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  • 2017.08.26 Saturday
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    第一回、奥四万十ウルトラトレイルレース

     

     

     

    11月5日、高知空港に岡田さんが迎えに来てくれていた。

     

    中野先生の弟子の方だ。

     

     

     

    中野先生とは、2000年のスパルタスロンを参加してからの顔見知りで、尊敬する先輩だ。

     

    その先生が始めてレースを開催するということで、当然参加することに決めた。

     

    本来は、9月に開催予定だったのだが、台風の接近があった。

     

    残念ながら中止、延期となり、明日に開催する運びとなってしまったのだ。

     

    仕事の都合がつかず、エントリーしていた妻の千夏やチーム仲間の林くんと岡本くんが参加できなくなってしまった。

     

    それらの影響で、参加者の約半数での開催となった。

     

    殆どが高知県近隣からの参加者だ。

     

    隣りの愛媛県からは、チームメイトの河内くんが参加する。

     

    楽しみだ。

     

     

     

    岡田さんが運転する車は、須崎から山間部をどんどん分け入った。

     

    自動販売機で飲み物を買いたかったのだが、中々見つからない。

     

    それほどの山間部だった。

     

    見上げた山の尾根沿いに、白い大きな風車がゆったり回っていた。

     

    第二関門の辺りで、コースの中間点辺りらしい。

     

    岡田さんはランナーではない。

     

    谷底から見上げ、「あんな所まで走ることができるなんて信じられない」と言った。

     

    私も、あそこに挑むことを考えると、心の引き締まる思いがする。

     

    出来るだけ登りでも走りたいのだが、昔のように息を上げる訳にはいかないから程々にしなければならない。

     

     

     

    昼過ぎの梼原小学校のスタート地点では、一通りの準備を終えたばかりの中野先生たちが一息ついていたところだった。

     

    選手の受け付けは午後5時、私が一番最初の受付となる。

     

     

     

    時間を持て余した。

     

    「おい岡田、佐藤さんをこの辺を案内しちゃり」

     

    中野先生の指令により出かけることになった。

     

    岡田さんは梼原が初めてだったので困り果てていた。

     

    先ずは、車で来る時に気になっていた神社が川向こうに見えていたので行ってみることにした。

     

    梼原川の清流に渡された、屋根つきの立派な橋を渡る。

     

    その先には、威厳のある三島神社があり、杉の大木に包まれていた。

     

    左手には土俵があり、右手には清め水があった。

     

    清めて参拝し、祈る。

     

    「無事に怪我をせず、心臓に異常が起きませんように」

     

    土俵の裏には「坂本竜馬 脱藩の道」と書かれた看板があり、森の奥へと山道が延びていた。

     

    岡田くんと歩き出す。

     

    岡田くんには気の毒だったが、身体にスイッチが入ってしまい、遠慮なくガンガン歩いてしまった。

     

     

     

     

    梼原小学校に戻ると、ポツリポツリと選手が受付に集まってきていた。

     

    少しずつ活気が出てくる。

     

    仲間の愛媛の河内くんもやってきた。

     

     

     

     

    19時から中野先生からの説明会が行われる。

     

    一通りの説明がおわりました。

     

    「何か質問は?」

     

    「はい、そこの男性」

     

    「緊急時の連絡先はどこに書いてありますか?」

     

    「ゼッケンに書いてあります」

     

    「なければ終わります」

     

    以上、あっと言う間の、中野先生らしい、有無を言わせぬ小気味いい説明会だった。

     

    いよいよ早朝の3時にスタートする。

     

    それまで大部屋で雑魚寝だ。

     

     

     

     

     

     

    スタート時間となった。

     

    天の川が雲間から顔を出していた。

     

    気温、3度。

     

    底冷えのする寒さだ。

     

    目標は怪我をせず、発作を起こさず、13時間でゴールだ。

     

    ライトを灯したランナーが放たれた。

     

     

    登りのロードを、スタートしたばかりの、いつもの緊張感の中を走りだした。

     

    私は随分後方に位置取っている。

     

    体調の様子を見るためだ。

     

    「よし、大丈夫そうだ」

     

    ペースを上げた。

     

    登りが続くと汗が止まらない。

     

    帽子のつばから汗が滴り落ちる。

     

    はしごを登ると、その後は急登の山道が待っていた。

     

    突然、膝ウラに痛みが走った。

     

    ライトを照らすと、白いダニがいた。

     

    私はマダニに咬まれたのだと思っていた。

     

    マダニは吸血性で、寄生して感染する危険な虫だと知っている。

     

    大変なことになってしまった、と心配したが日本蜂だった。

     

    誘導員に聞いてみると、随分多くのランナーが蜂に刺されていたようだ。

     

    安心して走り出せる。

     

     

     

    広いロードに出た。

     

    まだ暗い。

     

    冷たく強い風が通り抜けるカルスト台地だ。

     

    辺りに光を当てると、不気味な白い岩が点々としている。

     

    足元を照らすと、草に降りた白い霜が光っている。

     

    ロードが得意なランナー達が息を吹き返し、あっという間に闇の中に姿を消して行く。

     

    三叉路に出た。

     

    第一関門に、そろそろ着くころだった。

     

    前を走っていたランナーがウロウロしている。

     

    私も、そして後ろからやって来たランナーと共に、どっちがコースなのだろうとウロウロした。

     

    三叉路の一つを回り込むと、おにぎりが積みあがる補給所があり、一安心だ。

     

    2時間03分 (第一関門13.0km 天狗高原 2時間30分予定)

     

     

     

     

     

     

     

    整備されたセラピーロードを下る。

     

    なかなか気分がいい。

     

    暗闇の中に四万十川源流の看板を見つけたが、源流は当然沢山ある。

     

    私達が知る、目指す四万十川源流はまだ先にある。

     

     

     

     

    不入山への、取り付きの森の中で朝日が差してきた。

     

    そして、とんでもない斜面を登ったり下ったりした。

     

    そこにあったコースは、地図上に載っていない。

     

    遥か大昔の先人達が使っていた、埋もれてしまった道を、レース関係者達が導き出したルートなのだ。

     

    踏み固められていない、枯葉に覆われたコースは、足元が不安定だ。

     

    コース上の小枝に結ばれている、ピンクのリボンが頼りの綱だった。

     

    後続の、前との差が開いてしまったビギナーたちの不安は大きいだろう。

     

    私にとっても、前を進むランナーの後姿があると心強く感じる。

     

     

    ランナー同志との差が詰まっている。

     

    四万十川源流域から先の登りはガレていて危険だった。

     

    慎重に、額に汗を溢しながら高度を上げていく。

     

    『ゴトッ』、石を踏み落としてしまったランナーが後方にいた。

     

    破壊力のある音を立てた岩の転がる先には、幸いランナーの姿はなかった。

     

    やがて岩がどこかに落ち着き、静寂が訪れた。

     

    行方を見守っていたランナー達の歩みが再会され、再び額の汗が滴り落ちだす。

     

     

     

     

    不入山山頂では、ランナー達が思い思いの方角にカメラのレンズを向けていた。

     

    朝日と空気が清々しい。

     

    白く、雪を蓄えたような丘が見えていた。

     

    それは石灰の採石場だった。

     

    秩父の武甲山も石灰の採石場となっていて、同じく悲しい姿に見えた。

     

    独り、また一人と、細くて足場の不安定な下りに向けて足を滑らす。

     

     

     

     

    やがて、沢音が聴こえてきた。

     

    四万十川源流と言われる所は更に下らなければならないが、本当はこの辺りが源流なのだ。

     

    そこは、特に碑がある訳ではない。

     

    人が立ち入らぬように、神聖な場としてそっとしているのだ。

     

    テレビでも、よく紹介される源流に下り、水分補給。

     

    美味いに決まっている。

     

     

     

    舗装道路に出ると、特設の補給所だあった。

     

    名産の豆腐チーズに、紫のシソ汁に漬けたご馳走が美味しくて、何度も手が伸びる。

     

     

     

     

    暫く舗装道路が続く。

     

    予定の通過時間を超えてしまっていた。

     

    挽回しなければならない。

     

    抜きつ、抜かれつ、その度に「長いね」、「あきるね」と言いながら、単調な道をどんどん下った。

     

     

     

