Markha Valley Trekking 

 


  深い谷底から見上げると、あり得ない巨大な岩のオブジェが,頭上から見下ろしていた。その隙間からは真っ青な青空が覗いている。そして風景に溶け込むように、チョルテンやマニ石群があった。

 テチャ・モネストリーの看板が岩壁に書かれていた。崩れた階段が上へと続いている。目でそれを辿ると尖がった岩の上に、景色に同化するような建物と、派手な五色のタルチョウが見える。寺院がある。登るのは命掛けだ。ガイドのリグゼンはさっさと通り過ぎようとしていた。寺院から見える景色に心を惹かれていたが、リグゼンは登るつもりがないらしい、少し安心した。それにしても何もあんな場所に建てなくてもいいのに、と思った。そして関わった人たちは、どんな苦労と気持ちで携わったのだろう、振り返り、改めて見上げた。











 歩みを続け、標高を上げていくと、少しずつ視界が広がった。それと同時に気持ちも晴れ晴れしてくる。

 時々、村人に出会った。リグゼンはその度に話し込んでいる。せかさなくても十分に今日のキャンプ地に着けるのだが、話が終わるまで突っ立って待つのもつまらない、そんな時リグゼンは先に促してくれた。きっとトイレタイムも含まれているのだろう。そんなタイミングで僕達もはばかり無く、乾ききった大地をめがけて用を足した。




 今日のキャンプ地タチュンゲは見渡す限りがテントを張る候補地だった。張る場所が決まるまでウロウロしてしまった。

 山肌からは、幾筋もの湧き水が流れていた。コーラをティーテントで購入し、湧き水の中に沈めた。テントを張った。暑くて中には入れない、テントの日陰にシートを敷き、二人で寝転んだ。日差しは強いが、そよぐ風はひんやりして心地良い。漂う雲が、面白いように姿を変えていく。贅沢な時間だと思った。








 千夏が少し歩きたい、と言う。時間を持て余しだした僕らは、気になっていた斜面を登ってみることにした。トレッキングのコースではなかった。どうやら馬を放牧する為の道のようだった。

 キャンプサイトがどんどん小さくなっていく。かなり登ってきてしまった。陽も傾きだしていた。そろそろ引き返さなければ、帰りが暗くなると思っていた。なかなか引き返すタイミングが見つからなかった。そんな時、足元を凝視した。辺り一面が糞だらけだったのだ。馬の糞ではなかった。山羊の糞のようだ。でも家畜のパシュミナシープでもなかった。もしやヒマラヤの高地に住むブルーシープか、と思うと焦りだしてきた。

 見晴らしのいい丘に登った。400m程先の斜面に沢山の動物が見える。馬の放牧か、と思った瞬間、それがブルーシープの群であることがわかった。50頭もの群が夕日を浴びながら草を食んでいたのだ。興奮した。僕達はこれ以上近づかず、暫く眺めていた。登ってきてよかった。







 7月18日、この先でも野生動物に遭えるだろう。期待を膨らませて、今日も歩く。朝6時に出発した。斜面に朝日が差し込み、僕らの影が長く伸びていた。




 荒々しい山肌が眼下に沈んでいる。草木の生えない、石と岩だけの急峻な世界だった。人や動物をも寄せ付けなさそうな世界にも関わらず、こんな所にもマニ石やチョルテンがあるのには驚いてしまう。危険な岩山の上に建つ寺院や、ここにある人の痕跡を実際に見てしまうと、人類はとんでもない開発力があるのだな、と感心してしまう。


 この一帯で最も高いカンヤツェ(6401m)が見えてきた。その山は、簡単に登れてしまうように見えるほどなだらかだった。リグゼンは一度ガイドとして登ったことがあるらしい。登るチャンスができたら是非、リグゼンに頼もう。

 登りきった所に、カンヤツェを映しこむ池があった。周りには、動物の足跡がいくつも残っている。その中に、肉食系動物の足跡もあった。池の周りの草地ではマーモットやナキウサギが沢山住み着いている。僕達が近づくと、警戒する激しい泣き声で仲間達に知らせている。空ではコンドルが旋回しながら見下ろしていた。

 僕達の5分ほど前に他のトレッカーが歩いているはずだった。足跡も風で飛ばされずに残されていた。その真新しいトレッキングシューズの上に更に新しい足跡が残されていた。その中の一つは山猫みたいだった。そして大きな太い足跡、雪豹(スノーレパード)だった。まだ近くに潜んでいるに違いない、少し緊張する。







