LA ULTRA THE HIGH 333km START


 
 その後、それぞれが高度順応をしていた。これをしっかりやらないと話しにならないのだ。
 8月14日、標高4500mのシャンティーストゥーパをスタートして、無名の4600mの峠を越え、ピャン村までの18kmトレイル大会が行われた。選手とスタッフの殆どが参加したが、マークとホセ、ジョン達は家族サービスで姿はなかった。僕はビデオカメラを持ちながら楽しむつもりだった。ここで必死になっても意味がない。もし怪我でもしたら目も当てられない。最後尾からビデオで全員を見送って走り出した。しかし直ぐに先頭に出てしまった。皆がスタートから歩いていたからだ。僕は高度順応が十分だったし、日本を発つ前から悪くしていた坐骨神経痛に刺激のない範囲で走るつもりだった。ジャップが登りは歩こうよ、というから僕も皆と一緒に歩き出した。やがて緩やかな下りになり、ジャップの下りぐらいは走ろうということで走り出した。少し登りだしたが、僕は走り続け、少しずつ後ろの気配が遠ざかっていった。決して無理をしているわけでわなかったから、そのまま走り、きつい登りを速いテンポと少しでも長い歩幅で進んだ。最初の峠から振り向くと、111kmに参加のインド人青年と、同じく111kmを走るオーストラリアの女性、333kmのニュージーランド人ジャップ、333kmのデンマーク人マイケルとキムの姿が続いていた。所々でスタッフがエイドをしてくれていたから、遠慮なくがぶ飲みさせてもらいいた。
 結局、僕が優勝した。正確には優勝にしてもらった。実は、よそうに反して僕の走りが速すぎてゴールにはまだ誰も着ていなくて、ぼくはゴールと思われるピャン村の中を登ったり下ったりウロウロしていたのだ。僕は途方にくれながら大声で叫んでいた。「くっそー、ばかやろー、ゴールは何処だー」。折角トップで来られたのだから必死だった。そこへ僕の声を聴きつけたスタッフが着てくれ、街ではなく河原のゴールに連れて行ってくれた。ちょうどインド人青年とジャップがゴールするところだった。「サトウサン、ナンデマダハシッテルノ」、ジャップは日本で働いていたことがあるから日本語だった。「ゴールシテモ、タリナカッタノ?」
 僕はダントツの優勝ということになった。僕は弁当を頂、迷いそうな地点までインド人青年と戻ることにした。そこへデンマーク人二人がやってきた。二人は僕の前で立ち止まり、2m近い身体をかがめて「完敗しました」、と跪いてくれた。ここで勝っても意味ないんだけどな。















