スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 2017.06.06 Tuesday
  • -
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

0

    LA ULTRA THE HIGH 333km w-up



     
     TIKSE〜MATHO(10km)
     
     7月29日、ラダックに到着した。ミラズハウスからツェワンに車でマトゴンパまでの入り口に送ってもらい、歩き出した。まだ高度に慣れていないから息が切れる。そこへ乗り合いタクシーが通りかかり、乗ることになった。先客たちは緊張気味だったが、揺れる車内で次第にお互いの肩の力は解れ、僕がチョコを上げたのもあってか和やかな雰囲気となった。運転手が片言の英語で話しかける。「なんでこの暑い中外を歩いていたのか?」、「エクササイズだ」、「ではお金を払わなくてもいい」、となった。先客たちは、全部払ってくれないの?という顔をしていたが、運転手は俺が勝手に乗せたんだから、となだめていた。
     女人禁制の筈ずのマトゴンパの宿坊には何故か白人の女が二人暮らしていた。境内には誰もおらず、大きなチベット犬が二匹、日陰で昼寝をしていた。堂内には鍵が掛けられていた為、残念ながら引き返すことにした。
     見当で歩いていたら運河に行く手を幅まれ難儀する。運河沿いに暫く歩くと丸太が掛けられていた。落ちたら流される。それを勢いで渡った。
     その後スタクナゴンパを通り抜け、ミラズハウスに戻ってこられた。



     LEH〜SABU〜LEH(25km)

     7月30日、本当はレーからミラズハウスまでトレッキングする予定だった。殆ど使われていない道だったから、見当で歩くしかなかった。この日もツェワンに登り口まで送ってもらった。標高4000mの峠までは人が歩いた跡は鮮明に残っていたが、そこからは不鮮明な足跡が無数に広がっていた。僕は山の奥に続く足跡の一つを辿ることにした。更に高い峠にはタルチョウが風に揺れていた。次の峠は標高4600mだと思われる。その上部に人影があり安心して歩き出した。
     歩き出して3時間が過ぎようとしていた。乾燥が過ぎるから持ってきた3Lの水の半分が飲み干されている。そろそろ降りださなければならない、しかし道は更に山奥へと伸びていた。前を歩く人影は既になく、途方に暮れた。僕は沢沿いのガレ場を下りだした。1時間後、遠くにサブー村と思われる緑オアシスが見えてきた。目的の村サブーだった。随分遠回りをしてしまったことになる。さっきの人影はおそらくディガラ峠5130mに向かったのだろう。
     僕はサブー村から本来の道を探し歩き出した。再び次の峠を目指したのだ。昔、誰かが積んだチョルテンは残っていたが、誰かが歩いた形跡がなかった。地図で見当をつけ、進んだ。ガレ場に行き当たり、取り付いたが諦めた。危険だ。そこまで無理して予定を貫くことはないと考えた。
     村に戻り飲み水を探したが、川の水しかなかった。諦めて車道まで降りる。チョグラムサルまで4km、レーまで7kmだった。バスの便を考えてレーに向かうことにした。砂漠の中にアスファルトが伸びるだけの単調な道が続いている。水は殆ど飲みつくされていた。どんどん精気が失われる。やっと売店を見つけたのはレーの入り口だった。冷蔵庫にあったレモンソーダを一気に飲み干したかったが、目眩がして休み休み呑むことにした。
     バス停前の売店では1Lの水を飲み込み、コーラを片手にバスでミラズハウスに向かった。西日がバスの中まで射していた。それが有害であるかのようにチリチリと肌を焼いた。


     7月31日、TIKSE〜NAN(15km)

     高度にも慣れてきた。今日は走れそうだ。何台もの乗り合いタクシーには赤い袈裟をきた僧で一杯だった。ゴンパで何かが行われているようだ。気持ちが逸る。ナンゴンパに付くと弓技大会が行われていた。会場は緑に囲まれ、小河のせせらぎが気持ちのいいところだった。赤い袈裟をなびかせた僧たちが大勢いた。ぼくは朝食に呼ばれ、カメラを彼らに向けた。弓を引こうとしたラマが血相をかえてやってきた。「カメラを向けるな」、彼らは真剣勝負をしていたのだ。ただの娯楽ではなさそうだ。もしかしたらレー周辺のラマが集合し、戦う大事なイベント中がったのかもしれない。僕が帰っても珍しい外国人を見送ろうとする人はなかった。誰かが100m先の的に当てたらしく、林の中が賑やかになった。


