にと言わんばかりに青空に飛び立った。
 大好きなポカラ、標高800m、シャツ1枚で充分なくらい暖かい。バナナの木が生い茂る。目の前にはマチャプチャレを始め、8000m級の白銀のヒマラヤが待ち構えていた。ここから数キロ、高度差7000m以上は世界一ではないだろうか。
 早速街を歩き周り、夕方サランコット1592mに向かった。アンナプルナの山々が眼下に益々拡がり、刻々とその姿を変えていった。そして、レースの行われる西の山並みを目で辿ってみた。

 30日、もう一人の日本人、石川弘樹が、ご夫妻でやってきました。心強いエリートランナーです。そしてネパールに籍を置くウプレティ美樹さん夫妻も。今までもだが、これからも大変にお世話になるお方です。そのほかにはスパルタに出た人達や、キナバル2位のネパーリーや、100キロの女子チャンピオンなどそうそうたる面々が集ってきた。
 
 31日、受付と説明会が行われた。乾季のポカラでは珍しく、夕方に雨が降り出し本降りになった。標高2000m以上では雪らしい。怪我をしたくないし、晴れ上がったヒマラヤを仰ぎながら走りたいと心から想った。
 
 元旦の朝、満天の星空が拡がっていた。5時30分、いよいよ楽しみにしていた100キロが始まった。

 まだ陽が昇るまで1時間半ある。ポカラは只今停電中、毎日6時間は停電します。でこぼこの舗装道路を100人近くのランナーの明かりが揺ている。ネパール人のほとんどが軽装で5キロレースの乗りでスッ飛んで行った。弘樹さんは当然ネパーリーと共に暗闇の中に消えていきました。

89人 男子64人  ネパール人63人  
    女子25人  外国人   26人  イギリス6人 アメリカ4人 オランダ4人 ベルギー3人 日本3人 フィンランド2人 カナダ2人 インド オーストラリア スロバキア

 11キロまで凸凹な舗装道路。   第一エイド Hyanngja1071m から山道を登ります。尾根に出たときにはすっかり明るくなっていた。ヒマラヤが眩しいほどに白く輝いた。途中には日本人が経営するエコツーリズム「はなの家」の前を通る。

 第二エイド Dhampus 1650m この尾根道は昔の街道である。今では簡単なトレッキングルートとして栄えている。走ると30分置きに現れる村では、熱い歓迎を受けながら気持ち良く走ることができた。たとえば、ようこそという意味のテカという赤い粉を額に塗られたり、カタという無事を祈る白い生地を首に結んでもらった。


 一度2300mの峠まで登り、一気に石段を下ると目の前にはアンナプルナサウス7219mが、思わず足を止めてましった。Tolka村ではベテランらしき日本人男性トレッカーとおしゃべり、充分楽しむ。各エイドでは、「Rara 」ラーメンと 「チャー」甘いミルクティーでもてなしてくれた。
 第三エイド Landrung 1646m 37キロ ここから Modi川に向かって東京タワーの高さを落ちる様にして下り、ガンドルンには1300mの川底から東京スカイツリー以上の650mの石段をひたすら登りる。「対岸を見ると目の前だが・・・」。
 第4エイド Ghandrung 1951m 39km 6時間18分 ここまで予定通りの時間だったが、こんな激しい登り下りが倍以上あるのかと想うとげんなりする。いくら弘樹さんでも堪えてるに違いない。この100キロレースは50キロのゴールと70キロのゴールがあるが、100キロ手前のゴールで止めても手前のゴール扱いにしてくれる。かなりの誘惑だが、怪我をせずに100キロを走って、アンナプルナ B.Cに行きたい。

 ガンドルンは大きな村だ。勇敢でタフなグルカ兵の里である。英語が話せる人が多いそうだ。こんな急斜面を毎日動いてたら強靭な人間が育つに違いないと充分納得できる。
 石楠花の森が続いた。日本では考えられないほどの大木の森だ。石楠花はネパールの国花なのだ。その木々を蔦って目の辺りが黒く、全身が白い毛で覆われた大型の猿、ヒマラヤンモンキーが遠くから僕らの様子を伺っていた。

 第5エイド Tadapani  2590m ゴミが出たのでスタッフに低調に手渡すと、それを始めは嬉しそうに受け取ってもらったのだが、直ぐに「何で私によこすのよ」と着き返され、「そんなものはポイよ」と、谷底へ捨てるジェスチャーをした。そうなのだ、ネパールでは、特に奥地ではゴミを出す生活をしないから、ゴミはすぐ外にポイが常識なのだ。今でも都心では道の脇にはゴミの山がある。複雑な気持ちになった。ベルギーのランナーに写真を撮ってもらう。「スマイル プリーズ」スパイスの効いたインスタントラーメンを食べながらの造り笑顔だ。この後、悲劇が起きた。