    1時間ほど下ると誘導員がいて、山道方面に促された。

     

    走れないことは無い、朽ちてしまった林道をひたすら走った。

     

    そして手作りの急登を、脚を滑らせながら登っていると、ぼたぼた汗が滴り落ちてくる。

     

    所々に縄が渡され、岩場や崖を越える棄権な所があった。

     

     

     

    斜面が緩やかになり、辺りが明るくなってきた。

     

    三度目の、大きな登りをやっと越えることができた。

     

     

     

    大きな風車が頭上に聳えていた。

     

    広い道路が延びていて、巨大風車が列を成していた。

     

    遠くから中野先生の声が聞こえてくる。

     

    「ようこそ第二関門へ、スターが来たました」

     

    「まだ、お星様にはなっていませんから」

     

    笑いが起こる。

     

    座り込んで、のんびりしていると、「のんびりしてる時間ないぞ」と中野先生から激が。

     

    「大丈夫ですよ」

     

    しかし、大丈夫と言うほどの猶予はないようだ。

     

    しっかりと身体に水分と栄養を蓄えて走り出した。

     

     

    7時間23分 (第二関門40.0km 風車公園 7時間予定)

     

     

     

     

    舗装道路を7km進むと、誘導員にトレイルへと促された。

     

    この辺りも、レース関係者による手作りの不整地なコースだ。

     

    ピンクのリボンが視界に延びている。

     

    よくも、こんな道を切り開いたものだと感心しながら進んだ。

     

    私の前を、60人近くのランナーが通り抜けたとは思えないほどの僅かな踏み後が、枯葉絨毯の中に心細く続いていた。

     

    どうしても、小さなコースミスをしてしまう。

     

    その度に、藪扱ぎを強いられてしまうのが厄介だった。

     

    しかし、先頭を走るランナーの踏み後には感謝しなければならないと思った。

     

    よそ見をしたら、切り倒された大木に膝を打ち付けてしまった。

     

    一時的だったが、暫く動けなかった。

     

     

     

    下りで勢いがついてしまうと、足の力だけでは制御するのが困難になる。

     

    そこで活躍するのは両腕だった。

     

    樹に体当たりするように、勢いを止めたり、方向転換させるのだ。

     

    その体当たりする樹にも種類があり、選んでいた。

     

    木肌がすべすべした樹は止ったり、方向を変えるのにも使え、手にも優しいが、針葉樹の木肌はざらざらしていて手のひらが痛い、勢いを止めることしか役に立たない。

     

    集中して降らなくては危険だ。

     

    まるで、ジャングルジムの森にでも迷う込んでしまった心境だった。

     

    なかなか味わえないコースだから、テンポよく走れていたら楽しいかったのかもしれない。

     

    疲れ果て、ゆっくり歩いていたら、正に地獄だったかもしれない。

     

    私は、その両方を味わっていながら進んだ。

     

     

     

     

    舗装道路に出ることが出来た。

     

    腕がだるい。

     

    両腕の筋肉がパンパンに張っている。

     

    7kmを下ると第三関門がある。

     

    途中の集落の人たちの応援や、差し入れが嬉しかった。

     

    一度、中国人家族らしき4人が古民家の前にいて手を振ってみたが、完全に無視されてしまった。

     

    街にでると、中野先生の声が聴こえてきた。

     

    「やっと、ここまで来たか」

     

    10時間4分 (第三関門58.5km 葉山 予定10時間)

     

     

     

    葉山からの道でも、お爺ちゃんお婆ちゃんが、遠くから手を振って応援してくれていた。

     

    この奥四万十のレースが栄え、通り抜ける過疎化した村々に活気が届けられたらいいなと思う。

     

     

     

    この辺りに伸びる道こそ、坂本竜馬脱藩の道であった。

     

    茗荷を収穫している人たちが声援を送ってくれた。

     

    50分ほど走り続けると、次の関門が見えてきた。

     

    土地の食べ物で持て成してくれた。

     

    「うちの畑で獲ってきた芋を食ってけ」

     

    芋は苦手だった。

     

    10時間49分 (第四関門64.5km 三の川水車 予定11時間)

     

     

    エイドにいたお爺ちゃんが、この辺りの名所を説明してくれていた。

     

    ランナーが来るたびに、誇りを持って語っていたのだろう。

     

    = ろくに足も止めずに聞き流してしまってごめんなさい

     

     

     

    村の道を登り詰めると、再び山道へと入っていく。

     

    最後の登りのはずだ。

     

    さっきのお爺ちゃんが言っていた桜の古樹や、絡み合った杉の樹や、船底の板で作った橋などがあった。

     

    途中で目印のリボンが不明瞭になり、迷い込んでしまったが顔にくもの巣が引っかかったことで間違いに気づき、10分後には戻ることが出来た。

     

     

     

    関所を潜り、更に登る。

     

    景色のいい広場に出ると、太鼓の音が下界から聴こえてきた。

     

    残り5kmだ。

     

     

    太鼓の音が近づき、ゴールしたランナーを称えるアナウンスも聴こえるようになってきた。

     

    ゴールまで、もう直ぐの高台のベンチに独りのランナーが景色を楽しんでいた。

     

    私も隣りに座ってみた。

     

    リアス式の、入り込んだ海の景色が一望できた。

     

    「カルスト台地に眠る石灰は、掘り起こされた後に、あそこに見える須崎港に運ばれるんだ」

     

    そのランナーの示す所には、大きな煙突がいくつか見えていた。

     

    「教えてくれてありがとうございます」

     

    暫くして、一足先に走り出した。

     

    文旦畑の先にゴールの小学校が見えてくる。

     

     

     

    河内くんと、中野先生が出迎えてくれていた。

     

    怪我をせず、発作もせず、何とか完走できました。

     

    今の私はこんなもんです。

     

    「遅くなってすいませんでした」

     

    「まあまあ、こんなもんやな」

     

    13時間13分 (ゴール73km 予定13時間)

     

     

     

     

     

     

     

    このレースは、トレイルの初心者にでも完走ができ、完走時間が12時間で考えられていました。

     

    「中野先生、このレースは初心者向きではありませんから」

     

    「12時間では、ベテランでも無理ですから」

     

    「でも、大きなトラブルもなく終えることができてよかったです」

     

     

     


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      2016 MALNAD ULTRA 110Km 

      ARRIVAL

       

       

       

       

      バンガロールには、32年前にも訪れたことがあった。

       

      テニスの大会出場の為だ。

       

      当たり前だが、その頃の面影は全く残っていなかった。

       

       

      私は、インドでは最もメジャーなスポーツとして知られるクリケット、そのスタジアムに隣接されるクラブハウスの部屋に宿泊した。

       

      現在はグランドが改装中ということで、ビップラウンジに入れてもらうなど、自由に歩き回ることができた。

       

       

      第一回、MALNAD 110kmウルトラトレイルに参加するために、南インドのバンガロールにやって来た。

       

      外国人は私だけ。

       

      殆どがバンガロール付近のランナー達だ。

       

      私は北インドのラダックで行われるLA ULTRA THE HIGH 222kmを完走したことがある。

       

      何と、今年の8月にも、走らなかったが行っていた。

       

      それだけ大好きな所だ。

       

       

      ある日、レースのスタッフに誘われて、ラダックを観光した時のことだった。

       

      インドならではの時間のルーズさを超え、インド人達でさえも申し訳ないと思うほどの遅れで、待ち合わせの場所に彼らはやってきた。

       

      私は炎天下の下で、延々2時間以上も彼らが乗るマイクロバスがやって来るのを待たされていた。

       

      私は怒らなかった。

       

      彼らは、私の反応を確認するように謝ってくれ、一言も返さず、笑顔で応対した。

       

      一言も文句を言わなかった私を、「心の広い武士」だと彼らは思ったそうだ。

       

      私は文句を言いたかったが、文句を言ってしまうと気まずくなるし、許してしまったほうがこの先楽しめると思っただけなのだ。

       

      そして、何をかくそう、上手に英語を使えない。

       

      その時、バスに同乗していたアナンドが、今回初めてディレクターとして110kmのレースをすることになった。

       

      「是非、良一にも走って欲しい」

       

      私は、走らせてもらうことにした。

       

       

       

       

      FACE

       

       

       

