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  • 2017.08.26 Saturday
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    ┌達茖ksan(2980m)〜Muktinath(3760m)Finish





     深夜、屋根の上でこそこそ星の写真を撮っていた。露出が30分と長いから、静かに横になり、星を眺めていた。
     近くで何かが動いた。リジーだ、寝袋に包まっている。世界を制するだけあって、個性的だ。部屋では寝ないで、星空の下で寝ていたのだ。声は掛けなかった。やはり変わり者だ。親しみを感じる。




     のんびりと、ラストランのスタートを待っていた。今日もタシやマット、リチャードと前後するに違いない。今更、頑張っても順位の変動はないが、写真を控えて頑張るつもりだ。標高2980m のチュサンからGyu La4077mの峠まで登って、ムクチナート3760mに下る17kmのコースだ。フィオーナもチューも気楽に走れるであろう。散策後、ジープでジョムソンに下る。そして完走パーティーだ。皆、思い切り酒盛りをするみたいで、楽しそうだ。
     

















     登りではタシは僕を追い抜くことが出来ない。しかし、下りになると追いつかれて抜かれてしまう。その直ぐ後から来たリチャードにもあっさり先を行かれてしまった。
     左手、間近にトロンパスが見えてきた。28年前に越えた標高5413mの峠だ。6000m級の山に挟まれている。あの時は、高山病で殆ど記憶が残ってはいない。よく、あんな高い所を越えたものだ、と感心しながら眺めた。正面にはニルギリ7000m峰、右には8000m峰のダウラギリが望めた。実はこの時、日本の登山隊がダウラギリを目指し、そして80歳になる三浦さんがエベレストを目指していたのだ。比較にはならないが、日本人である僕はムスタンを走り終えようとしている。頑張るって幸せなことなのだな、と思いながら走った。













     大きな吊橋を渡るとムクチナートだ。タシとリチャードは既にゴールしているに違いない。ラストランに相応しい走りをした。
     術後の傷の痛みはなかった。スタートしたばかりの頃は痛みが残っていたから不安であった。しかし日に日に痛みや動かせる範囲が広がった。今では時々、心臓の悪かったことを忘れるほどであった。ここまで運よく発作が起きず、転倒をしなかった。ムスタンを走り終えることができる。と思うと、熱いものが込み上げてくる。
     
     ムクチナートは28年前の面影を全く残してはいなかった。昔は2件の平屋の宿しかなかった。今、僕が見ているムクチナートの町並みは、正にホテル街、3階4階建ての立派なホテルが軒を連ねていた。
     川底に走る二人が見える。タシとリチャードだ。道を間違えてしまったようだ。ここぞとばかりにスパート。二人も懸命に登ってきた。僕は二人を待って、三人でゴールすればいいものを、意気揚々と先にゴールしてしまった。「先にゴールしてしまってごめん」。その時の悔しそうな二十歳のタシの顔が印象的であった。












     みんながゴールした。不完全燃焼のマットは、そのままジョムソン目指して再び走り出した。それを追うようにウペンドラとリジーが走り出した。その時、僕はすっかりビールで酔っ払っていた。
     
     ムクチナートは仏教とヒンドゥー教の聖地である。天然ガスが噴出しているからだ。寺院の周りには108の泉が出ていて、これを全て被ると無病息災になれると言うから、108の泉で心臓を濡らした。







     帰りのジープから、カリガンダキの河原を走るウペンドラの姿が見えた。その流れるような美しいランニングフォームに、ジープの中の皆が息を呑んで見つめていた。
     
     夕食は、皆でダルバートを食べた。そしてワインとビールの空きビンが並んだ。
     順位発表では、リチャードが一人ひとりに対して感想を述べてくれた。僕には「リョウイチは英語があまり通じなかった。でもいつも皆の中心にいた。何故か。いつも爽やかな笑顔を絶やさなかったからだ。貴重な家族だ」。皆が、うなずいていた。嬉しい。本当にムスタンを走れてよかった。












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      Tangge(3240m)〜Chhomnang(2980m) 32km

       









       

