ラダックを発つ長い時間

 8月2日、レーに戻ってきた。ピザの美味いゲスモでランチを済ませた頃、雲行きが怪しくなってきた。大粒の雨が落ちてくる。やっと落ち着いた先はLa Ultra The Highの事務所を奥に持つネットカフェだ。しかし電気が来ていないからネットが繋がらない、だから店は閑散としていた。奥に行くとビジェイが待っていた。「ウエルカム サトウ、ミルクティー?」、先ずこの一言から始まる。そして彼がどこかへ電話を掛ける。数分後、人が集まってきた。マーク、ショーン、ウイリアムだった。マークはイギリス人で、日本にも遊びに来てくれる私の親友だ。ショーンはマークの弟子で、ウイリアムはドイツ人で今回始めてのラダックだった。3人は、La Ultra The High333km完走するために早くからラダックに着ており、高度順応中だった。彼らは私に会いたがっていた。何故なら、三人共スパルタスロン初出場が2007年である。
 その年、私は高記録の第10位でゴールした時だった。彼らは完走が敵わなかった。そして私のゴールを見ていた。
 私は目標にしていた、30時間以内でベスト10が目前だった。そこへ後ろからランナーが並んできた。10km手前で彼が近づいていたのは知っていたが、必死に走り、巻いたつもりだった。最後の直線を歓声に応えながら満足の走りをしていた。どうしても負けたくは無かった。ベスト10に拘り、猛ダッシュをしてゴール。その姿を見ていた彼らは感動したのだ。
 その後の私は最悪だった。体重が1割も減っていた。酷い脱水になり震えながら、もがき苦しんだことを覚えている。
 
 皆でビールを飲もうと言うことになった。
マークがビールにはピザだと言うので、夕食もピザになった。
雨が上がり、新しくできたガーデンレストランに向かう。
そこで待っていたのがマークの奥さんエレーナさん、今回マークに付き添うインド人カメラマンとリポーターの二人だった。
テーブルが足りなくなり、隣の外国人に席を動いてもらった。
何と、スイス人教師だった。
 マークは今回の333kmレースでたった一人の完走者となる可能性が高いからの取材らしい、昨年は完走者が一人、私もマークもドクターストップとなっていた。
私は英語が流暢ではない。皆が熱の入った論争を続けていたが、そこを抜け出して雷の写真を撮りに席を離れた。
上手く雷の写真が撮れたので席に戻り、自慢しようとした。だがあしらわれてしまった。
「今、サトウのスパルタの話を皆で興奮しながら話をしていたのにいったい何処へ言っていたんだ、喋らなくともいいから此処に居てくれ」
インド人リポーターはしきりにメモを取っていた。
私は彼らの気持ちを察して話を今回のThe Highに戻した。二人は喜んでくれた。そしてカメラも回り出した。
しかしそのテンションも直ぐ下がった。再びスパルタの話に戻ってしまったのだ。
二人のインド人は仕方ないなという顔をし、ノートとビデオカメラをしまった。
 エレーナが私の横に座った。
「これ千夏さんに似合うかと思って」
手渡されたのがインドの伝統的なデザインの大きなパシュミナのカーディガンだった。
「ありがとう」、とは言ったが、不足だった。



 3日、レーパレスの上部からレーを一望した。ここに立つのは丁度10回目だった。期待していたザンスカールの山は雲の中だった。今頃マークたちは高度順応する為のトレッキングで、あの雲の中の谷間を歩いているはずだ。
 レーのメインストリートにやって来た。4年前に初めて此処に着たときの風景とはだいぶ違ってきている。古い建物は姿を消していた。綺麗な観光都市に生まれ変わろうとしているのだ。