 8月19日、スタート地点ヌブラに向かう。そこで一泊して夜の10時にスタートだった。緊張して中々眠れないのはいつものことだった。
 翌日20日は千夏がラダックに到着している予定だった。きっと90km地点のサポートとの合流地点で僕に会えるのを楽しみにしているに違い。しかし不安が発覚した。午前中のメディカルチェックのとき血圧に異常があったのだ。下が113、上が186。二度目も大して変わらなかった。昼にもう一度結果が悪かったら走らすわけにはいかない、と言われてしまった。そういえば朝からふらついていたのだ。それがその一言で本当に立ち眩みがした。スタッフは、僕の身体に異常があることをとても心配しているのだ。
 昼、各国の国歌が流れ、選手の紹介がなされた。本当に走れるのだろうか。そして検査の結果、走れることになった。下が104、上が160だった。決して良好な数値ではなかったが、良しとなった。その後も気乗りせず、横になって安まなければいけなのに、気分を変えるために本を読み続けていた。僕はラダックに付いた晩に気になる夢を見た。僕が自分の墓の中に片足を入れそうになる夢だった。それを僧になったことがあるツェワンに、この夢はどんな意味があるのかを尋ねたことがあった。その時は、きっと先祖が最近墓参りに来ないからなのだということになった。どうも気乗りしない。とにかく、生きて千夏に会いたかった。そして、スタートの時間となる。
 とにかく寒い。時間まで皆ダウンを着込んでいた。「寒い」、という各国の言葉を残し、走り出した。誰もいない砂丘の中の一本道だった。先頭は111kmの部の5人だった。その後を僕が追っていた。つまり333kmの先頭ということだった。このまま行ければ千夏が喜ぶぞ、と思ったのも束の間、10kmも走らないうちにジョンに抜かれ、マークにも抜かれた。早くも坐骨神経痛が起きだしたのだ。辛いレースになるなぁ、と観念するしかなさそうだ。
 二度目だったから、それほど長くは感じなかったが、第一チェックポイント47km、ノースプル(4740m)は去年より30分も遅い7時間24分。去年だったらタイムオバーだ。今年の333kmの部に関しては8時間に設定されていた。しかし111kmの部は昨年と同じく7時間だった。111kmの部は遅いなりに全員抜いてきていた。僕の前にはジョンと、現在歩きで前後しているマークだった。この二人には二年前の222kmのこのレースを観に来た時に思い出がる。スターとして間もない20km地点でジョンがスタッフカーの横で椅子に座っていた。僕が写真を撮ろうとしたところ思い切り睨まれ、「邪魔しないでくれ」といわれてしまったのだ。苦しそうなジョンの姿を見て完走は無理だと思った。マークは120km地点で会った。ミラズハウスの裏でだ。そろそろ誰か来るだろうと暗闇の中に現れたのが彼だった。「おーサトウ、もう何度も吐いて走れない」と言っていた。二人は二度目だったがこの時も完走はできなかった。今年は3度目の挑戦だった。
 カルドゥン峠5602mに辿り着いた。その時、僕はジョンに次ぐ二番目だった。僕はここでも厳重なドクターチェックをしなければならない。そのドクターチームが来るのを車の中で30分も待っていた。その訳は、ノースプルでのリタイア者の対応に追われていたのだ。結局、111kmの部4人と、333kmのブリッジ、アレックス、ジェイソン達の対応に追われていたのだ。今年のノースプルの最低気温が−16度だったそうだ。低体温などでドクターストップにされたランナーもいたそうだ。僕の対応は大幅に遅れた。こんな高地にいつまでも居ては危険だ。その頃から僕の両手は腫れてきていた。それをスタッフ達が揉んで決行を促してくれる。ドクターチェックが終わる頃にはマーク、キム、マイケル、ジャップに抜かれていた。こんな繰り返しをしていては勝つ見込みはない。更に健康状態にも問題が起きていた。血中酸素濃度が69だったのだ。70以下は走らせてはもらえなかった。しかし、僕は走り出すことが許された。それは僕の強い意志と経験だった。それに長時間高所に居続けていた結果、酸素濃度が低下したのだから、と言う理由からだった。
 僕は再び走り出した。不安の感じるくだりだった。僕の両手の腫れはパンパンな風船の様になり、その色が青黒く、そして冷たかった。そして寒さで坐骨神経痛が酷くなり、頑張って10kmは行けるが100kmは到底無理だと思っていた。こんな姿をわざわざ日本から会社を休んで来てくれた千夏が見たら、さぞがっかりするだろう。無理だと解っても、千夏に少しでもサポートさせたい気持ち、限界まで競技するのだいう気持ちで千夏の待つポイントを目指した。
 もしかしたら千夏が居るのではないかと思われたサウスプル4740mには姿がなかった。やはり約束のタクシーエイドなのだろう。再びドクターチェック。酸素濃度は86に改善されていた。しかし、両手が更に膨れていた。ドクターにしっかりマッサージしながら走るように言われた。ややすると今度は視界が二重になり、気分が悪くなる。痺れる左脚に身体は傾き、真っ直ぐ走れなかった。命の危険を感じだしていた。障害が残っても無理矢理完走して、ランニング人生にピリオドを打ってしまおうと考えていた。
 ジャップに追いついた。彼は111kmで止めると言っていた。しかし、僕が見ての通りの姿でも諦めないのだから走ろうと投げかけた。二人は休憩地ゴバゲストハウスまでは頑張り、それから先のことは休んでから決めることにした。
 二重に見える景色は頭を右に傾けると焦点が合うことが解った。そして千夏が待つタクシーエイドまでやってきた。千夏に会ったら泣き出すのでは、と思っていたが申し訳のなさに涙は出てこなかった。「ごめん、予定の2時間以上も遅れてしまった」。両手の腫れは血色が戻っていたが、身体が左に折れ曲がり、頭を右に倒した姿はふざけているしか思えなかっただろう。「さっ、ここからよ良一さん」「ジャップさんはマイナス思考だから先に行くわよ」と、ストックを持たされた。彼女の全てが正しかった。
 
 
 
 