       朝食のツァンパ(麦の粉)にお湯とハチミツを掛けて食べた。外に出ると一人の老婆が立っている。手が痛くて眠ることもできない、そう訴えているようだった。手を診ると確かに膿んで痛そうだ。余りにも埃まみれで汚かった手を洗わせた。そこへ持っていたアプリコットオイルを塗ってあげる。そして4色ボールペンをあげた。少しでも喜んでくれたら傷の治りもいいであろうと思ったからだ。それを見ていたリチャードがちゃんとした薬を探してきてくれた。
       チベット人達は不潔で野蛮人だとよく言われてきたし、僕も今までそう思ってきた。原因は教育と、何より水不足だったからだ。清潔にする習慣と、気軽に使える水があればいいのだが、よい方法はないのだろうか、それが可能になれば病気も減り、かなり長生きできるようになるだろう。



       
       
       今日のトレイルは単純だ。標高3240mのタンゲから、標高4218mPaha目指してひたすら高度を1000m登る。そこからは展望がいいSiyarko Tangk尾根の走りを十分楽しんだ後、標高2980mのChhusang目指して下る。登って、気持ちよく走って、降りるだけだ。イメージが決まると気持ちが楽になる。
       タンゲ川に架かるつり橋を渡ると、小さな尾根を越えて、Yak川を素足で渡る。ホーリーとタシが先行していたが、川の流れが激しく立ち往生していた。僕は遠慮なく速い流れの中を先に渡ろうとした。余りの冷たさと、流れの速さと長さで、川の中ほどで後悔したが、強引に渡りきってしまった。その後、登りの途中で振り返ってみた。その時はまだ河原を二人がウロウロしているのが見えていた。今日はホーリーよりも早くゴールできるかもしれないと思った。何度か写真を撮る度にホーリーの姿を探したが、小さく見えてから追いつかれるまではあっという間だった。その後にはタシにも抜かれてしまった。「写真ばかり撮っていないで行くわよ」、と笑われてしまった。










       遂に、隊長のリチャードにも追いつかれた。のんびり写真を撮りながら走るのなら、モデルになってほしいと頼まれる。シャルコタンク尾根で絵になる所では、度々モデルになりながらチュサンを目指した。そんなことをしている間にマットも抜かれてしまった。今日は頑張るつもりだったのにダメだった。その後はタシ、マットと三人で抜きつ抜かれつ繰り返し、リチャードは前後しながらシャッターを切っていた。
       雪のあるところで、前から雪の塊が飛んできた。リチャードが投げたのだ。僕は後ろにいたマットにめがけて雪の塊を投げるとヒットしてしまい雪合戦となった。バカバカしさと愉快さで何だか楽しかった。

















       シャルコタンク尾根の東側は激しく切れ落ちた断崖、西側半分はなだらかな斜面だった。そして行く手にはアンナプルナとダウラギリが聳えていた。僕達が立っている所は、全く緑のないチベットの台地だった。明日のレースで終わってしまうのだ、と思うと一抹の不安と寂しさがあった。だから三人でなんとなく前後しながら走っていることが楽しかった。
       遥か下に緑の絨毯が見えた。チュサン村の麦畑だ。高低差は1000m以上ある。僕は激しい下りを怖がっていると、三人の姿が段々小さくなってしまった。ICD(植え込み型除細動機)が下りの弾みで揺れるのだ。それを手で押さえながら、転倒にも備える走りをしていた。
       













       やっと下り切るとリチャードが待っていてくれた。村の入り口からはリジーやウプレンドラが手を振っている。リチャードは、僕を前に促し先にゴールさせてくれた。
       チュサン村は懐かしい緑の匂いが満ちていた。見上げると杏林の中だった。居心地のいい風が吹き抜けて行く。その風を全身に感じながら、それぞれ横たわり、1000mの斜面に目を向けていた。一人、また一人と斜面に姿を現した。下り終わる頃、皆で村の入り口に出向き、歓声を上げて今日の頑張りを称えた。僕達は家族だ、そう実感した。























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        Yara(3600m)〜Tangge(3240m)・32km


































