Annapuruna Base Camp

 Phedi 1220m
 1月2日。アンナプルナ100キロレースの閉会式がネパール式にゴタゴタの内に閉幕し、完走ランチでは皆の食欲に厨房が着いていけず、ここでもゴタゴタが起きる。差し出されたアルコールでほろ酔いのまま逃げる様にトレッキングスタイルに着替えてタクシーに乗り込んだ。向かうはフェディだ。
 ポカラから約15キロ、1時間かかって今回のアンナプルナ・サンクチュアリー・トレッキングのスタートに選んだフェディに着いた。300ネパールルピー、約300円。バスなら20円もしないのだが、時間を節約して少しでも山奥に行きたかったのだ。
 3時。一人だったのでフェディから暫くはポーターやガイドに付きまとわれたが、僕のペースに流石のネパーリーも諦めて引き返してしまった。バックパックには100キロレースのゼッケンをピンで張り付けていたのだ。
 石段の急坂を420m上がるとダンプスに着いた。地球の歩き方には1時間30分と書かれていた。その半分の45分で歩いてしまった。これが今回の自分のペースだから、全ての行程をガイドブックに記載された半分にした。
 ダンプスのSUNRISE HOTELにはまだレース第2エイドの幕が張られていた。何だか歓迎されてるいみたいだったので泊めてもらう事にした。

 早速ダルバートを注文した。ネパールでは冷蔵庫がない、だから請った物を注文すると食材集めに時間が掛かる。だからダルバート、定食に限る。それでも1時間掛かった。まずは子供が畑に野菜を採りに行くのだ。その間、甘いミルクティーを飲みながらこれから始まる山の生活に思いを馳せていた。
 ダイニングルームの天井には燕の巣があった。目を輝かせて此方を伺っていた。
 ダルバートはお代わり自由だ。150NRs。ロキシー15NRs、焼酎をストレートでチビチビやりながらのんびり食事を楽しんだ。そして8時に消灯、真っ暗闇になる。牛達が喚きだし、犬が吠え出した。やかましくて寝られやしない。1時間もすると疲れたのか牛が鳴きやみ、犬も張り合う対象が無くなり静かになった。音の無い世界がいきなり支配した。

 深夜、酔っ払った男の戸を叩く音で目が覚めてしまった。なにやら騒いでる。住人からの反応は無かった。暫くして女将さんが外の男に向かって戸越に「このろくでなし・・・」的な、事を言い返した。暫しの沈黙があった、再び男が余りにも騒ぎだしたものだから、部屋にいれてもらったみたいだ。その後男は女将さんに引っ叩かれていた。「バッタンッ」と戸の閉まる音で幕切れをした。
 3日。鶏が鳴き出した。日の出にはまだまだ時間が有った。そのうち「ゴボゴボッ ゴボゴボッ」と力強い音が聞えてきた。女将さんがラッシーを作り出したのだ。
 チベッタンブレットに自家製の蜂蜜を塗り、700ccのやかんに入った甘いミルクティーが朝食だ。ラッシーはダルバートに出される。
 勘定の時、見知らぬ男が出てきて計算をしだした。その計算ののろい事、酔っ払いはコイツだと確信した。
 
 トレッキングのチェックポストに立ち寄る。さぁ 長い1日が始まるぞ。A・B・C目指して歩き出した。
 2日前に通った見覚えのある景色に記憶がよみがえる。辛かった石段、ホッとした拓けた丘の上、ヒャッとした岩場、間違えそうになった道が懐かしい。2219mのデウラリから1700mのトルカまでの3キロ余りの間で、森林伐採が派手に行われていた。全く悪びれる事も無く、笑顔で写真に応じてくれた。石楠花の大木が山奥の村では大切な資源なのだ。トルカでは僕を覚えていてくれた青年に会い、凄い凄いを連発しながらの力強い握手、痛いし、長いし、「また帰りに来るからね、いいでしょ」開放してもらった。暇な村人が集ってきたので大変な事になる所だった。
 アンナプルナサウスを真正面に見ながらランドルンまでやって来た。ダンプスから10キロを2時間、予定通りに着いた。ここからは未知の道だ、写真を撮りながらビスタリ、のんびり歩く事にする。

名前の無い三段の滝 1300m
Jhinu 1780m
Samrungの段々畑。 帰りに登る事になる。
New Bridge1340m
 幾つもの滝を眺めながら谷がどんどん深くなり、空が狭くなってくる。
 12時、昼をチョムロンで食べようと物色していたら、目移りしてるうちに通り過ぎてしまった。引き返すのも馬鹿らしいし大変だから先に進む事にした。実は此処から先は聖地、肉を持ち込んではいけないのだ。後でそれに気が付き後悔した。
 何人もの韓国人トレッカーと出くわす中、シヌワで珍しく日本の若者二人を見つけ、嬉しくてチャイを飲みながら話が弾んだ。
 バンブーには3時に辿り着いた。あんまり先まで行ってしまうと、明日歩く所が少なくなるから、此処に荷物を下ろすことにした。