      約束していた時間を大分送れてやってきた案内役の女学生ランナーに付き添われ、バンガロール駅へとタクシーで向かう。

       

      セキュリティーチェックをし、歩く事15分余り、やっと自分達が乗る車両を見つけた。

       

      巨大な駅に、やたら長い列車だった。

       

      席は予約されており、乗った車両はランナー達で一杯だった。

       

      その中に、ギリシァのスパルタスロン246.7Kmを、インド人としては初めて完走したキリアンが乗っていた。

       

      彼は昨日、そのギリシァから帰国したばかりだった。

       

      彼の功績は新聞にも大きく取り上げられており、正にヒーローとなっていた。

       

       

      Birur駅まで列車で2時間で着くはずが3時間で到着する。

       

      駅からは、ランニングツァーバスに乗って2時間余り、インド最大のコーヒー農園である「Coffee Day」の敷地内にあるリゾートホテルへとやってきた。

       

      農園の総面積4000エカー、東京ドーム350個分、見当の付かない広さだ。

       

      カスタネットを叩いたような声で鳴く蛙たち、木々を渡り歩く猿、森の奥で鳴く鹿や孔雀たちがDark Forestといわれる森の住人だった。

       

      カレーを右手を使って食べながら、焚き火を囲み、ウエルカムパーティーが行われ、ヒンディーの神様にお祈りをした。

       

       

      私は人気者だった。

       

      唯一の外国人だったから、だけではない。

       

      スパルタを、インド人として始めて完走を果たしたのは、このレースのランマネージャーとして働くのはキリアンだ。

       

      初めて彼に会ったのは、レースのレースディレクターのアナンドと同じくラダックでのレースの時だった。

       

       

      2013年、私はラダックで行われたLA ULTRA THE HIGH 222kmを完走していた。

       

      その時、走り出したばかりのキリアンがスタッフとしてきていた。

       

      翌年2014年、リタイアしたが私は333Kmの部に挑戦していた。

       

      その本レースの前イベントとして28kmのトレイル大会が行われた。

       

      キリアンも私も参加した。

       

      私は2時間45分で優勝し、彼は3位だった。

       

      私は完走後に、選手達を出迎えるために元来た道を戻り、独りで応援していた。

       

      そこへやって来たキリアンが加わり、二人で高い岩の上に登り、選手達が現れるのを待っていたのだ。

       

      彼は、その岩の上で、私からスパルタのことを知ることになる。

       

       

      昨年2015年、既にスパルタの虜になっていたキリアンは、やはりスパルタを複数回完走しているイギリス人のマークが、きちんと英語で説明をしてくれた。

       

      その後、参加資格を掴み、見事、今年スパルタ完走を果たしたのだ。

       

      ランナー達に囲まれるキリアンは、私が8回もスパルタを完走していたことを話してしまうと、今度は私がインド人ランナー達に囲まれてしまう番となってしまった。

       

       

       

       

       

       

       

       

       

      BEGIN

       

       

       

      誰もが私が優勝するものだと思っていたようだった。

       

      しかし、私の栄光は過去のもの。

       

      今では「酒も、運動も危険だから避けるように」と医者から言われている。

       

      度々起こってしまう、命の危険性が高い不整脈が私にはある。

       

      体内には、私の命を守る(ICD)という器械が埋め込まれていた。

       

      だから無理が出来ない。

       

      アナンドもキリアンもそれを知っている。

       

      妻の千夏からは「決して強行はしないように」と言われていた。

       

      大会には迷惑を掛ける訳にはいかないのだ。

       

       

      COFFEE DAY農園内に張り巡らされる作業道を、110km辿るレースが始まった。

       

      朝6時、雨季の終わりを告げる朝焼けの中を、200人のランナーが一斉に走り出した。

       

      私は早々に苦戦する。

       

      走り出して直ぐに不整脈を感じてしまったのだ。

       

      不安がペースと希望を奪っていく。

       

      やがて不整脈が治まり、ペースを上げてみる。

       

      一度だけ、先頭に出てしまった。

       

      怪しい心臓の動き。

       

      ペースを落とせば、今日は走れそうな気がした。

       

      先頭を直ぐに譲った。

       

      度々、ランナー達から記念写真をせがまれる。

       

      まともに走れない、こんな調子だと優勝は無理だという大きな言い訳が勝手に膨らみ、そして皆に伝わった。

       

      南インドの西ガーツ山脈の東に広がるデカン高原にある森である。

       

      ダークフォレストといわれる深い森の中を走る。

       

      森の下では、コーヒーの木々で埋め尽くされ、青い実を付けていた。

       

      農園内には作業人達が暮らす村が点在し、どの村でも村人は正装して応援をしてくれた。

       

      感動した。

       

      道はジープがどうにか走れるほどの傾斜と滑るデカンの赤い土だった。

       

      簡単なコースではなかった。

       

      前半から予定の一時間遅れで粘っていた。

       

      コース半ばの45km地点の頂からは、黒く拡がる森が眼下にあり、遠くの湿地帯が夕日に輝やこうとしていた。

       

      やがて暗くなる。

       

      私はライトは必要ないであろう、と思っていた。

       

      でもアナンドから、60kmか80kmのポイントにライトを預けた方がいいと言われていた。

       

      「そんなもの必要ない」、とは言わず、80km地点にライトを預けていた。

       

      そして60km、既に外は暗い。

       

      スマホの明かりで細々歩み続けた。

       

      腰痛で体が傾いているのを感じる。

       

      視界は狭かった。

       

      そして谷底へと足元を外した。

       

      間一髪、本当に危なかった。

       

      動悸が続いてしまった。

       

      80kmに到着。

       

      制限時間までの残り30kmを11時間も残されていた。

       

      その時は午後の7時、殆どのランナーは遥かに後ろにいるはずだ。

       

      どうやら先頭が今ゴールしたようだ。

       

      明るい内にゴールしたランナーなんて一人もいなかったのだ。

       

       

      不整脈ではなかったが、私はリタイアを告げた。

       

      ゴールに着くと、キリアンとアナンドが待っていた。

       

      「クオリティーの高い、素晴らしい大会だったよ」

       

      距離表示が2km置きに、補給所も約2〜3kmの間にあった。

       

      「すばらしい」

       

      実際、そう思って絶賛した。

       

       

       

       

       

      AFTER

       

       

      10月9日

       

      レースも終わり、スタッフと共にロッジで仮眠する。

       

      レースの看板など回収しながら、村々を巡り御礼をする。

       

      そしてCoffee Day オーナーのゲストハウスで一晩お世話になる。

       

      嬉しそうに、キリアンが私に大切そうにスパルタの完走メダル、完走証、ゼッケンをわざわざ持ってきてくれて見せてくれた。

       

      無事にレースが終わり、改めてスタッフたちにスパルタでの話を始めるキリアンだった。

       

      庭先に蝶が舞い、猿やキツネザルが枝から枝へと遊び、孔雀や鹿が遊びに来る。鳥の鳴き声はいったい何種類聴いたことだろう。

       

       

      10月10日

       

      帰りに遺跡や聖地をアナンドに連れて行ってもらう。

       

      10エーカー(100m×400m)の敷地に建つアナンドの屋敷に泊めてもらった。

       

       

      10月11日

       

      帰国日。

       

      南インドではダサインという祈りの祭りの真っ最中だった。

       

      色とりどりに飾り付けをされた車が街を走り回っていた。

       

       

      ラダックのスタッフもしてくれていたシャムさんが高級日本レストランに連れて行ってくれた。

       

      日本を発ってから、唯一カレー以外に口にする食べ物だったが、この時も寿司だったので、結局全ての食事が右手を使って食べるものとなった。

       

       

       

       

      南インドの知らなかった優しさを知ることができ、完走できなかったが、素晴らしいウルトラマラソン大会に出会え、呼んでいただき感謝の気持ちで一杯だ。

       

       

       

       

       

       

       

       

      みんな、ありがとう

       

      ナマシカール

       

       


