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  • 2017.06.06 Tuesday
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    ルプシュ トレッキング

     
     レーに着いたときには心拍数が84だった。安静時の僕の普段の心拍数が40くらいだから、タラップを降りたときには息が詰まる想いだった。3日目となると、大分高度順応してきていて、今日からトレッキングに出発するのだが、心拍数も55に下がり、軽いジョギングはできそうだ。
     7月23日、当然晴れ。約束の1時間遅れでジープがやってきた。トレッキングでお世話になる三人が乗っていた。ドライバーのソナムは54歳、レーから南に470kmはなれたマナレーの出身の長距離トラックの運転手でもある。会話をしていない時はいつもマントラを唱えて運転していた。ガイドのルンルックは27歳、レーの近くにあるチベット難民キャンプに住んでいる。難民でありながら努力してガイドの資格を手にした男だ。コックのサワーズグルンは26歳、ネパールのカトマンズから来た。今の時期はネパールトレッキングはシーズンオフだから5月から9月までラダックに仕事を求めてやってくる。日当はネパールの3倍だから嬉しそうだ。僕にはちょっと不満だが、ラダックでは金額が決まっていてディスカウントがないから仕方がない。荷物を運ぶ馬を4頭も含めた5日間、全て込みで3万円程だ。ラダックのトレッキングの中ではもっとも高額な旅だ。
     ジープはインダス川の上流に向かう。ウプシで外国人登録をする。そこから支流のキャマル川を登る。谷底から見上げると造山運動によりねじまがった垂直の地層が魅力的だ。硬い岩盤を残し風化した迫力ある層が、まるでゴジラの背中のようだった。道は頻繁に起こるがけ崩れによって大きな岩が散乱していた。ドライバーのソナムはゴジラの背中の様子をのぞきこみながら運転をしていた。そのときもマントラを唱えていた。ガタガタ道に嫌気が差してくるころ突然景色が変わった。チベット高原の西の端、チャンタン高地に近づいたのだ。なだらかな山並みがどこまでも続き、乾ききった砂の台地になった。高度は更に上がり、九十九道の先にはタルチョウ(経文の書かれた五色の旗)が所狭しにはためく峠に着いた。タグラン・ラ5350m、車道では世界で2番目に高い峠だ。少し歩いただけで気分が悪くなる。ここでランチタイム。食欲無し。ストローでジュースを飲むが、酸欠になり呼吸艱難になった。酸素は平地の半分もない、咳き込むのも痰を吐くのもきをつけなければならない。景色を楽しむ余裕はなかった。早く降りなければ死んでしまう。実際、この3日後にインド南部から車で来た家族4人が、この峠で全員高山病で亡くなった。

     ツォカルという塩湖についた。ドライバーのソナムの仕事はここまでだ。明日、マナレーに帰る。湖の周りには沢山の渡り鳥を初め、野ロバやナキウサギが原野を走っていた。特に目を引く野ロバは家畜の情けないロバとは違い、砂煙を上げ、サラブレットみたいに流れるように走る姿は美しい。
     今日のキャンプ地、ヌルチャンについた。標高4650m、牧草地になっている。マイテントを張った。1分間息を止めた後みたいに呼吸を荒げてしまい立ちくらみをした。じっとしていても呼吸が落ち着かなかった。普段低地にいるときに頑張って呼吸する意識は持たない、しかしここでは意識をして力強く大きな呼吸を繰り返していなければならないのだ。そしてこまめな水分補給。小用は勿論増える。その小用しただけでも息が切れた。いったい今夜を乗り切られるだろうか、発作がもし起きたらそれで終わりだ。ここが僕の終焉の地になるかもしれない、と本気で思った。

     
     乾いた台地、6000mのなだらかな山並みに残る白い雪、星が見えそうなほどに大気の薄い宇宙に近い真っ青な空、地球の果て、憧れの地、感動すべきところだが、それどころではなかった。サワーズグルンが作ったネパール料理のダルバートも一口二口で気分が悪くなり、一人でテントにふさぎこみ、懸命に呼吸をしながら不安の中にいた。うとうとと眠くなると呼吸が浅くなる、そのたびに体が「酸欠だぞ!ちゃんと呼吸をしてくれ」と覚醒させられた。だからほとんど一晩中頑張って呼吸をしていた。朝を迎えたら帰ろうと思っていたである。夜中に大便をした。踏ん張ると死ぬから時間をかけて一仕事をこなした。
     昨夜の心拍数は86だった。朝計ると68に落ち着いてた。高山病の薬ダイヤモックスが効いたみたいだ。明け方にチャンネルが変わったみたいに体が楽になり眠りにつくことができた。帰らずに先に進めそうだ。しかし高度は今日、明日と更に上がっていく。天命を託す、とはこのことなのだろうか。