 僕と千夏、ツェワン、3人で歩き出した。2000m以上も降りてきて、太陽が真上から攻撃を仕掛けてくる。今度は暑い。二重に見える視界は更に酷くなった。危険を感じる度に、日陰の石に腰を掛けて休ませてもらう。その時、近くに居たただ一人生き残っていた111kmのオーストラリアの女性と度々座り込んでいた。だが彼女は111kmのゴールを間近に残し、リタイアした。 僕はゴバゲストハウスに辿り着き、一休みしてから今後のプランを考えることにした。制限時間がまだ6時間残っているのだ。
 諦めると言っていたジャップは歩き出し、マイケルが戻ってきてリタイアした。今、コースに残るのは僕を除き4人だけとなった。僕が横になっている時、主催者であるDrラジャとツェワン、千夏が話し合いをしていた。そして千夏が言ったのだ「このままでは更に障害が増えるからここで止めて欲しい、と頼まれた」と。「皆、心配してるから答えて上げて」、彼女は納得したくはないだろうが、リタイアする意向を伝えに行った。先ずはDrラジャの元へ、これがスタート時のぼくの決意だと伝えた。「第一に大会側には迷惑を掛けない。第二に完走を目指す。第三に優勝を目指す」と。Drラジャが有難うとハグをしてくれ、ぼくは涙を流した。それからツェワンの元へ、奥さんの裕子さんもいた。伝え終わると「申し訳ない」とまた泣いた。ツェワンは言ってくれた「偉い判断だったけど、それが正しい」と。Drラジャは医師だ。診断によるとこうだ。
(高地で酸素が不足していた。僕の身体に埋め込まれた機械が心拍を60にしょうとする機能が更に酸素不足を助長し悪化させた。生命維持するために生きることに必要のない順に血液を止める自己防衛反応で、身体の末端である手足が浮腫み、血が止められ青黒く冷たくなった。更に脳に障害が及び、視力にも影響がでた。休んだが、38度の熱があった。)だから見ていられなかったのだそうだ。





 後日、残る4人の応援をしに第二の峠ワリラ5300mに向かった。4700mのベースキャンプで選手を待つことになった。キム、マーク、ジャップ、ジョンの順だった。キムは寡黙に歩みを続けていた。マークは僕が元気だったことを喜んでくれた。ジャップは絶対にサトウサンの分まで諦めないと言ってくれた。ところがジョンがワリラの峠近くでふくらはぎ肉離れのためリタイアしてしまった。肉離れで残り150kmはきついと判断したのだ。その後ジャップも222kmで力尽きた。




 その翌日は三つ目の峠タグランラ5317mに向かった。峠の登りで二人を見つけた。マークが先頭でキムが3km後方だった。この峠の登りの距離は36kmと長い。僕と千夏はマークに付いて歩き出した。千夏は折角だから世界第二位の峠を自分の足で歩きたいと言い出し、マークには僕が必要だと思ったからだ。僕は流暢に英語が話せなかった。そんな僕のことを皆に紹介してくれていたのがマークだった。「サトウに会ったのは2007年のスパルタだ。俺の始めてのスパルタだった。俺はリタイアした。ゴールで最初に見たのがサトウさ。フラッグを掲げ誇らしげでかっこよかった。彼は10位だった。スパルタで10位だぞ、凄いだろう、14年連続参加して8回も完走してるんだ。今は心臓を患いペースメーカーを入れながら走っているんだ」マークはこの大会で僕と走れることをとても楽しみにしていた。ストクカンリ6140m登頂も一緒だった。彼はもっと人生について深い話ができればいいのに、と思っていたそうだ。マークの仕事は精神科の先生の先生、スペインでは超有名な先生なのだそうだ。
 僕はろくに話すこともなく、黙って歩き続けた。少しずつ千夏が遅れだした。僕は千夏と歩き出した。そこへ333kmで問題外に早々のリタイアしたブリッジがマークと共に歩き出した。ドイツ人の中年女性だ。可愛そうにマークはブリッジのおしゃべりの相手にされていた。人のいいマークは息を切らせながら応対をしていた。話の内容は体調の心配や人生観、ラダックの自然など多岐にわたっていた。マークは苦痛そうだし、体調の心配をしてもブリッジは何かをするわけでもなかった。むかつく女だ。
 キムとマークは峠を越えた。僕達は35km先のゴール地点に向かった。そこはマナレーとツォカルの分岐点だった。スタッフテントでダルバートのランチを食べて二人が来るのを待った。
 そして夕暮れ時、あの女、ブリッジが撮影会を始めたのだ。ゼッケンを付けての成り切りゴールシーンだった。僕も千夏もあきれ果て、撮影シーンを撮影してやった。後日、ドイツ新聞にこの時のシーンの記事が大々的に掲載されていた。そこには完走者キムの写真はなかった。こういう人って何処にでもいるのだな、と本当に頭にきた。




 この日は千夏の誕生日だった。完走して祝いたかったが、とても残念だ。バスの中で暖をとっていると、スタッフ達が今日は千夏の誕生日だからと唄を歌ってくれた。星空の元、おんぼろ宇宙船の中でのハッピーバースディーな気分だった。
 訃報が届いた。マークが棄権したのだ。僕と千夏は星空の写真を撮りながら悔し涙を流した。
 制限時間20分前、キムがゴールした。たった一人のタフな完走者だ。この大会は絶する想像を絶していた。

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    LA ULTRA THE HIGH 222km ラダック