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        アンナプルナ100 No7 スタート

          寝汗をかなりかいていたようだ。昨夜は日本料理の「古都」で食べた。そこには8人来ているバンコック日本人走友会の人達も来ていた。明日の朝食の為のおにぎりを握ってもらった。今そのおにぎりを食べ終わった。誰かが部屋をノックした。そこには従業員の顔があった。なんと朝食の袋が用意されていた。パン2つ、マンゴージュース、バナナ、ゆで卵、それをありがたくレースのザックに押し込んだ。
         痛み止めの最後の一つを飲んでスタートだ。あれっ?ロジャーが居ない。ディレクターのラメシュがトラブル、そこでロジャーが手伝わなければならなくなったようだ。ロジャーは今回は大分カトマンズ周辺の山を走り込んだと訊いていただけに残念だ。今年もアーミーが数人出ている。ラメシュ初め、軍はどんな策で勝ちを狙いに行くのだろうか、ネパール人は特別な説明会があり、そしてアーミーには更に特別な支持が言い渡されていることは想像できる。今日はどんな手を使って勝ちに来るのだろうか、前回はロードが多く、そこでアーミー達は仲間のジープやオートバイで移動していた。今回のコースはそれが出来ないようにロジャーが考えた山岳レース。よりハードルの高いコースになっていた。今度は近道でもするのだろうか。
        美樹さんと
         日の丸を小さく振っている。ポカラ在住の二人女性だ、もっと早く会いたかった。
         走り始めは千夏にも付いてはいけないほどの走り方だった。しかし徐々に身体が温まり筋肉が緩み出すと本来に近い走りになった。痛みが再び出てこないうちに先行してしまおうと、スピードを上げた。小雨が降り出した。昨日まであんなにいい天気が続いていたのに、そういえば千夏の初レースは100%雨だった。恐るべし千夏の雨運。
         12kmのヒェンザには日本人でトップに通過した。しかし、痛みが少しずつ出てきてストックを着きながら歩き出した。登りはまだましだが、下りがぎこちなかった。昨夜の夢は僕が動けなくなって遭難する事だった。現実にならないように何処かで止めなければならなかった。
         ダンプスに近づいた時おかしな標識があった。目と鼻の先のダンプス、右のわき道に入る印がついていた。これはアーミーに勝たせる為の仕掛けの一つだと疑いながら、前のランナーについて行った。
         やがて道が消えていた。前のランナーはネパール人だった。彼はどこかの家の中に入り、出てこなかった。村人にダンプスの行き方を尋ねながら、段々畑のあぜ道を登り出した。下を見下ろすと沢山のランナーがウロウロしているのがみえた。「こっちだぞー」。この辺りに来るのは4度目だった。だからコースの見当はついていた。始まったばかりで30分以上のロスは痛い。「俺は腰が痛いんだよ!軍の奴達め」、少し頭にきた。
         23kmのダンプスまで来た。ロジャー達もいたし美樹さんのご主人ウプレティーさんもいた。このままリタイアするつもりだったが、もう少し走ることにした。千夏を待って一緒に走るのも悪くないと思った。20分後、千夏と美樹さん他日本人が束になって走ってきた。そのままのグループでビチョックを目指した。その手前にはゴールのビレタンティに降りる道があることを知っていた。一瞬迷ったが正規のルートで50kmの完走をする事に決めた。写真を撮りながらランドルンに着いた。昨年ランドルンで写した人と同じ女性と写真を撮った。そこで出されたジャガイモが美味かった。
         ランドルンから高度400mを下るとモディ川に出る。今度は650m高度を上げるとガンドルンだ。どうにか千夏に70kmコースへの関門に1時間の余裕を持たせて着くことができた。着いて5分の内に3人が70kmのコースへと向かった。その中にはイギリス人女性の姿があった。その先にはきっと美樹さんが居るはずだ。ここまで千夏は体力を温存している。すぐ行けば追いつくはずだ。「ここからだぞ」と、促した。僕はこの先に行く事は遭難する危険性大だと感じた。若い頃は迷わず挑戦しただろうが、今度は老いを痛感した。
         50kmのゴール、ビレタンティへは結構走れてゴールできた。今回はこれで満足しなければ・・・。


         ランドルン
        モディ川
        ガンドルン
        ビレタンティ
         ビレタンティに着くと、なんと美樹さんの姿。「70kmに行かなかったんですか?」、流石に雨模様だし、上は雪に違いない。ゴラパニからの下りは必ず夜になる。積雪の長い下り、石畳の上を危険すぎる。懸命な判断だと思った。それだけに行かせてしまった千夏が心配だ。赤のヤッケやニット帽を走り出す前に無理やり持たせて良かった。
         僕は前回道に迷わなければ7時のビレタンティ着だ。千夏だったら10時過ぎになるだろう。
         ゴール付近に100kmトップの二人がやって来た。彼らは更に15kmを折り返してくる、恐ろしい速さだ。夕方本降りの雨になった。1時間後、二人は戻ってきた。トップは山のガイド、シェルパだった。少し遅れてアーミーだった。11時間?速すぎる。去年はもっと楽なコースでも13時間以上掛かっている。なにか訳ありに違いない。
         完走ディナー。ネパールに来て初ビールだった。
         6時、いつもの停電になる。 
         9時、村の入口のグリーンビューロッジに写真を持って行く。目的は千夏を迎える為だが、もう一つの理由は、このグリーンビューには25年前に泊まっていた。その時、大撮影会になり20人ほどの近所の人達も撮ったことがあった。それを今回持参した。
         大分お互いに老けてしまったが、懐かしい顔が待っていた。写真の中の4人は既に他界していた。しかし、喜んでもらった。チャーを何杯もご馳走になり、11時まで眠たいのに付き合ってもらった。ここにも青春の1ページがちゃんと残っていた。ありがたいことだ。
        1位のシェルパ学校ダルバールグリーンビュウ
         大会本部では慌しかった。ゼッケンと名前、種目やチェック時間が錯綜していたのだ。ラメシュ、やってくれる。これだけでは済まなそうだ。それより千夏は何処でどうしているのか心配だ。千夏は携帯電話を持っている。しかし、このビレタンティは谷底で電波が届かないそうだ。だから本部の約をなさないのだ。ラメシュ・・・。
         そのうち一つの情報が流れた。千夏ともう一人がゴラパニで宿泊しているらしい。よかった。まだ6人の安否がわかっていない。

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          1999年 日本山岳耐久レース (ハセツネ)

            午前10時、Jr五日市線はのんびりと終点五日市を目指していた。車窓からは、これから走ろうとしている奥多摩の深い森をたくわえた山並みが迫ってくる。その向こうには、たっぷりと雪をたくわえた白銀の富士が青空にくっきりと映えていた。一点の雲もない抜ける青空が拡がっていた。
           71・5kmを24時間以内で走るレースだ。誰かに誘われたわけでもないし、聞いたわけでもない。全く想像がつかなかった。ガイドブックを見ると、全行程が27時間だった。本来なら2泊3日の行程になるだろう。このコースは日本の偉大なアルピニスト、故、長谷川恒夫さんがトレーニングで走っていたコースとのこと。生前の彼を知る知り合いは、「あの飲んだ暮れが本当に真面目にトレーニングしていたのかな」と、不信がっていたが、きっと影で努力をしていたのだろう。僕は一般のガイドブックの行程の約半分の時間で山を移動できる自信がある。だから目標は13時間30分だ。過去のリザルトを見ると、約1割が14時間以内で走破していた。今回は1193名がエントリーをしているから目標順位を100番とした。僕の装備は、500mlの空のペットボトル4本・アンパン6個・饅頭3個・板チョコレート1枚・ハーブキャンディ1袋・ヘットライトと予備の電池・防寒具、総3kgを年代物のザックに入れた。

           そろそろスタートする午後1時。五日市庁舎前にはそれぞれ考えての装備姿で、目標時間が書かれたボードに向かって移動していた。僕は12〜14時間に待機した。張り詰めた空気が頂点に達した。
           僕にとっては余りにも速い走り出しにとまでってしまう。景色を楽しむどころではなかった。地元青年団の叩く太鼓の音に促されるように人の束が動いていた。登山道入口の神社で、空のペットボトルに水を入れた。こんな事をしているのは僕だけだった。3kgだった荷物が5kgに増えた。
           
           スタートして1時間。どんどん抜かれていた。極限まで息を荒げ、蒸気機関車みたいに湯気を上げたランナーが僕よりも早く高度を上げてゆく。この先12時間も掛かるのだ、僕には真似の出来ない芸当だ。6日前に15km地点の醍醐丸まで一人で試走していた。そこを予定通り、2時間以内で通過できた。空気もいいし、やがて夜が来る。慌てず、マイペースで楽しもう。