 4日、朝4時。飛行場までの送迎車がもうそろそろやってくる時間だ。日本に帰る仕度をし、雨の降るジクジクゲストハウスの玄関口で待っていた。Go・Airのフライトは7時だったがツェワンが速めに行ったほうがいい、と言うので早くから待っていた。飛行場は狭い。雨の中を遅くなると外で待たなければならなくなるからだ。でも5時を過ぎても来なかった。
 痺れをきらして街の中へタクシーを拾いに歩き出した。外はまだ暗い。
犬達が暴れまわっている時間帯だった。物陰からライトに反射する赤い目がイクラの様に沢山光らせていた。ジクジクゲストハウスを出てきたことを後悔した。ツェワンが今年のラダックは犬が増えすぎて問題が起きていると言っていたことを思い出した。沢山のグループが様子を窺がっている。雨の降り方が激しくなり、犬達の目が物陰の奥へ退いたみたいだった。
明かりが近づいてきた。リザーブ済みのタクシーだった。
街の中心まで来て、やっと捕まえることができた。
 遥々タクシーを捕まえてジクジクゲストハウスに戻ると、さっきのリザーブ済みタクシーが私を待っていた。
「なんと言うことだ」
 
 飛行場に着くと、あのフランス家族がいた。
そんなに喜ばなくてもいいのにと思うほど再会できたことを喜んでくれた。
縁が更に深まったようだ。
定刻時間が過ぎてしまった。
雷雨の為、飛行機が一機もやってこなかった。
そしてキャンセル。
これから大変になる。
今日の乗り継ぎフライト、デリー・バンコック・成田の国際線をキャンセルしなければ、そして仕事のキャンセルだ。
心配だったのはネットはダウンしたままで使えないことだ。
取りあえずジキジキゲストハウスに戻り、ツェワンを呼び出してもらう。
ツェワンに1000ルピーを渡し、千夏とテニススクールに電話を掛けた。



 5日、フライトは11時の便となった。でもゆっくりはしていられない、どうせダブルブッキングしているに違いないのだ。7時には飛行場に着いていることにした。
空が賑やかになった。飛行機が飛んできたようだ。
天気予報は今日も雷雨だったから心配していたが、青空が広がっていた。
タクシーで飛行場を目指していた時のことだった。
街中が色鮮やかな旗で埋め尽くされつつあった。
ドライバーに尋ねると、ラダックでは最も偉いラマがデリーからやってくるというではないですか、だから晴れたのだと言う。
拝見できないのが残念だった。



 7時にセキュリティーチェックを済ませ、カウンターに並んだ。
と言っても、7本あるうちのどれが私達が乗るカウンターなのかギャンブルみたいなのもだった。
私は外がとても気になっていた。荷物を置いて、並ぶことを諦め、外に出る決心をした。
忘れ物をした、と言って外へ出ることに成功。
持っている物はカメラだけ、戻るまで信用できそうな係りに荷物を見てもらい出てきた。
 出てきてよかった。
ラダックやザンスカールの民族衣装に身を包んだ人たちがラマが現れるのを待っているところだった。
そして、ヘイミスゴンパのギャルワン・ドゥルクパ・リンポチェが姿を現したのだ。


 Go・Air今日は飛んでくれた。その後の乗り継ぎは今日飛べる確信がなかったからチケットは取ってなかった。そして着陸した。荷物を受け取って、デリーの街中の旅行会社に行って日本までのチケットを受け取れればOKだ。

 此処からが大変だった。
乗客の一人が私の着ていた黄色いシャツに興味を示し、撮影会となってしまった。
そのシャツは、標高が高く、少し歩くのでもしんどいラダックを222km走る、2年前のLa Ultra The Highのだった。
注目の的となり嬉しかった。
 が、一向に荷物が出てこなかった。
出てこなかったのは私だけでなないようだ。
怒りまくったインド人に着いて行くとGo・Airのカウンターがあった。
黒い髪に黒い肌の男たち20名程が一つの塊となりカウンターを埋め尽くす。
罵声を浴びさせられているスタッフはただ耐えている様子だった。
やがて責任者風の偉そうな人が出てきて伝えられた。
「荷物の行方はわかれません、きっと明日には此処に着くでしょう」
怒りが爆発した。
そして、各自が保障のことを訴えだした。
スタッフは処理をするつもりがないらしい、罵声を浴びながらも平静を保ち、遠くの空でも見ているかのように立っていた。
この姿勢にある意味感動。
そして一人、また一人と去って行き、私の出番がやってきた。
「私は英語が話せません」
と英語で挨拶をした。
するとカウンターの中に入って椅子にでも座ってくれと裏へ回された。
カウンターには電話とコンピュータが3台あり、紙が散乱していた。
よく見ると、その紙一枚一枚に荷物に関する詳細が書かれたものだった。
罵声を浴びながらも一人ひとりの手配を済ませていたのだ。
ある意味感動。