 笑顔のまま元気に走り出したつもりだった。簡単なステップが凍っていた。身体が宙に浮き腰を強打。その後直ぐに右の足首を捻挫してしまった。幸い腰も足首もテーピングをしていたからまだ重傷には至らなかった。それでも痛みに耐え切れず度々足をとめてストレッチをする事になった。

 ガンドルンから一緒だったオランダのニッツのペースも鈍かった。他にもイギリス人4人程いたが、大分離れてしまったようだ。雪が降り出してきた。走れないから寒さが身にしみる、そして腰にはこたえた。藪の中に動物の気配、歩みを進めるとヤクの群れが行く手を阻んでいた。一頭一頭の尻を叩き移動してもらった。

 最高地点3200mの丘を降りたら半分の50キロ ゴラパニだ。その瞬間、25年前の記憶が戻った。見覚えのある女の子が僕にカタを結んでくれた。25年前、あの時の出会ったカンチちゃんの娘なのだろうか、何を聞いても「アチャー」解った、しか答えなかった。確信は無かったが可能性は高い。
 
 第6エイド Ghorapani 2874m 予定は今頃20キロ先のビレタンティのはずだったが、やがて暗くなる。ニッツと二人でビレタンティを目指すことにした。
 ウレリ2070mから1キロ余りで1400mまで下る石段はきつかった。足元には手持ちでもライトの光が届かず、何度か足首を捻った。幸い腰の調子が良くなってきたが・・・。
 やっと下り切ったスーダメでニッツは「先に行ってくれ」と言った。ニッツの明かりが暗闇の中に隠れてしまい、見つからなくなってしまった。
 工事の為に路が崩されていた。暗いから解りにくかった。もしかしたらニッツは正しい道に向かったのかもしれないと思った。「間違えたのかも」暫く引き返すと彼の乏しいライトが向かってくる。どうやらこのままでいいみたいだ、前進した。
 彼は「疲れたよ」とこぼしだす。ライトの明かりもLEDではないし今にもきえそうだったから後ろから照らしてあげた。色々話した。家族の事、仕事の事、トレイルランの事、時間がたっぷりあるから喋れなくても少しづつ伝わった。「伊達公子は素晴らしい」と言っていた。
 登りはもう無いはず、地図を開いた。そして星を見た。路は一本だ、ほぼ間違いではなさそうだ。暗闇の中を男が二人、尋ねてみたが、ビレタンチィに続く道らしい。更に登った。可なり上がってしまった。おかしい・・・。しぶしぶ元来た道を引き返した。川原まで近づいた時、暗闇にもう一本のジープ道があった。ビレタンティに通じる道だった。道の山側しかライトの光が当たっていなかった為に登りの道を辿ってしまい、直進する本道に気ずかなかったのだ。それにしてもあの村人は何故嘘を付いたのだろうか、ため息しか出てこなかった。もうとっくに100キロへの制限時間が過ぎてしまっていた。
 Birethanti 1050m 70km 14時間38分 これが今回の結果だ。午後7時、13時間30分に通過しなければならなかった。
 同じく70キロで止めてしまったロジャーを含め7人のランナーが待っていてくれていた。ポカラまで残り30キロをバスで移動した。バスは1時間以上かけてポカラにたどり着いた。50キロを完走した美樹さんが待っていてくれた。2位グループのネパール人について行った弘樹さんは、20キロも道を間違えて50キロで今回は止めにしたそうだ。
 

 100キロ Lizzy Hawker  F British   15時間36分
        5人完走

 70キロ  18人完走 Ryoichi Sato
 50キロ  54人完走 
 ネパール人数名が不正行為

 ヒマラヤの山の中で、ヒマラヤの大自然と村の人達と長い時間触れ合えた。幸せな時間だった。
 来年は100キロ、リベンジします。弘樹さんと、70キロは美樹さん 千夏も・・・。

  
 完走ランチのダルバート

 ランチ後、アンナプルナ内院トレッキング向けて登り口のフェディに向かった。

 Annapuruna B.C につづく・・・。
 


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    NHKおはよう日本に出演

    動画 YouTube     (2013 LA ULTRA THE HIGH 222km at RYOICHI SATO)            2013年、8月3日

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