           小さなアップダウンが続いた。秋のやわらかい日和だった。気持ちがよかったから少し飛ばした。生藤山で今回女子4位になった渡辺さん(49歳)に写真を撮ってもらった。女子の後ろを走るわけにはいかない、前を走り出してみたが、下りでもたつく間に抜かれ、飛ぶように姿を消してしまった。すぐにぼくも後を追い、明るいうちの第一関門である浅間峠を目指した。三国峠を越える辺りから、いよいよ太陽の光が森の奥まで延びてきた。オレンジの沢山の光が辺り一面に張り巡らされ幻的な世界を味わうことができた。4時53分。180番目、まだ明るいうちに第一関門を通過した。

           ヘットライトを灯し、アンパンと饅頭をかじりながら歩いた。ライトの明かりに照らされるだけの狭い視界では怖くて走れなかった。しかし、慣れているランナー達は暗闇であっても下りは走っている。さすがに登りでは走るランナーはいなかった。ゴールに至まで、登りで抜くことはあるが、抜かれることは一度しかなかった。問題は下りだ。ゆっくりでも転ぶ。泥で滑ったり、浮石に乗ったり、木の根に脚をとられたり、幹に頭を打ち付けたりと。どうやら僕だけではなさそうだ。暗い山中に悲鳴が響き渡る。ドスン・バキン・ガラガラ・「イテー」「チクショウ」「バカー」。僕らが迷惑を賭けているのだろう、時々猿と鹿の鳴き声が聴こえた。日ごろの山登りは山の表面を味わうことだった。夜の山は、山の体内にでも潜り込んだ感覚があった。怖いが面白いとおもった。

           三頭山(1527m)が中間点だった。記念写真をみんな撮っていた。168番といわれた。泥だらけになり、「つるつるガラガラ」、とジグザグに急坂を下る。いい加減うんざりした頃、奥多摩有料道路に出た。21年昔、高校1年の時に一度訪れたことがあった。4人の仲間と自転車で世田谷から五日市を通り、月夜見峠を越え、奥多摩に出たのだった。明るい満月だったからライトを消して走ってみた。記憶を辿りながら月夜見山(1147m)第二関門を目指す。まさに月夜見だった。
           
           9時10分。4℃。寒い。焚き火の前では眠たさも手伝って、30分も暖をとってしまった。水を1・5L補給する。全身に重さが伝わる。
           いったん小河内峠(1030m)へ下り、今度は一気に御前山(1405m)に登る。その長い登りで第一関門を10番位で通過した金川さん(47歳)と歩いた。すでに3度目のハセツネ、勇気のある走りだと思った。僕は初めてにも係わらず、計算した余裕の走りを心がけていた。トップの人達の追い込みの成れの果て、見てるのも危なっかしいふらついた歩みに完服する。しかし、付き合ってわいられない。後ろから来たランパンランシャツの薄着ランナーに付いて走り出した。金川さんも走り出した様だったが、すぐに草むらに倒れこむ音が聴こえた。
           薄着ランナーから少しずつ後退し歩き出した。歩きだすと疲れや痛みを感じる。そして睡魔が襲ってきた。やっと着いた御前山の非難小屋には、多くのランナーが仮眠をしていた。小屋の裏では胃液を吐き出す音が耳についた。僕は萩250kmの大会で二晩寝ずに走ったこともあり、まだまだ序の口だった。食欲も気力も充分あった。
           遠くに都心の夜景が見えていた。この異次元な夜景を奥多摩の動物達は、いつも晴れた夜に眺めている。そう思うと、僕は貴重な体験をしている事に気がつく。月夜の走りは自分が森の野生動物にでもなってしまった不思議な感覚があった。
           「ウワァー」。突然、目の前が闇となった。その先は切れ落ちた崖だった。間一髪脚を止めることができた。冷や汗が額に浮き上がる。危ないところだった。気を引き締めて走り出した。
           森に入った。月の明かりが届かない深い杉の森だ。大きな岩場を慎重に飛び跳ね続けた。沢に出て、滝に出た。明かりが見えてきた。御岳神社だ。午前1時、スタートして12時間。第3関門を108人目で通過した。

           記憶は既に薄くなってしまっているが、幼少の頃、御岳山には家族で来たことがあった。ケーブルで乗り付ける気軽な山だ。旅館や土産屋が連なる小さな町だ。この時間では人の気配はなかった。静まり返った神社の神水を500mlのペットボトルに満たした。日の出山で女子4位の渡辺さんに追いついた。ピッケルで必死に地面をかいていた。
           ライトが消えた。暗闇の中で電池を変えるのは大変な仕事だった。明るくなると疲れていた気持ちにも灯がともった。「そういえば月は何処だ」、と探した。あれだけ天上から煌々と照らし続けてくれた満月は、西の山陰に沈もうとしていた。オレンジ色だった。月も疲れているみたいな色をしていた。
           杉林の夜道をどんどん下った。膝が痛かった。えりまきトカゲみたいな走り方をした。もうすぐゴールだ。

           眼下に街の明かりが見えてきた。前のランナーがゴールしたのだろう、まばらな拍手が聞こえる。

           「やったー」 13時間38分。96位。 来年は12時間以内では走れそうだ。
           
           残り時間がまだ10時間が以上あり、9割以上のランナーが走っていた。無事に感謝した、合掌。
           

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            立山登山マラニック 2011・8・27

              剣・立山に行くのは33年振りだ。高校1年の時に初めてテントを担いで登った思い出のある山だ。今回は、富山湾にある浜黒崎海岸、海抜0mから、3003mの立山雄山神社に至、全長65kmに及ぶマラニック(マラソンとピクニックを合わせた造語)に参加する。今年で14回目を迎える本大会は、第1回の時から知っていたが、中々走るチャンスがなかった。今回はラン友の竹ちゃんの勧めがあった。1ヵ月後のスパルタに向けての練習に丁度いいし、すごく楽しめる大会だから、と誘ってくれたお陰だ。しかし、今月の初めに、心室頻拍で1週間入院したばかりだった。だから、あまり心拍数を上げないように自嘲した走りを心がけた。当初の目標7時間から8時間にした。
             妻の千夏をはじめ、ラン仲間のエミちゃん・尚ちゃん・西野さんを誘った。みんな初参加だが、千夏以外はスパルタの完走者だ。だから、みんな楽しみながら完走できそうだ。そして、走り終えた後、完走パーティーをする立山室堂にある雷鳥荘に延泊し、剣岳に足を延ばす予定だ。

             朝の4時に浜黒崎海岸に集った。先ずは海にタッチ。それから、223人が一斉に走り出した。
             海沿いを東に進むと常念寺川に出る。そこから遥か上流の雄山頂上を目指す。川沿いをライトの列が延びる。夏のオリオンが東の空に輝いていた。雲一つ無い夜空が白みだしてきた。湿度だ高く少し息苦しさを感じていた。丁度25日前に一度止まった心臓は、今は元気に動いてるが、ダメージがまだ残ってるし、治った訳ではない。もし何かあったら、大会側に多大な迷惑をかけることになる。だから争わず、今まで以上に体調に気を付けて走らなければならない。


             東の空に毛勝三山と剣立山連山のシルエットが浮かんできた。道中、ランナーやエイドスタッフ(補給所の人)に声をかけられた。「さくら道はお疲れ様でした」とか「奥さんはどこですか?」あるいは「おんたけ100マイルは大変でしたね」などと。それに、僕のブログの感想まで色々だった。
             5時54分。予定通りのペースで、22km地点の岩くら寺エイドに着いた。ここから山間部に入る。集落の軒先でスイカと梨をいただいた。少し小ぶりの梨は呉羽梨といい、この辺りの名産らしい。この先、各エイドに呉羽梨があり、遠慮なくかぶりついた。
             


             富山地鉄の終点、立山駅36kmのエイドに3時間34分に着いた。そこで山ガール達に熱い応援をもらった。ここから立山ケーブルで美女平に登り、そこからバスで室堂に向かう人達だ。元気をもらって走り出すが、段々勾配がきつくなり歩き出した。これも予定の内だ。



