シャム トレッキング 4日目

 街からはBongbong峠は見えていた。それを越えて下れば今回のトレッキングは終了だ。その後は車が迎えに来ていて、ラマユルに一泊し、ドルチェの故郷ダー村へむかう。ガイド本領発揮する場所だ。
 ドルチェが私の前を歩いていた。先に行かすと大変だからだ。やがてフランスからの二つのグループに追いついた。一つはやはり教師だった。もう一つのグループは家族だ。大学生の女性と高校生の男の子とその両親だった。その父親が写真を撮ってくれた。
そして言うのだ。
「君はランナーか?」と。
「確かにランナーだ」
「息子が800のランナーなんだよ、種目は?」
「250だ」
「?」
峠に向かいだすと、青年は追ってきた。
最初は並びかけたが、引き離してやった。
相当に息を上げていた。
しかし峠に着くと青年は準備体操でもしているかのような振る舞いをしていた。
遅れて皆がやってきた。
父親が青年に何かを伝えていた。
「あの日本人は24時間走の元日本代表だ」
ドルチェが私のことを伝えたのだろう。
青年は下りが勝負だとばかりの視線を投げかけてくる。
一方大学生の娘は
「私、今度日本の山をトレッキングしたいからガイドをして欲しい」、と頼まれてしまった。
しかし断った。何故ならお互いにお互いのことを良く知らない多少の縁に過ぎないからだ。


 ドルチェは頼むからゆっくり歩いてくれと言う。が、二人で走り出した。と言うのも、暫く皆でのんびり休憩したり、写真を撮ったりしているうちに迎えの車が到着する時間となったのだ。不意を突かれた青年は追っては来なかった。
 下山口に迎えの車が待機していた。そしてラマユルを目指す。ラマユルにはラダックのシンボル的なゴンパが、月世界とも言われている黄色い岩山に溶け込むように鎮座していた。そしていつもの様に雷雨となった。

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    シャム トレッキング 3日目

     二つの川が出合うティスモガンは嘗てのパレスが見下ろしており、上部には新たに大きなゴンパが聳えていた。ここまでは道路が延びてきていて、三軒の商店にはゴットファーザーというビールが売られていた。残念ながらこのビールには気の抜けた感があり苦手だった。やや高いが、インドでは銘柄であるキングフィッシャービールが欲しかったのだが残念ながら売られてはいなかった。昨夜も各家庭で作られているチャン、どぶろくを宿のお父さんに一本振舞っていただいた。酸味が強い。アルコール度数は低くて、一本500mlのボトルを私の為に空けてくれたが、酔っ払うほどにはならない。衛生的には疑問が残るが、既に沢の水やタンクの溜め水まで飲んでいた。特に酷くお腹を壊すことは幸い起きてはいなかった。
     町はほのぼのとしており、牛も、子供達も、お年寄りも皆のんびりし、朗らかだった。若い女性達も私を写して、とカメラのレンズに治まり、液晶に残る出来栄えを確かめ、どのように写ろうとも爆笑していた。とても平和だ。
     
     今日はティスモガンを散策する。先ずは一番遠くのKatzeとOsang Cholingの二つのゴンパに向かう。ガイドのドルチェはよく喋る男だった。名前の意味は、チベット仏教の法具ドルチェ(金剛杵)であり、武器でもあり、その武器は己に向けられる。その意味は、本当の敵は己にあり。しかし彼は気楽に誰とでも話しこんでしまう。歩き出して直ぐに話し込んでしまい、先に行くことにした。彼が言うには、2時間ほど道なりに行けばゴンパが現れると言うので彼を置いて先を急ぐ。1時間ほどでゴンパが現れた。ドカンを開けてもらい、いつもと同じように五体投地をした。僧にもう一つのゴンパへの行き方を尋ね、歩き出した。遠くに緑のシャツを着た男が見えた。ドルチェは緑のシャツを着ている。てっきり彼だと思い込み追った。その男の脚は速かった。小川で水浴びをしている所で追いついた。ドルチェではなかった。目前には4030mのSkinlig峠が見えていた。そこへの道は閉ざされていた。そしてゴンパなどは何処にも無かった。ドルチェが心配しているかもしれない、走って引き返す。暫く走ると緑のシャツが見えてきた。ドルチェだった。「町中を探したんだぞ、噂を聞いてここまで着た」、彼は疲れ果てていた。「俺は戻るから、一人でもう一つのゴンパに行ってくれ」、と言われる。そして従った。
     

     二つのゴンパを巡り、走り出した。そしてドルチェに追いついてしまう。「もう俺は疲れて脚が痛い」、ティスモガンに聳えるNamgyal Photangへも一人で登ってくれといわれる。そして帰り道、立ち話をしていたドルチェに出会ってしまった。そして村の人から叱られる。「ガイドなんだから仕事しろよ」
     反省し、お詫びにキングフィッシャーを買いに行くから500ルピーをくれと言う。しかし車で隣の町まで言ってくれたが無かった。今夜もチャン、どぶろくのボトルが一本明けられた。窓の外は今日も星空ではなく、雷鳴が轟いていた。