      ヌブラ訪問の日程には重大な目的があった。それはTHE HIGH222kmレースの下見をすることだった。だからこの日に合わせて日程を組んだのだ。エントリーは30人と訊いている。どんなレベルで誰が走るのか知らない、様子を見ながら選手を一人ひとり追いかけ、来年僕が走る参考にするつもりだ。 
     パナミックを朝早くに出発した。さぁレースは始まっている。僕は選手でもないのに昨夜から興奮と緊張で寝不足だった。カグドゥン峠までは全選手に追いつくはずだ。スタート時間は6時、僕らは9時にスタート地点のカルザックを通過する。低酸素だし、日差しが強く乾燥している。高度は3200mから5600m、高低差2400m、42kmの長い登りだ。今頃最後尾は時速4kmで歩いているだろう。トップも時速6kmで進んでいたら超人だ。走り出しの低地では、皆走れていただろう。想像しただけで武者震いをした。
     10時、ランナーが見えた。25km地点だろうか、早くもばてていた。声を掛けようとしたらサポートチームに「静かに」、と叱られてしまった。スタートして4時間、多分、完走は無理だろう。1km先に71歳の男性、更に1km先に女性ランナーが歩いていた。ここまでの3人は完走ができるか疑問だ、出場条件を満たせたのが不思議だった。(参加条件・スパルタスロン、サハラマラソン、バドウオーター、アンナプルナ100、ツールドモンブラン、レベルを3レース以上完走)残念ながら、実際に完走ははたせなかった。
     峠近くに幾つかの点が動いていた。それは先日ラダックのフルマラソンを走ったスパルタを走る4人だった。「応援の為にまだラダックにいたのか」、僕に気づいた彼らの驚きようは凄く嬉しそうで、キラキラしていた。先は長いし、乾いた景色に変化はなかった。僕が来たことで少しは役に立ったようだ。峠に先回りして皆が来るのを待つことにした。




     峠で待っているとき、一人の日本人女性に声を掛けられた。シンガポールで会社経営する方だった。初めてラダックに来て、ガイドと共にこれからヌブラに行くそうだ。これからランナーが来る事を教えると興奮して「ちゃんと見なくちゃ」、と言うことになり応援してくれることになった。更に来年僕も走ることを告げると、彼女もシンガポールから応援に来てくれることになった。
     トップはデンマークのネルセン、次に登ってきたのがマレーシアのソウコン、続いてスペインのマーク、デンマークのラスーセン、アメリカのビル、マークとブラウンが一緒だ。マークはラダックのフルマラソンで優勝者だ、パワフルな走りはまだまだ健在だ。ブラウンは日本語を話す。シンガポール社長を交え少し雑談、どうやら日本にもビジネス展開をしているそうだ。どうりでペラペラな訳だ。

     後ろの三人はまだまだ来る気配もなかった。僕たちはレーに降りることにした。この道は軍事的に主要道だった。道路の補修をラダック人ではなくインド人達が出稼ぎで働いていた。工事現場でそのインド人労働者達が車に乗せてくれ、とドライバーのギャンツェと口論していた。総勢12人、荷台に乗り込んだ。車体は重たくなり、下りは迫力満点となる。荷台では危険を回避するたびに歓声が沸く。せめてガードレールが無理でも、危険な所に大き目のガード石を置いて欲しいと思った。丁度危険そうな所に赤い旗があった。覗くと谷底に一台のトラックが転がっていた。これで労働者達の謎の行動のわけが解った。下に落ちたトラックが彼らを迎えに来るはずだったのだ。レーの手前で降りていった。
     今回のヌブラ行きで、ギャンツェは沢山の人を車に乗せてあげ気分も上々だっただろう。しかしガソリンの消耗が激しく、ガソリン代を僕が立て替えることになってしまった。100Rs,120円くらいだけどギャンツェ、100Rsも持っていないのかよ。



     ミラズハウスに帰ってきた。ここはTHE HIGHの100km地点くらいの所だ。夜11時、気になって通りで待っていると二つの明かりが近づいてくる、マークとサポートの二人だった。3番目らしい。何度も吐いたと言う。とても苦しそうだった。17時間が経過している。眠くなる。この先再び5400mの峠を登る。いったいゴールまで何時間かかるのだろうか。待っていても中々次が来ないから退散した。

     ルプシュトレッキングと今回のヌブラ行きでTHE HIGH222kmの全コースを車で辿った事になる。酸素が少ない。日差しが強く40度を越える。夜の峠は氷点下だ。乾燥しきっている。野犬がいる。エントリーは30人だったが、出走したのは11人だった。つわもの達も尻尾を巻くレース。凄すぎて興奮する。来年が楽しみだ。その前に今年のスパルタを完走して自信を取り戻さなければ。

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      NHKおはよう日本に出演

      動画 YouTube     (2013 LA ULTRA THE HIGH 222km at RYOICHI SATO)            2013年、8月3日

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