             高1の時に歩いた立山駅から称名の滝への道を33年ぶりに辿った。あの時も辛かったが、今度も辛かった。深いU字谷の奥に、日本一の落差350m、4段からなる称名の滝はあった。滝と平行するように八郎坂を登る。


             称名エイドから弘法エイドまでの8kmは普通の人なら3時間の行程だ。そこを1時間足らずで登ってきた。本来は退屈な登りだったが、古山さん(スパルタ女子3位)としゃべりながら登ったお陰で退屈しないで済んだ。ここからが本領発揮、のはずだったが、写真を撮りながらだった為、せっかく抜いたのに抜き返される繰り返しだった。それでも少しづつ順位を上げていった。心臓の調子は問題ない。それに、高嶺を見ながらの走りは最高の気分だ。小さな祠の前では思わず手を合わせた。


             立山連峰一帯は、富士山・白山と共に日本三大信仰の山だ。地獄から天上に至までの地上曼荼羅に例えらている。弥陀ヶ原には池塘が点在し、一帯を「餓鬼の園」と呼ぶ。室堂には火山性有毒ガスを吹き上げる「地獄谷」がある。それを見下ろすように閻魔山がある。高嶺を見上げると僕等が目指す雄山神社を中心に、浄土山・大汝山がある。その裏に隠れるように南には鬼岳、北に剣岳がある。特に生き地獄に例えられる剣岳は、国内最後の未踏峰の山だった。人を寄せ付けない険しい岩領帯はアルピニストの憧れだ。明日、あそこに立つんだ。33年前みたいに興奮する。

             室堂エイドには預けた荷物が全てある。そこから一眼レフを取り出し、のんびり写真を撮りながら頂上を目指した。一の越エイドでは既に下山してきた竹ちゃんがいた。4位だそうだ。さすが24時間走日本代表だ。次に山頂から下りだしたばかりの梅ちゃんが来た。毎月1000km走る彼が競技思考になったら、いったいどんな記録を出してしまうのだろうか。明日、梅ちゃんは槍ガ岳に向けて走るそうだ。
             「良一さ〜ん」上から俺を呼んでる。茅野爺とカズーだ。チーム345の仲間達だ。応援序に登山をしに来たのだ。予定通り8時間でたどり着く事が出来た。
             雄山神社にお参りし、千夏達が来るのを待っていた。制限時間は11時間だ。その1時間前に千夏が満面の笑顔でゴールした。その後、恵美ちゃん・西野さん・尚ちゃんがゴールした。




              地獄谷に煙る閻魔山の落日


              ミクリガ池


              玉殿岩屋


              雷鳥坂からの室堂平


              チングルマと剣岳


             来月は、いよいよスパルタだ。完走したい。

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              奥久慈トレイル

                奥久慈は山深いところで有名だ。その玄関口には日本三大名瀑の「袋田の滝」がある。大会受付会場から往復で1時間かかる、限られた時間で余りゆっくりできなかったのが残念だった。
               旅館やお見上げ屋が軒を連ねていた。期待が膨らむ。エレベーターで上がると、木々の間から幾筋もの白い水筋が拡がっていた。轟音を立てる事はなく、さらさらと涼しげに流れ落ちてくる日本的な滝だなと思った。水量の増す梅雨時、紅葉の秋、氷爆となる真冬にも訪れてみたいと思った。


               50キロは、それほど緊張する距離ではなかった。レース前はいつもは緊張して、中々寝つきが良くないのだが、今回は比較的よく寝た気がする。いつも行く丹沢の大山山頂コース25キロを2往復するくらいだから見当は付いていた。しかし、奥久慈の検討違いなタフなコースに面を喰らう事になる。予定では8時間が目標だった。千夏は3時間後の11時間と予想した。制限時間は12時間30分だ。  地平線に緑をたっぷり蓄えた、緩やかな山並みが連なっていた。薄く靄が掛かっている、天気がよくなる兆候だ。やがてぼんやりと太陽が顔をだし、スタートの5時30分を迎える。


               約500人がいっせいに走り出した。およそ3分の1で150番目からのスタートだった。相変わらずトレイルは知り合いが少ないが、今回は良く知っている御門さん、御調くん、田辺くん、千夏のラン友の松本さんの姿があった。しかし、「よくブログを読ませてもらってます」と4・5人から挨拶された。何人かは僕の事を知ってるみたいだ。

              竜神大つり橋(375m)
               
               関門の3つを含め、エイドが6箇所ある。そこを目標に通過予想立ててみた。第一関門(20・2km)3時間、第2関門(10・7km)2時間、第3関門(11・2km)2時間、ゴール(6・6km)1時間である。
               先ずは下り坂、当然千夏は付いてくる。その後の登り坂で後退する。およそ100人目位の位置取りだ。少しづつ順位を上げて50番以内で怪我しないでのんびり走るつもりだった。次の下り坂で「私、千夏」と言い残して僕より先に行ってしまった。きっと気分が良かったんだろう、次の登りで握手して互いの健闘を祈った。狭い山道では大渋滞、「すいません、先を行かせてください」と言いながら無理に追い越していく不届き者が多いいが、直ぐにばてていた。または、いきなり立ち止まり写真を撮る奴、頭に来る。「すいません、脇にそれてからにして下さい」と注意を促した。その後、集団でコースアウトなんかもして思う様に走れず疲労が溜まってしまった。
              ホテルビレッジ

               いったん天下野町の中心街を通り、アスファルトの道を上り詰めると最初のエイドがあった。まだ9200mしか来ていない、1時間35分かけてしまった。スタート前に代表のタッキーが「変化に富んでいて飽きないよ」と言ってたが、この先何が待ってるのだろう。更にその先にはとんでもなく長い階段が待ち受けていた。上りきった所に東金砂神社があり、それぞれ鈴をならしていた。僕も「ジャラジャラ・パンパン」
               その後は気持ちのいい尾根道が続き45番に順位をあげた。その先に女性ランナーが一人いるのには驚いた。第一関門、8時01分。そこに田辺くんが居た。
               
               「いつも早い訳には行きませんよ」本来ならトップ10のトレイルランナーなのだが、体調がすぐれない様だ。しかし、それから2時間後「息を吹き返しました。このままでは終わりませんから」田辺くんには男体山の先で抜かれるかとになるのだ。
               40分後、次の持方村のエイドでのんびりしていたら2人の女性にぬかれていた。それどころかあっという間に70番目になってしまった。「まぁ、予定通りの時間だから焦る必要はないか」とした。
               標高653.9m、男体山付近からの眺めは最高だった。遥か遠くまで見渡せた。中でも足元に拡がる断崖絶壁には驚いた。この先にも岩場が多く、鎖が沢山架けられていた。入道岩、鷹取岩、竜岩、こうなると立派なロッククライミングだ、危ない所ではスタッフが見守ってくれていたが、落石には気をつけなければいけない。
               めったにやらない登り下りを繰り返してる内に、ふだん使わない筋肉が悲鳴を上げ出した。立ち止まって様子を見ている内に、田辺くんに抜かれたのだ。手袋をし、樹に体当たりしながらやっとアスファルトの道に出た。10時29分、第二関門までで更に順位を下げてしまった。頭から沢の水をたっぷりかけて頂いた。少し行くと不動滝が空から落ちてきていた。「ピース」いい所でカメラマンがレンズを向けていた。
               