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      シャム トレッキング 2日目

       昨夜も完璧な雲のない夜空は望めなかった。ガイドのドルチェは陽が指してこないほうがベストな日だと思っているようだが、快晴ではないラダックはラダックではなかった。ラダックらしい青空は、午前中に2時間程度広がってくれた。
       Sarmanchan峠3750mを越え、ヘイミスシュクパクチャン村への広い道を下りた。そこからMebtak3830mを越え、急なガレ場の続く道なき道を下った。岩陰に休んでいた人影は、オーストラリアからの中学教師の若い女性だった。やたらと先生に出会う。
       次のLago峠3830mへは、私一人で更に危険なガレ場の急登を上がった。そして皆が登ってくるまで辺りを走り回っていた。何故だか走っていたかったのだ。先生とガイドと私のガイドが峠に揃い、暫しの雑談をした後、ティスモガン村へとのんびり下った。

       ゲストハウスには沢山の人達が着ていた。中でも賑わっていたのがフランスからの家族だった。お互いに名前を聞くのだが、直ぐに忘れてしまう。互いに通りすがりの軽い縁なのだ。私は無駄に沢山走って命を縮めているおじさんだった。
       ティスモガンにはもう一泊して付近を散策してから明後日、3000mの下界へと降りる予定だ。今日も雨が降り出してきた。星空も望めないだろう。

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        シャム トレッキング 1日

         7月26日。朝焼けが明るかった。明け方に少し星空が広がっていた。村の人達に挨拶をしながら一旦沢に降り、Pobe峠3550mに向かう。平衡するように車道が延びていた。殆ど車の往来はなかったが、たまに来る車は私達を見つけると待ってくれ、飲み水を分けてくれた。スムド村に降り、Charatse峠3650mを登った。乾いた大地に伸びる細い足跡だった。
         決して私が張り切っている訳ではないが、登りではガイドは遅れ気味だった。結局、一般トレッカーが歩く半分の時間でクリアしていた。そして景色も堪能している。ヤンタン村には昼ごろには付いてしまい、リゾンゴンパまで沢沿いの道を5km程下ることにした。

         リゾンゴンパへの道は洪水によって所々川底に落ちてしまい、幾度か谷を迂回しガレ場を潜る。足跡が残されていない状態だったので、二人で安全に進むにはどのルートを辿ればよいのやら模索しながら進んだ。
         リゾンゴンパには、三人のドイツ人で中学校の教師をする、私と同じくらいの歳の男性達が下から登ってきていた。私はゴンパのドカン(お堂)では五体投地礼をしている。手を頭の上に合わせ、顔で合わせ、胸に合わせ、ひざまずき、おでこを床に付けるというものだ。それを何時も3回続けていた。
         最初の五体投地だった。涙がツーッと零れてきたのだ。二回目では涙がポタポタと床に落ち、三回目ではおでこを床に付けたまま起き上がることが出来なかった。何故だかさっぱり分からなかった。悲しくはなかった。特に感動もしてなかった。心の底から溢れ出る感じだった。以前から神様などが折りやすいポイントを訪れてきてはいたが、どこも通じることはなかった。生まれて始めてのことだったのだ。子僧が私の涙を人差し指でふき取ってくれた。ガイドのドルチェと三人のドイツ人教師は少し引いてしまった。
         再び危険な道を登り、ヤンタンに戻ってきた。すこるぶ体調がよかった。パワーを貰ったのかもしれないと思った。リゾンゴンパは修行のとても厳しい寺として知られているようだ。
         返ってくると、隣の部屋にはスイス人小学校の男性が疲れ果てたように静かにしていた。



         

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          シャム トレッキング

           2015年7月26日、ツェワンがガイドのドルチェを連れてZIKZIKゲストハウスにやってきた。この時のレーでは珍しく雨が降り続いていた。年間降水量70mmの乾燥した土地に雨が降り続ければ、起こってしまうのが洪水だ。既に橋や家が幾つも流されていた。
           毎年世話になるツェワンの家は、この洪水のために辿り着くことは不可能となってしまった。私はレーのゲストハウスに滞在していた。私がシャム地方の村々を繋ぐ山道をトレッキングしたい事をツェワンに伝えていた。選んでくれたのがドルチェ24歳だった。ダー村と言う花の民と言われている村で生まれた。彼はジャムー大学の学生だった。夏休みの間、ラダックに戻りアルバイトとしてガイドをしているのだ。先ずは古いゴンパが点在するアルチ村に向かった。

           アルチに向かう途中にインダスとザンスカールの二つの大河が合流する絶景が見られる高台がある。いつもの年なら、白いインダスと青いザンスカールが並ぶのだが、今年は長引く豪雨の為どちらの大河も土砂の色で濁っていた。
           アルチ村は麦の収穫の時を迎えていた。街角では可愛いお出迎えがあった。高さ5mを超える立像や、13世紀に描かれた古い壁画を見た。丁度アルチ村のある位置は、カシミールやザンスカールやラダックと言った嘗てのそれぞれの王国の狭間にあり、それぞれの影響を取り込んだ仏の世界である
           偶然、駐車場でツェワンの弟と会った。彼はフランス語が堪能で、この時もフランス人グループのガイドをしていた。「カムザンジュレー」
           
           アルチ村から、トレッキングの出発の村リキルに向かう。そこのも大きなゴンパ(寺)がある。座主がダライラマの実弟であり、150人の僧達が修行の日々を送っている。
           村に行くと、そこでも可愛らしいお出迎えを受けた。ホームステイ先の居間には、チリン村の銅細工師(ネパール人仏師の子孫)による食器が所狭しと棚を埋めていた。夕方、空が急に暗くなり雷雨となった。

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