 ゴンマル峠(5300m)に向かって一筋の道が伸びていた。ユキヒョウは遂に姿を現さなかった。
 
 ニマリンのティーテントが見えてきた。中に入ると、前のグループは一休みをしているところだった。ここにはリグゼンの姉がいる。僕達はゆっくり先行することにした。
 
 辺り一帯にナキウサギが走りまわっていた。下から登って来るリグゼンの姿が見えている。時々、休んでいるようだった。地元育ちの彼も、気薄な酸素が応えるようだ。僕達はゆっくりだったが、順調に高度を上げていた。















 マルカ川の源流がカンヤツェの頂に向かって、一本の白い筋となり延びていた。昨日まで、あれだけ見下ろされていた急峻な山も遥か下に見えている。雲の陰が斑模様になり、遥か彼方まで続いていた。ゴルマル峠に着いた。5300mからの展望は更に素晴らしいものだった。僕達は元気に登りきることが出来た。レースに向けて、いい高度順応ができているみたいだ。

 記念に日本から付けていた鈴をタルチョウに結んだ。しかし、何だか悲しそうな音で鳴るものだから、タルチョウから解き、連れて帰ることにした。

 リグゼンが誰かに電話をしていた。彼もゴンマル峠に来れて嬉しいみたいだ。「キキソソラーギャロー」やった!


 足場の悪い、急斜面を駆け下りる。滝が現れ、深い谷底へと下っていく。酸素が濃くなり、気温も上がる。リグゼンが脚を止め、岩場を指差した。10頭ほどのブルーシープの群が、危険な岩場を渡っているところだった。美しい。







 地層が縦に伸びていた。堆積した岩の色が随分と違う。時代によって成分が異なるからだ。青が銅、赤い層には鉄分が多く含まれている。

 チュスクモのティーテントの対岸に変わった水が湧き出しているという。千夏がその水を汲んできた。「不味い」、鉄分が強すぎるのだ。鉄の埋蔵量はかなり多いみたいだ。









 ワイルドローズ(野生の薔薇)と千夏。



 チョンド村についた。村長の家でチャイをいただく。テントを張っているところを二人の老婆が様子を見ていた。二人はテントを張り終わってもその場を動かなかった。陽が暮れるころ、角の立派な大きなヤクが数頭降りてきた。老婆二人が動き出した。自分達のヤクが来るのを待っていたのだ。ヤク達は大人しく我が家に戻っていった。朝、ヤクを放ち、草を勝手に食べてきて、夕方になると勝手に主の元へ帰ってくるのだ。何と手間の掛からない、お利口で便利な家畜なのであろうか。僕達は感心しながら様子を見ていた。老婆の仕事は小屋を閉めることだけだった。






 7月19日、テントをたたみ、残り僅かを歩き出した。随分、下界に下りてきたような気がするが、まだ4000mを超える位置だった。歩き出して1時間後、終点、シャンスムド村が見えてきた。
 











 迎えの車が約束通りには来なかった。気長に待っている。ティーテントの下でも暑かった。冷えたコーラを一気に飲み干すと、少し立ち眩みをした。

 車は予定の2時間遅れでやってきた。タクトック・ゴンパへと向かいツェチェ(仮面舞踏会)を見学した後、へミス・ゴンパに立ち寄り、ミラズハウスに帰ってきた。

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    Markha Valley Trekking 

     


     マルカ谷トレッキング5泊6日、レースに向けて高度順応の旅に出かける。ガイドはコース最大の村マルカ村出身のリグゼンだ。彼は各村でホームステイするが、僕らは自前のテントを持参してきた。その理由は南京虫である。マルカバレートレッキングでの南京虫による被害は結構悲惨と聞いている。ネパールで過去何度も南京虫の襲撃に遭っていた。激しい痛みは数週間続く。レース前に苦しむ材料を増やしたくはない。かなり重くなるし、手術の傷も気になるが、それはザックをずらし、少々傾くが、それで回避できそうだ。食事はすべてコース上で済ませることができる。道に迷うことは無い、それだけメジャーなコースとなっている。


     7月14日、歩き出して2時間、テントが見えてきた。ティーテントである。チャイを飲んで一息入れた。真新しいコースマップを見ると、野性動物があちらこちらにいることがわかる。見かけることはほとんど無いが、雪豹も住んでいるようだ。


     草原地帯の斜面を1時間登るとユルツェ村が見えてきた。老人がたった一人で僕達がやってくるのを待っていた。「ジュレー」

     強い日差しだった。湧き水で顔を洗い、草地で横になる。大麦畑の葉がそよ風になびき、波を打っていた。爽やかな風だった。何とも気持ちがいい。そこへスノーコックという鳥が少しずつ近づいてきた。この鳥は、日本の雷鳥と同じく羽ばたけない、素早い足取りでウロウロしていた。野うさぎが飛びまわる。マーモットが鳴いていた。人と野生動物が共存しているのだ。