               僕は、さくら道以後、1ヶ月くらい走りは休んでいた。このレースをきっかけに、再び走り出し、おんたけ、立山、本番のスパルタに向けて走り出そうとしていたからだ。だから順位を追うべきではないのだが、思ったより辛くなり、順位を気にしないと怠けそうな気がしたのだ。100番以内は確実にしたかった。あの30時間に及んださくら道の嵐で、出来てしまった右足の大豆は、今では薄皮の状態だった。川原を何度か越えるうちに水浸しになり、危険な状態だった。痛みを気にして走っていたら、右足の内転筋が、軽い肉離れを起こしかかってしまったのだ。蜂や蝿に纏われながら、大事を取って亀ヶ淵からすべてを歩いた。
               武生山のエイドに座り込んだ。暑さなのか、脱水なのか、力不足なのか、整理がつかなかったが、水を被り続けた。立ち上がり、走り出そうとした時だった。「調子に乗って、道を間違えました」汗だくの田辺くんがやってきたのだ。「もう僕だめ〜っ」と座り込んでしまった。
               アスファルトの道が5300m続いた。走り出したいが、右足の筋肉がブレーキをかける。仕方なく歩いた。「ウルトラランナーが歩いてはけませんよ」再び頑張る田辺くんだった。その後、僕の足が復活し抜いたり、抜かれたりしながら第3関門にたどり着いた。1時14分、かろうじて100番以内みたいだ。
               ここを過ぎればゴールまでもう直ぐだ、6・6km、45分も有ればつくだろう、本当に大変なコースだった。僕には地図を視て、なだらかに見えたのだ。2時に着けそうだ。タッキーに「この先は気持ちのいい下りの林道だよね?」とすっかり気を良くしていたが、「この先も楽しいよ」と言われた。冗談だと思いたかった。しかし、傾斜のキツイ小さな登りや下りの連続だった。気がめいる、コルやピークにあるベンチでひっくり返るランナーも居たくらいだ。僕達ウルトラランナーは下りが苦手だった。だから「お先にどうぞ」と譲るばかりだ、でも登りではトレイルランナーには追いつく事ができた。
               月居山を越えたらゴールのアナウンスする声が届いてきた。やっと終える事ができる。千夏の事が気になっていた。3時間後だと17時30分発の予約していたバスにはギリギリすぎるのだ。「がんばれ千夏」 
               2時37分にゴールした。先に風呂に行き、それから千夏が来るのを待つつもりだった。しかし、不甲斐ない自分の走りで、先に風呂に入る気がしなかった。もたもた着替えてから下山口に向かった。
              御門さん
               「僕の前を走ってましたよ。」第二関門での事

              御調くん
               「足が痙攣して休んでましたよ。」武生山エイドでの事

              松本さん
               「チナッチャンはすぐ後ろ〜」第3関門での事

              袋田の滝上部
               しかし、直ぐには来ないし、空が暗くなる。やがて雷が鳴り出し、大粒の雨が降り出して来た。雨女千夏が、近づいてるのかもしれないと思った。荷物が雨で心配になったから戻る事にした。
               ところが向こうから千夏が荷物を持ってやってきた。リタイヤしていたのだ。後でわかったのだが、首筋に蜂に刺された痕があったのだ。それが原因で痙攣が起きてしまったらしい。しかし、すべてを受け入れていた。
               奥久慈は変化に富んだトレイルコースだった。そして良い経験が積めた。帰り道、「皆で練習しにきたいね」と、話がもりあがった。

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                2009osj おんたけウルトラトレイル100キロ +5キロ

                  昨年、ゴールでウルトラ仲間の小倉さんと加納くんとで、口を揃えて「もう来年は来ない。」と云っていたはずなのに、更に鍛えてバージョンアップして黒光りした足の小倉さんと、一回り足が太くなった加納くんの姿があった。「皆 懲りないね」が最初の挨拶だった。加納くんは、昨年10位で、スパルタやさくら道では常に上位のランナーであり、小倉さんは15位、24時間走では250キロを伺う程のスーパーランナーである。しかし100キロのトレイルを走り、皆が感じたのは、「トレイル専門のランナーにはかなわない」であった。特に下りでは、悲しい程抜かれてしまうのだ。そして足をあまり上げない僕らはよく岩に躓いた。マイスターのエース まつたけが負傷してリタイヤしてしまうのだから・・・。
                 
                 今年は妻の千夏が走る。エントリーしたばかりの頃は「おんたけで、表彰台に上がるんだ」と息巻いていたが、大会が近づいて来るうちに現実を知ることとなり、大分不安の様子である。力も経験もまだまだで、身分不相応なのが現実であった。100キロのウルトラは、2ヶ月前の富士五湖100を一度走っただけで、トレイルは初である。でも、大怪我さえしなければ14時間から18時間で走れるとは思うのだが・・・。  15時間を目標に焦らず走ってもらおう。



                 7月19日 0・00 スタート
                せっかく宿の部屋を借りて、時間まで仮眠するつもりではあったが、やはり興奮して眠れる事はなかった。アクタさんの完璧なテーピングで不安なし、今年は丹沢に何度も通い、足を上げる練習をしてきた。記録を伸ばして、スパルタにつなげたい。
                 えーっ 小倉さん、メイドのコスプレ・・・。山の中、誰も見ないよー。あれに抜かれたら俺、リタイヤするかも・・・。



                 千夏に促され最後尾から600人の内100人目からスタートした。スタートぐらいは一緒にと思っていたが、千夏にはかなわない・・・。
                 スタートして2 3キロ、街を抜け、山道に入る頃チャレメンの三富さんを抜く「随分 後ろですねー」やはりもっと前からスタートすべきだったようだ。5キロ 29分 ほぼ昨年と同じ。
                 10キロ 56分で通過。まだ転んでません。前回大転倒したところ付近を無事に通過。加納くんに追いつき、8人のグループの先頭を引っ張るように飛ばす。15キロ 1時間23分で・・・。突然の大きなガレ場、かなりスピードが出ていた。「ドスン ズル」 記憶が飛んでしまい、冷静になる。「あははは こんな所で・・・気おつけて」加納くんの声がした。左腰の打撲、ライトを持つ右手の裏に小石が幾つもめり込んでいて、肩をすりむきポタポタ血が垂れてきた。やってしまった・・・。ゆっくり走り出す。
                土砂崩れの為に今年は5キロの迂回をしなければならなかった。沢沿いには蛍の淡い光があった。
                 25キロの小エイド 2時間14分 初めて使うハイドレーションの使い方に戸惑った。そして傷口を洗う。長い登り、歩く加納くんに追いつき、第一関門までをほとんど二人で歩いてしまった。関門手前で小川比登美さん、前シリーズの覇者に抜かれ力の差を痛感し、やる気がうせてしまった。

                 第一関門 40キロ 4時間19分 60位
                前回より順位がいい。アクタさんが女王 小川のサポートをしていた。関門を出て間も無くだった。目の前をフクロウが横切った。目を青く光らせ、白い大きな翼と体、まさに森の主だった。
                 昨年と同じ所から明るくなりだし、元気になってきた。小川さんを含め15人を抜いて55キロの小エイドに到着した。千夏はどうしているだろうか、予報通りの雨が本降りに、沢の流れが迫力を増す、心配だ。加納くんの姿はなかった。ところがメイド服がやって来るではないか、そして抜かれてしまった。60キロからの登りで小倉さんを抜きかえす。メイド・・・。恐るべし。
                 残り45キロ、得意のエリアだ、抜ける、抜かされないエリアである。ほとんどが登りを歩き、下りを走
                 中、ただ一人後半の登りを走ることができた。激しい雨、走れているからありがたいが、歩いているとかなり冷える、千夏は走れているだろうか・・・。うっかり下りで足を岩に引っ掛け、宙を舞い、ギリギリ足だけで踏ん張った。後5センチで顔面を打つところであった。レースに集中しないと・・・。



                 第二関門 71キロ 7時間50分 29位
                元チャレメンの松本さんがエイドで献身的に動きまわっていた。「すごい 良一さん30番以内ですよー」と云いながら預けておいた補給食を持ってきてくれた。千夏の情報を尋ねたが、全く解らないようだ。残り35キロ、三分の一。エイドのおにぎりを二つ手にして、僕と入れ替わりに先行した5人を追尾する。
                 道の泥濘には足跡がくっきり残っていた。その中に僕の足跡をのこした。後ろの千夏が僕のだと気が付き、着いて来るように祈りながらだ。
                 辺りは霧が立ちこみ、時折後押ししてくれる風がありがたい。あちらこちらで囀るウグイスの鳴き声が爽やかである。突然明るくなり、強い日差しに照らされたかと思えば、いきなり暗くなってザーザー激しく雨が降り出したりした。斜面から小石がコロコロと、時にはガラガラ音を立てて足元に落ちてくる。松の大木が倒れていた。気を付けなければ危ない、そんな所でランナーズのよく知っているカメラマンがレンズを向けていた。
                 前の5人はばらけていたが、彼らを抜いてから暫くは一人旅となる。誰も居ないし、同じ様な景色の登り下りで実に退屈だった。大きな下りの先に第3関門がひっそりと待っていた。