     7月24日、朝にあった雲は昼にはまったく消えてしまった。今日は4930mの峠を越える、距離は15kmで短い。激しい登りはこの高地には無い、なだらかな山並みしかここにはない、6000mを越える山も難なく登れそうに見える。そう思えるのも少しだけこの高さに順応してきたからなのだろう。15kmの高地歩きは楽だった。川を渡るときは橋がないから靴を脱いで裸足にならなければならない、余りの冷たさに、足の指先は感覚を失う、転ばないように慎重に歩く。まくっていたパンツが重力に負けて落ちてくる時は蟹股歩きだ。渡り終わると足を太陽にさらし、感覚が戻るのを待つ。そんな事も繰り返しながら、歩き出して3時間後には今日のキャンプ地ラジュン・カルに着いてしまいそうだった。雪解け水の川原で昼寝をした。そうすると臆病なはずのナキウサギに囲まれてしまった。ガイドのルンルックの足の上も彼らの遊び場になってしまっていた。
     キャンプ地には15の遊牧民のテントが散らばっていた。それぞれヤク(4000mに住む高地牛)やパシュミナシープ(6000mに住む山羊)を放牧しながら生活をしている。僕がテントでウトウトと昼寝をしていると人の気配を感じ顔を出すと、一人の青年がたっていた。どうやら300匹のパシュミナ山羊の放牧から帰ってきたらしい、彼はただ穏やかに微笑んでいた。「名前はギャルチン」「僕はリョウイチ」、簡単な挨拶はした。その後の会話がないまま時間が過ぎた。しばらくして青年は写真を取って欲しいと言い出して撮ることになった。しかしなぜか険しい表情になってしまう。何度か試みたがダメだった。また時間がたった。彼はただ嬉しそうに微笑んでいた。今度はこんな小さな家 ではなく俺の家に来いと言う、行くことにした。牧草地を横切り、小川を渡って10分だった。確かに大きなテントだ。先に入れ、と言う。きっと驚くから、それはそうだろう、めったに外国人が訪れないのだから。僕は低調にお断りして彼の後に続いて中に入った。中には両親とお姉さんがいた。やはり会話はできなかった。照れた笑顔を見せるだけだった。歓迎の自家製ヨーグルトを頂いた。余りにもおいしくてお代わりを2回した。4人は「そうかそうか、それはよかった」と言わんばかりの、笑顔の皺を更に深めて喜んでくれた。彼らの写真を一人ずつ撮らせてもらった。カメラの液晶画面に映る自分の姿を覗いている。満足げにうなずいてくれた。「俺たちはここに暮らすチベット人、これからもここに済み続ける」、そんな気持が伝わってくる気がした。帰りがけにギャルチンが「お兄ちゃんのサングラス、かっこいいよ! でもおれのサングラスもかっこいいだろ?」、と自慢げに見せてくれた。どうやら、お父さんが街で買ってきてくれたものらしかった。4人がきっと自慢の家族なのだろう。
     テントを出るとき、涙が浮かんできた。お金ではない、物でもない、互いに当然のことを当たり前にしただけだった。気を使わない、穏やかなやりとりだった。慌しい日本にいると、他人に対して無関心になってしまう。親戚付き合いも疎遠になりがちだ。でもラダックの人達は人と人との繋がりが羨ましいくらいに強くて優しい。心を開放して互いを思い合う気持、人付き合いっていいな、これが本当の人の生き方なのだ、と思った。

     深夜、番犬やヤクや馬がうろついていて怖かった。吠えたり、唸ったり、泣いたり。でも彼らのお陰で狼や雪豹に襲われる心配はない。夜、精力的に星の写真を撮る元気も出てきた。明日からが楽しみだ。

     7月25日、朝5時30分にいつも洗面器に洗顔用のお湯を入れてルンクックが挨拶に来る。テントをたたみ、7時に食事だ。チャイにクッキー、それにオムレツだ。僕が朝食を食べているうちにコックのサワーズグルンは昼の弁当を作っている。ゆで卵と野菜カレーにチャパティー、それにケーキまである。夜はいつもダルバートだ。食べ終わると僕はカメラを片手にガイドと共に歩き出す。コックは大きなテントをたたみ、食材や燃料と僕の荷物を馬たちに乗せ、馬主と共に後からやってくる。馬主はほとんど顔を合わせなかった。用事が済むと馬とともにどこかに行ってしまう。お気に入りの場所で野宿しているのだそうだ。