     ガンダーラ・第一ベースキャンプにテントを張った。標高4520m、酸素が薄いから息が切れる。中に入ると蒸し風呂みたいに暑かった。夕方までは入れそうもない暑さだ。近くにあるティーテントに非難した。


     日が陰ると冷蔵庫の中に入ったみたいに急激に冷えてきた。ついさっきまで半袖短パンだったのに、ダウンを着込んだ。ストクカングリ6137mに西日が当たっていた。その色が黄色くなり、オレンジになり、赤くなり、ピンクに染まった。最後は紫色になり、そして黒い影が降りてきて、静寂に包まれた。やがて星達が瞬きだす。

     食事の準備ができたようだ。ティーテントに入り、旨いダルバートを食べ、一息ついてから外に出ると、星の数が一段と増していた。





     7月15日、一歩一歩、確実に、ゆっくり登った。

     足元からキャラバンがどんどん近づいてくる。馬が五頭、ガイド、コック、馬主、それに若い西洋人男性が二人だった。これが一般的なマルカバレートレッキングのスタイルだ。僕達はトレーニングのつもりで重い荷物を担いでいたが、彼らは軽装だった。抜かれて当然だ。それでも心のどこかで追い抜いてやるぞ、と思っていた。

     標高4960mのガンダーラ峠では、呼吸が整うまでゆっくり座り込んでいた。ここからは下りだ。少し元気を取り戻すと千夏は走り出した。彼女もランナーの端くれ、若い西洋人二人に負けたくなかったみたいだ。





     シンゴ村のティーテントにその若者が休んでいた。僕らに気がつき、僕の着ていたシャツと僕の顔をしげしげと見つめ、こういうのだ「アンナプルナ100kmにいましたよね?、僕も走りましたよ」と、その時着ていたシャツがアンナプルナ100のものだった。世間は狭い。




     スキウ村(3430m)まで降りてきた。ここでマルカ谷に出くわして、上流に向かうのだ。

     ティーテントの中では老人がティースプーンを作っているところだった。山羊の胃袋で作った袋の中に空気を入れ、一気に焼けた炭に吹きかけると、火力が増し、ゴーゴーうなりだす。銅を焼き、叩きながら形にしていくのだ。数は減ってきたようだが、手作りの食器は大切に流通している。今日は民家で食事をした。長い棚には手作りの食器が誇らしげに並んでいた。




     深夜、ロバの発情した激しい鳴き声がマルカ谷に轟いていた。なんとなく寝不足気味だった。井戸水をくみ上げ、顔を洗って歩き出した。暑くなりそうだ。





     7月16日、キャンプ場にはイギリスからの団体が来ていた。テント16張り、総勢30人の高校生と先生達、ガイドやコック、馬は数え切れないほどだった。先行されていた為、足場の悪いところでは大渋滞した。


     さすが地元ガイド、リグゼンは泉の在りかを知っていた。大きな岩の陰から噴出している。その水が最高に冷たくて美味しいかった。生き返る。


     視界が少しずつ開けてくる。マルカ川にかかる橋を渡り、橋の無い所は靴を脱いで素足で渡った。流れは速く、冷たい。のんびり渡っていると低体温でやられてしまいそうな冷たさだった。









     石で囲われた大きな穴があった。動物の火葬場だと言う。大切な家畜を埋葬するのだ。祈りの石で囲われて立派なものだった。


     マルカ村に近づき、リグゼンの知り合いも増えてきた。というか、出会う人全てが知り合いなのだ。





     あっ、今のは僕の叔母さん。毛糸を編みながらロバを連れて歩いてきた。

     あっ、今のは僕の弟。颯爽とした馬上の男だった。
     両親は身体が弱ってきたからレーに住んでいるらしい。



     この老人は叔父さん、だったけかな? イカリヤチョウ助に似ていた。



     マルカ村はこの一帯では最も大きな村だ。小さな村は家が一軒だったりするが、ここには家が10軒ほど見えていた。ゴンパもあり、城跡まであった。平和そうなマルカでも、昔は隣村や、更に遠くの支配者達と戦を繰り返していたのだ。そんな城砦も今ではミイラみたいに朽ち果てていた。





     入れなかったゴンパの窓。鍵が見つからなかった。残念。



     それぞれの家からは子供達が外に出て遊んでいる。学校に通えないから、と寄付を求めてきた。どうやらリグゼンも字の読み書きができないでいるようだ。でも僕よりもちゃんとした英語力があった。反省する。


















     出会った子供達にはチョコレートを上げた。ムスタンのときみたいに、直ぐには口に入れない子がいる。大切に取っておいて、大切な人と味わうためなのだろう。






     7月17日、冷たい川を今日も渡る。

    後半に続く。



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      NHKおはよう日本に出演

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