 屋根越しにマチャプチャレが顔を覗かせていた。今のところ客は僕だけだった。
 今朝、ダンプスでチベッタンブレットを一枚食べ、ポットの中の甘いチャイをチビチビ飲みながら、しかも昼食も摂らずに来てしまった。後悔よりも甘いチャイのカロリーの凄さにに驚いた。そして後で知るのだがヒマラヤの蜂蜜パワーだった。
 作るのに時間が掛かるから、部屋に入る前にダルバートを頼んだ。暫くして韓国人の二人組みがABCから降りてきて荷を降ろした。更に中国人の5人グループが降りてきて、早速彼らの値段の交渉が始まった。アンナプルナエリア一帯は宿代の競争が起こらならないように、200Nrで統一されている。飲み物、食べ物はボッカ代が掛かるから奥に行くほど高る。なのに「ベースキャンプの方が安かったぞ」と喚き散らしている。僕等韓国人と三人で成り行きを見守っていた。これでは中国人が嫌われるはずだ。
 日本人と韓国、中国人とは見分けが付きにくい、僕も何度か「チョンチン チャンチョン」と中国人をけん制する言葉で罵声を食らった事があった。日本人は今までネパールに対して個人的援助を随分してきている。韓国人の二人は以前ネパールで日本人に想われて感謝されたそうだ、間違いなのだが。最近は日本人がめっきり減り、「チョンチン」が目立つ様になったのだ。
 約1時間もめたが、交渉決裂、「チョンチン チャンチョン チョンチン チァンチョン」「次の村は100ルピーだぞ・・・ここは高過ぎだ・・・。」暗闇の中に消えていった。その中に疲れきってた女の子がいたが、不憫でならなかった。チョムロンまでは夜だから3時間は掛かるだろう。その頃は寝静まっているはずだ。

 3日 静かに夜が明けた。トイレの中は氷や霜に覆われていた。手と水でお尻を洗うのが冷たくて大変だった。今日もチャパティに蜂蜜をぬり、やかんたっぷりの甘いチャイが朝食だ。残りのチャイをボトルに入れて出発、4時間後には夢の世界だ。Bamboo 8時、2310m竹林に入る。
 Dobhan 8時45分、2600m 雪が現れる。
 Himaraya 9時30分、2870m 谷に陽が差してきた。森林限界を越え、広い草地のトレイルだ。
 ヒンクの岩小屋からHinku 3170m はすぐそこだ。10時10分


 その世界は突然訪れた。Machhapuchhare B・C 3650mが目前だった。雪が深くなってきた。眺めがいいとされるFishtal G・H 11時50分 3730m に着いた。そこで見たものは・・・。
 息を飲み込んだ。