     8月1日、TIKSE〜STKUMO(20km)

     この辺りは何処を走っても景色が殆ど同じだ。早朝のゴンパではプジャが行われるが、暑い昼間は僧達の姿はなかった。スタクモゴンパには一人の村の老人がマニ車を回していた。老人に促されてついて行くと井戸があった。その水を飲めという。冷たくて気持ちのいい水だった。
     帰り道、イスラムの行進に出くわした。なんだか様子が変だ。天を仰ぎ、自らの身体を両手で叩いていた。いやそれどころではない、血だらけになりながら鎖で身体を叩き、挙句の果てに気を失う人たちもいた。300人程の行列だった。これはイスラムの聖者の無念の死の痛みを分かち合う、というものなのだ。この行進で長距離トラックや、ツアー帰りのジープなどの車が2kmほど渋滞していた。


     8月3日〜7日、ストクカンリ(6140m)登頂
    マーク、ホセ、サトウ、ガイド(テンジン)他サブガイド、キッチンボーイ、馬3頭と馬主のパーティー


     憧れの6000m級の登山だった。同行するイギリス人マークとスペイン人のホセも始めての挑戦だった。マークはホセのサポートを受けてスパルタを4度走っている。この大会も二人のコンビで二年前にも挑戦していたが、完走はできていなかった。彼は僕のファンだという。それは後の話にする。


     第一日目は4700mでキャンプ。高度順応のために周辺の山に登る。今日は5000mまで高度を延ばす。
     食事は朝がトースト、昼がダルバート、夜はパスタにダルバートにケーキだった。僕とホセは頭痛に悩まされていた。


     ストックカンリ アタックの日。昨日は5700mまで高度順応をしていたが、順応したのがマークだけで、僕とホセは相変わらず頭痛に悩まされていた。早朝1時、アタック開始。歩くと頭痛は薄らいできた。
     氷壁に取り付いた。流石に厳しい山だ、と気を引き締めてピッケルで確保をしながら上部を目指した。すると雪の無い斜面を団体が、高度を上げていく光の列が目に入ってきた。サブガイドがミスったのだ。彼はネパールからの出稼ぎガイドだった。最短の道で登ろうとしたのだ。僕の知っているネパール人ガイドの同じ登り方だ。僕達はアイゼンに履き替え、難所をなんとかクリアできた。その時サブガイドは50mほど先を歩いていた。「あんたガイドだろ」


    標高6140m、ストックカンリ、登頂。体内酸素濃度84だった。レースで苦しむことはなさそうだ。山頂でギターを弾くフランス人がいた。神々しく見えたが、詩の内容が「畜生・畜生・畜生」だったから呆れた。

    帰り、サブガイドの暴走で足首をひねってしまった。荷物を持ってはくれたが、この捻挫に不安が残った。不安の無い日はないのか。

    0
      1

      profile

      links

      NHKおはよう日本に出演

      動画 YouTube     (2013 LA ULTRA THE HIGH 222km at RYOICHI SATO)            2013年、8月3日

      selected entries

      categories

      archives

      recent comment

      • 直視する勇気・貧困の世界
        マモー
      • みちのく津軽 ジャーニーラン200km
        佐藤
      • 直視する勇気・貧困の世界
        KAORI
      • スパルタスロン14回の記録
        チャンドラ佐藤
      • スパルタスロン14回の記録
        mu
      • 淀川100km
        TAKA
      • 直視する勇気・貧困の世界
        midori manaka
      • 直視する勇気・貧困の世界
        まりこ
      • 心室頻拍(不整脈源性右室心筋症)
        走り出したチャンドラ
      • 心室頻拍(不整脈源性右室心筋症)
        TAKA

      recent trackback

      recommend

      recommend

      search this site.

      others

      mobile

      qrcode

      powered

      無料ブログ作成サービス JUGEM

      PR