私もクレームの紙に書き込みをしました。
でもOKされませんでした。
理由は、乗り継ぎ便が確定していないと日本へは荷物が届かないと言うのだ。
その航空会社が家まで送ってくれると言うのです。
なるほど
昨日の時点で、もし今日飛んだらアエーインディアの深夜便のチケットを千夏が手配してくれることになっていた。
だから調べてもらった。
名前が載っていなかった。
国際電話は高いからカウンターの電話も、係りの携帯も使わせてくれなかった。
空港の外にインテルがあるからそこからかけろと言う。係りに付き添ってもらい外のインテルから千夏に電話した。

キャセイになったこと、予約番号を知らされた。
インテルが173ルピーを払えと言う。
付き添いの姿が消えていた。しかも私が控えたメモを持ったままだ。付き添いが居なくてはGo・Airの手荷物カウンターには戻れない、どうする。
Go・Airの責任だから払わないつもりだったが、たかが200円くらいで目くじら立てていることがおかしくなり、インテル代を払ってやった。
インドの空港は以上にセキュリティーが厳しい、でも突破しなければならない。
入り口に向かい、ライフルを持った軍人と対峙した。
うる覚えのキャセイの予約番号を伝えると、パスポートと照らし合わせ、奇跡的に合っいた。
ライフルのおじさんに付き添われ無事に中に入ることができた。やっと国際ターミナルに行けるぞ。

Go・Airのターミナルからはリムジンバスに乗って20分の所に国際ターミナルがある。
いつもの場所にバス停がなかった。
近くの人に尋ねたが、此処でいいという。
時々リムジンバスが通るが、運ちゃんは薄目で冷ややかな視線を私に投げかけるのだった。
他の人に尋ねうと、あごを二度上に上げた。
「あっ、向こうの向こうね」
更に解らなくなり、インテリ風の青年に聞いた。
薄目になり、あごを二度上げた。
「何だ、こいつら、ちゃんとしゃべらんかい」
遂にそれらしき場所に着いた。
「インデラガンジー15分後」、ここだ。
バスは10分早く来て、エンストして20分遅れでインデラガンジー国際ターミナルに無事着いた。

空港内のコピー屋さんで20ルピーでチケットをダウンロードしてもらいコピーしてもらう。

受付の時間となり、キャセイのカウンターに一番乗りをした。
やっと帰れる。
「お客様のクレジットカードを見せてください」
「はい、どうぞ」
日本から千夏が予約してくれ、私がカードで支払うことになっていたのだ。昨日乗るはずだったタイエアーのキャンセル代は戻らなかった。
「このカードではだめです。カード番号が違います」
「当たり前だろうが、そっちに書かれているのが妻の、これがわたしの番号」
「全ての受付が済むまでお待ちください」
「ここまできたらどうにでもなれ、今度は墜落でもするのか?」
ひたすら待った。
でも待ちきれなくなってきたからカウンターに行ってみた。
直ぐに、女上司がやってきた。
「やればできるじゃん」
「良かったですね?」
「最悪だよ!」

無事、羽田に着いた。
カメラバック一つだったから税関で不審がられ、説明すると、キャセイのスタッフに説明しろと言われる。
折角スピーディーに外へ出られると思ったのに、また最後になってしまった。
キャセイのスタッフから紙を渡され書き込んだ。殆どインドで書き込んだものと同じだった。

二日後、着払いで荷物が家に届けられた。
中味を覚悟していたが、全くいじられてはいなかった。


おわり





 

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    • 2017.04.11 Tuesday
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    • 09:02
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