                 第3関門 86キロ  9時間25分 23位
                スタッフが5人と横たわるランナーが見受けられた。素麺を二杯頂、サプリやゼリーを必要以上に口の中に流し込んだ。なんだか体の中がカッカと暑くなってきた。
                 急な登りが待っていた。昨年は見えているランナーに追いつく励みがあったが、追い込む材料がなかった。スタートして10時間、千夏は第2エイドに到達して、松本さんに元気をもらっているだろうか。
                 山を下り切ろうとする手前で杖を突きながら必死に走るランナーに久々に追いついた。舗装道路に出て橋を渡るとエイドがあり、たった一人で選手達を待ってくれていた。「残り6キロです」見渡す限り人影なし、頑張っても順位には変動がなさそうなので、たらたらゴールを目指した。まあまあの出来にホッとしながらのジョグ、村人と言葉をかわしながら残りを楽しんだ。ゴールの公園が見えた。後1キロ、少しペースを上げてゲートを潜った。「しっかりとした足取り、佐藤良一さん、まだまだ余裕」昨年は「さらに長い250キロを走るのがご趣味」が場内に響き渡った。





                 午後1時から表彰式が行われ、その後送迎バスで一旦宿に戻り、着替えて戻ってきた。うまく走っていれば14時間、バスの運ちゃんに「妻が14時間でゴールするかも知れません、少し待ってもらえませんか」とお願いをして2時に間に合いホッとした。天気予報は雷雨、可愛そうに・・・。
                 第二関門のリタイヤバスが来た。姿なし、もし乗っていたとしてもたいしたものだと思う。
                 15時間、約束の時間だ。凄い雨、雷、僕は傘もささずに遠くまで見渡せる丘の上から千夏のオレンジを探した。バスの運ちゃんが僕を見つけてクラクションを鳴らして励ましてくれた。
                 16時間、第3関門が閉鎖された。第3関門のリタイヤなし、千夏がゴールに向かって必死に歩いていて、残り5キロだと言う情報「千夏、がんばれ もう少し」 オレンジが見える、しかし千夏なのか雨が酷すぎて確認できない、取り合えず手を振って叫んでみた。反応がない。すると間も無くゼッケン298のランナーがゴールします、のアナウンスに慌てて走り出す。そのときビーチサンダルでした。滑ってうまく走れません。あーっ 千夏が勢いよくゴールする・・・。松本さんや表さん、加納くん、小倉さん、三富さん達にもみくちゃに祝福されていた。僕は「よくやった よくやった」を連発、本当によくやった。   



                              11時間32分 18位  年代別5位
                    千夏       16時間31分 232位 年代 2位  表彰台
                    
                    加納       11時間57分 29位
                    小倉       12時間21分 42位
                    三富       14時間25分 124位

                0

                  OSJおんたけウルトラトレイル100KM 2008 7.20

                  まさに緑に囲まれたと言う表現がピッタリな霊峰木曽の御嶽山の玄関口、王滝村へやってきた。御岳開山日とあって、巡礼者を乗せたバスが引っ切り無しに通り過ぎていく。  受付をしに松原スポーツ公園にやって来た。100Kのウルトラでありながら知った顔があまり見られなかつた。本格的な国内初の100Kトレイル、今まで30か40Kの短いレースしかなかったから、走り切れるのか不安な様子のランナーが多く見受けられた。僕はと言えば距離に対しての不安よりむしろ下りで転ばないか心配だった。目標は石川弘樹が8時間から10時間と言っていたが、僕は10時間から12時間で10位から30位とみている。だが第一回大会なので、とにかく走ってみないと全く分からないのだ。



                   午前0時 マイスターの松下くん、梶さん、石田くんが集まった。その他にもスパルタや24時間走の小倉さん、加納くん、ジャーニーの貝畑さんの姿もあった。スポットライトを浴びているのはトレイルのスター石川と鏑木である。そしてスタート。388人が村を抜け600M上の最初の登りに取り掛かり、息を荒げる。5Kを29分、10Kを1時間、順調だが足場が悪い、こんな道がこの先90Kも続くのかと思うと気が重くなる。トレイルランナー達は足場の悪い下りを楽しむ様に早く走れる、羨ましい。そして心配していた事が起こってしまう。振動のせいかライトの接触がわるくなり消灯、そして転倒、右の肩から肘まで打撲し動かせなかった。左手の平は小石が食い込み血が滴っていた。ライトの玉が3つあるうちの2つが切れて殆ど足元が見えていない、走れっこない、リタイヤを考え22Kのエイドまで歩いた。その間に知った仲間に「気おつけて」「ゆっくりね」と励まされた。そうだ目を懲らし気をつければゴールはできる。まだ始まったばかりで制限時間はたっぷりある。明るくなるまでの辛抱。だんだん勇気と希望がわいてきた。その後再び転倒するが、33Kの第一関門で視界が拡がり、少しずつ明るくなってきた。予定から90分送れの3時57分でなんと90位、転倒してから約80人に抜かれた事になる。ここから再スタートだ。満月を見上げ、遠くから獲物を一人づつ狙うハンターと化し、順位をどんどん上げ駆け抜けた。


                  満月と王滝川
                  47Kエイド59位。三浦貯水池に朝霧が漂い柔らかい朝日が差し込んできた。50Kのポイントを丁度6時間で通過する。野鳥の囀りが爽やかである。キツツキの軽快な木をつつく音が谷間に響いていた。やがて霧はすっかり消えてしまい、真っ青な青空が拡がって来た、かなり暑くなりそうである。そして御嶽山の雄姿、リタイヤしなくてよかった。
                  第二関門への高低300Mの上りだ。パワージェルを水で流し込み、勝負に出た。松下くん発見、顔面に傷を負っていた。更に石田くんの姿、暫く着いて来たが後退していった。僕らウルトラランナーは普段余り足を上げずに走るから、よく石に躓き傷だらけだった。対してトレイルランナー達は踊るように下っていった。登りで再び追いつくと言う繰り返しだった。エイドに座り込み、素麺とトマトときゅうりを胃の中に押し込み、預けていた後半の補給食をバックパックに収めた。実はこのバックパックは昨日受付会場で良さそうなので買ったのだ。多少磨れたが、走っているうちに段々馴染んできた気がした。
                  65K 7時46分 42位。



                  再び前のランナーを追尾する。スパルタは夜中だが、まるでサンガスの上り下りみたいな道が続いていた。日陰は涼しいが、日向は解けてしまいそうなくらい強い日差しが降り注ぐ。登りではどんどん抜けるのだが、下りはトレイルランナーには全く歯が立たないでいたら、ここにきて下りでも追い抜ける様に状況がかわってきた。更に加速がついた。そんな中、ふらふら歩いていた黄色いシャツのランナーが息を吹き返しピタッと背後に着いてきた。危ない、離れようとしない、200M登り500Mの下りにも着いてきた。このパターンが僕は大嫌いだった。幸い前に他のランナーが見えたときに、ペースを落としパワージェルを取り出し水でながしこんでいるうちに、そのランナーに取り付いてくれた。他力本願タイプなのだろう。第三関門80K 9時45分 30位



                  おにぎりを3つとパワージェルを頂いた。直ぐ横に湧き水を見つけ、全身に浴びてリフレッシュした。傷口や磨れた所にヒリヒリ沁みた。そして不意を着く様に黄色シャツを抜き去り、12時間以内ゴールを目指してさらに順位を一つづつ上げていった。なんだ下りは思い切りが必要だったんだ、今更気がついた。92Kのエイド手前で女子1位を抜く、しかし水を飲んでいるうちにエイドをパスして行ってしまった。その気迫にたじろぎそうになったが、舗装道路に出れば走りは慣れているからこっちのものだ、しかし必死に追いつき、引き離しにも必死だった。マイスターの本メンバーとして女子に負けたら・・・逃げる。大滝川の橋を渡り、後ろに姿のないのを確認、落ち着いてゴールを目指した。「ゼッケン79番佐藤良一さん、更に過酷なスパルタスロンが御趣味・・・。」変な紹介のされかただった。11時間34分 23位
                  年代別7位 6位入賞すらとどかなかったが、楽しんだし収穫もあった。反省して来年はキッチリと10時間を目指したいものである。
                  完走241人

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