 サングラスしていても眩しいアンナプルナサウス7219mとヒウンチュリ6441mが目の前に、雪と氷の世界が真上から見下ろしていた。ここからA・B・Cまで1時間。天気がいいし、2時間ほど掛けて景色を堪能しながらチャパティに蜂蜜とミルクティを胃の中におさめた。
 雪面には数々の動物の足跡が残されていた。どんな暮らしをしてるのだろう、快適なのだろうか、辛いのだろうか、その姿は全く見当たらなかった。
 やはり1時間でA・B・Cに辿り着いた。4130m 高山病の気配は幸い出なかった。
 裏にタルチョウが沢山はためく丘があった。登ってみるとそこには主峰アンナプルナ8091mが鎮座しており、眼下にアンナプルナ氷河が横たわっているのが見える。背後にはマチャプチャレ、その奥にはアンナプルナ沓沓毅毅毅蹇▲ンガプルナ7454mの切り立った峰が目を引いた。
タルチョウ
アンナサウス7219m雪崩
Machhapuchhare6993m
6・30
7.30
8.30
12.30
2.30
6.30
 暖かいはずのチャイが1時間あまりで凍っていた。室内は氷点下13度、外気は更に5〜10度低い。あまりの寒さで山靴を脱がずに寝袋に潜った。更に毛布を三枚巻き着ける。それでもガタガタ振るえ、重圧+酸素不足で苦しんだ。外は満天の星空である。外で星の写真を撮っていた方が楽だったから頻繁に出て行き、けして人が住むことの出来ない神々の聖域の夜を満喫した。
8000Mの夜明け
アンナ靴瞭醂アンナサウス東壁
 5日 予備日があった。20時間の滞在で心も満腹になってしまった。目の前にテントピーク5663Mがある。手ごろな山だ。以前に登ったトロンパス5416Mを考えると問題ない。登り口は解ってる。ルートを目で追ってみた。許される時間まで登ろうかとも考えたが、ピークハントの許可を取ってないし、慌てる事もない、楽しみを取って置こう。
 何度も振り返り「戻って来るから」心の中でつぶやいた。
 あっという間にバンブーに着いた。チョムロンからガンドルンかジヌーの温泉も考えたが、チョムロンのインターナショナル ゲストハウスに泊まる事にした。広々としたテラスからはアンナプルナサウス、ヒウンチュリ、マチャプチャリが見渡せる最高の展望台だった。
 出会いもあった。韓国人(若いカップル、母と娘、娘の友達)5人だった。カップルの二人は日本の白馬岳にも登ったこともあり、彼女が話せたので仲間に入れてもらった。出来立てのサンゲタンをご馳走になった。宿のオーナーも日本語を話せた。日本の事、韓国の事、中国人の事、ネパールの将来の事を話し合った。大好きなネパール、希望に満ちた熱い話になった。
 部屋の中からも山が一望でき、夜空の星が枕越しに見えていた。
6.00
朝のチョムロン村
アンナサウス
日韓交流
 6日 出合えた人や山、名残惜しい別れだった。展望レストランからは今日もヒマラヤが微笑んでいた。このままポカラまで帰ってしまうのが惜しかった。
ヒマラヤモーニング
 オーナーからプレゼントを頂いた。全く精製されてない蜂蜜だった。3000mの断崖に巣造りをする蜂の巣を自分で採取した貴重なものだ。これをティースプーン一杯で一日働けるらしのだ。毎朝食べていたからうなずける。
 ポカラ目指して歩き出した。
ポインセチアの木
 キムロン川を渡り、犬に追い立てられて登ってしまった道、どんどん登ってしまった。間違っている事は気がついていたが、時間も有るし行って見る事にした。かなり貧しい村を通り抜けた。家の奥から鋭い視線を感じた。この辺りで以前に追い剥ぎが横行していた事を思い出した。たった一人、やばい、まさか・・・。ウリと言う村はその中でも大きい村だった。人目を避けるように道から外れ、遠巻きに歩いた。すすけた人達の中にオレンジのジャンパーを着た青年がいた。彼は黙って一度だけ手招きをした。早足で彼に着いて行くと村の外に出た。目の前にガンドルン村がみえ一安心する。彼は何も言わず戻っていった。
 ガンドルンは目の前だったが、谷を回らなければならなそうだ。細い道が谷の縁をうねうね延びていた。笛の練習をしている少年に出会った。荷を降ろして木陰から聞いてると、風や川のせせらぎの音
と小鳥の囀りとが打ち解けて、のどかで幸せな気分にしてくれる。御礼にチョコを差し出すとはにかむ笑顔で再び吹き出した。更に進むと笛の音に合わせて太鼓の音が聞えてきた。不思議だ、中々その現場に近づかなかった。「見えた。」ラバを放牧した帰りの様だ。彼らの写真は魂が吸い取られるからと言う理由で撮らせてもらえなかった。今度は山羊の群れがやってきた。それを少女が一人で上手く裁いていた。
ラバ隊ガンドルン村
 大英帝国の勇敢な要として徴兵されて来たあの「グルカ兵」グルン族の村なのだ。今では国連部隊の派遣では世界で5番目に多いい、この小さな国からだ。青年の姿は見当たらなかった。

 遠ざかるマチャプチャレを振り返りながら昼ごろにビレタンティにたどり着いた。

NAMASUTE










0

    profile

    links

    NHKおはよう日本に出演

    動画 YouTube     (2013 LA ULTRA THE HIGH 222km at RYOICHI SATO)            2013年、8月3日

    著書 「なぜ走る」 佐藤良一

    購入先 http://docue.net/archives/event/ nazehashiru_shop

    selected entries

    categories

    archives

    recent comment

    • 直視する勇気・貧困の世界
      マモー
    • みちのく津軽 ジャーニーラン200km
      佐藤
    • 直視する勇気・貧困の世界
      KAORI
    • スパルタスロン14回の記録
      チャンドラ佐藤
    • スパルタスロン14回の記録
      mu
    • 淀川100km
      TAKA
    • 直視する勇気・貧困の世界
      midori manaka
    • 直視する勇気・貧困の世界
      まりこ
    • 心室頻拍(不整脈源性右室異形成心筋症)Arrhyhmgenic right ventrcula cardimyopathy
      走り出したチャンドラ
    • 2013 スパルタスロン 惨敗
      ジョ~

    recent trackback

    recommend

    recommend

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM

    PR