     8時に歩き出して間も無くだった、大きな動物の足跡が残されていた。番犬のチベット犬は大きくて気性が荒い。その足跡もかなり大きかったが、更に大きい。チベット狼の足跡だった。マーモットを追いかけた跡だとルンルックが教えてくれた。
     今日のトレッキングは長くなる。5410mの峠キャマユリ・ラまでは3時間以上かかる。そこから次の5380mのカルツェ・ラまでが5時間、そして今日のキャンプシ地までが2時間だ。本来は二日を要すらしいが、わがままを訊いてもらった。ゆっくり味わいながら歩いていたいが、3日後にマラソン大会を控えていた。
     キャマユリ・ラには歩き出して90分で着いてしまった。峠のタルチョウが石で押さえられていた。振り向くとツォカリ塩湖が望めた。周りの山裾には無数のパシュミナ山羊の白い影が、300頭ほどの塊で移動しているのがあちらこちらで見えていた。ほとんどの峠にはアイベックスの角が置かれている。雪豹の餌食なのだそうだ。怖いけどユキヒョウを見てみたい。
     カルツェ・ラで少し早いランチをする事にした。景色の変化がほとんど無い退屈な道だが、何故だかいつまでも歩き続けていたい気持になった。周りには雪が残っているが、日差しが強いから寒くは無かった。5380mの峠で馬たちが来るまで昼寝をした。雲一つ無い青空、目を凝らすと星が見えてきた。乾いた風が心地いい。1時間後、馬たちがやってきた。少し遅れてコックのサワーズグルンがネパールの歌を歌いながら登ってきた。
     キャンプ地ギャマに着いたのは1時だった。歩いた時間は4時間くらいだった。時間はたっぷりありるが、動かずに皆で昼寝をした。あくせくしない贅沢な時間だ。今、僕は標高5000mを越えている所にいる、順応できてよかった。青空高く、天の使者イーグルが旋回していた。
     

     今夜はイメージ通りの星の写真が二枚撮れた。1枚目は9時、月例3日目の月明かりがちょうどよかった。2枚目は月が地平線に隠れた深夜12時に、テントの中にライトを残して撮影してみた。少し風の影響はあったが満足な写真が撮ることができた。

     7月26日、今日は楽しみにしていた景色が見れる。それはヤルン・ニャウ・ラ5430mの峠から望むツォ・モリリ、全長30kmにも及ぶ淡水湖だ。 
     寒い朝を迎えた。テントには薄っすらと霜が降りていた。「寒くて寝られやしなかったよ」と、ルンルックがお越しにきてくれた。僕も余りの寒さに一晩中ガタガタ震えていた。今日も沸かしてくれたお湯で洗顔をし、それから台地を見回す。山の頂に白い雪が被っていた。自分が今、ラダックの高地に立っていることを再確認する。テントをたたみ、逸る気持ちを持ちながら歩き出した。雪解け水の流れる川原を幾度となく渡りながら、地の果て、空の果て、とも思えるようなガレ場を休まずに歩き続けた。やがて川の侵食のされていない台地が広がってきた。石碑が見えた、ラプツェ(石塚)だ。その少し先に沢山のタルチョウが絡み合う峠はあった。ささくれた台地にも健気に生きる植物はあった。そして砂粒ほどの花が咲いている。赤、青、黄、白、紫、まるで色の着いた苔の様だ。その向こうにはツォ・モリリ。6000m以上の山に残る僅かな雪解け水を蓄えた神秘、4500kmの高地に横たわる淡水湖だ。青い空の色を写しこむターコイズブルーだ。ツォは湖、モは少女、リリはヤクの呼び名だ。ヤクと少女が圧倒される美しさに動きを止めたことに由来している。

     乾燥した台地に雲の影がゆっくりと流れていた。僕たちは砂煙を上げながら、ターコイズブルーのツォ・モリリに向かって下り続けた。小さなカルカ、牧草地に寝そべりながらのランチをした。裸足になり、冷たい雪解け水の流れに埃まみれの足を浸した。僕たちの周りにはヤクが草を食んでいる。子供たちが笑顔を向けていた。泣きたくなるくらい心を揺さぶるいい笑顔だと思った。地球の果てに天使がいた。トレッキングは終わった。

     明け方のツォ・モリリに明けの明星、金星の輝きが反射していた。日が昇り今度は太陽の反射した輝きがキラキラと揺れていた。
     昨晩、テントに来客があった。「ジュレジュレー」、暗闇で最初誰だか解らなかったが、ツェワンだった。迎えに来てくれたのだ。これからミラズハウスに向けてロングドライブだ。途中でツェワンが気に入っている景色に寄りながら運転してくれた。コックのサワーズグルンは道中ずっと眠っていたが、ガイドのルンルックは僕が写真を撮るために車を離れると付いていてくれた。キャガリ・ツォの写真を写すときもルンルックがきてくれた。ここは塩湖だった。湖の周りには白い塩の結晶が広がっていた。湖面には渡り鳥が泳いでいた。少しでも近づきたかったが、一定の距離を保ったまま沖に移動してしまった。ずいぶんハエが多いなぁ、と思ったとたん黒い塊に包まれてしまう。ハエの大群だ。息ができないほどの大群だった。ハエに包まれながらまっしぐらに車に向かって二人で走った。この高地での無酸素運動は危険だったが、ハエの攻撃にはまいった。サワーズグルンも何事かと起き上がり、慌てふためく僕たちを笑って見ていた。あーっ、殺されるかと思った。ハエ達はいつの間にか元にいた湖畔に立ち返り、平穏で静かな景色にもどっていた。

     

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