         自称、俊足ネパール女性は勘違いに気がつき、馬と共に帰っていた。急にインドで仕事ができたのだ、とか。
         朝食を終え、Luri Gompaへ向けてトレッキング、今日はゴンパから9時にスタートする予定だ。足場の悪い、川底のガレ場を歩く。ただそれだけなのに、ウプレンドラの姿が消えてゆき、僕も後方の皆とどんどん差が開いてくる。走りも歩きも、速いも遅いも同じだった。 Ghara Gaon村の近くで子連れに出会った。母と子である。ウプレンドラと何やら話をしていた。そして僕に言うのだ。「さっきの子連れの女、14歳だって、子供は1歳、俺、ナンパされたよ。」ガラガオン村はヤラ村よりも更に貧困に見えた。子は1歳に見えたが、母が30歳くらいにしか見えない。平均寿命が極端に短い山間部の人たちは、老け込むのも早いようだ。旦那は帰ってこないそうだ。きっと、ウプレンドラを頼もしく感じたのであろう。


























         Luri Gompaは標高4000mを越えていた。そこにも洞窟が点在し、崖の中腹に寺院だあった。そこからスタートする。門番をしている3人の子供に寺院へ入れてもらう。用が済むと山羊よりも早く駆け下りていってしまった。命知らずというか、逞しいというか、とにかく驚いた。
          最後にたどり着いたチューを待ち、スタートが10時15分となった。来た道を戻る。タシとウプレンドラが河原を突っ走ってゆく。信じられない速さで駆け下りる。凄い動体視力だ。さっきの子供達と同じ山の民なのだ。
         Yara村の手前に架かる吊橋を渡った。そこから緩やかに登って行くと、広くて真っ平な大地に出た。サッカーのグラウンドが10や20は余裕に作れそうな広さだった。どんな理由でこの傾斜のない大地ができたのだろうか、不思議だった。その広地の奥に、ウプレンドラから遅れだしたタシとホーリーが二つの点となって動いていた。リジーはウプレンドラに追いついて行ったのだろうか、勿論ウプレンドラが引き離さなかったならばだが、なんだか二人は笑いながら走っているような気がした。
         いきなり川底へと急な斜面を下った。川幅が約1km程あるKali Gandaki川の支流Puyung川の広い河原だ。そこを裸足になって渡った。意識が遠くなる冷たさだった。渡り終え、約5km、標高3400mから4015mの峠に登らなければならない。その峠は、河原から見えていた。いったいどのくらい時間がかかるのだろうか、タシに、この登りで追いつけるかもしれない、気合を入れた。
         2時間後、タルチョウ(五色の祈祷旗)がはためく4015mの峠に至った。結局タシの姿は一度も見ることができなかった。ここからは遠いが8000m峰の人を寄せ付けない険しい峰が見えていた。久しぶりにアンナプルナやダウラギリが姿を現したのだ。後ろを振り返ると、なだらかなチベットの山並みが広がっていた。僕は感謝の気持ちを込めて「キキ・ソソラ・ギャロー、さようならチベット」、とつぶやいた。
         見晴らしのいい、ヒマラヤ山脈を望みながら、少しずつ高度を下げる。後ろからリチャードが追いついてきた。リチャードに僕は写真のモデルをして欲しいと頼まれ、度々足を止め、撮影をすることになった。後から来たマットは一度も走りの姿勢を止めず、降りていった。視界にある限り、のぼりでも一度も止まることはなかった。その姿にリチャードと感動する。タシとマットは昨日のお返しに頑張ったようだが、撮影のおかげで楽しい一日となった。明日は頑張ろうと思う。
         
         Tangge村のゲストハウスも調理台が一つだった。夜食の時間短縮の為、全員ダルバート(ダルは豆スープ、バートはご飯)を注文する。これにタルカリ(おかず)が1,2品付いた。注文してから3時間後、ダルバートが出来上がった。朝食は皆でツァンパ(挽いた麦焦がし)にハチミツを注文した。
         ここも星空が見事だった。眠いが毎晩、星の写真を撮らないと落ち着かなかった。今夜もカメラにムスタンの星空を収めることができた。安心して眠ることができる。毎日8時に寝る、そして2時に起きて撮影をした。心臓の方の不安は小さくなってきたが、こんな毎日だから、一日中眠たかった。




         夜、リチャードから相談をされた。「フィオーナとチューの疲れが限界になってきた。コースを変更したいのだが、いい案はないであろうか」、と言うことだった。僕が提案したのは、ムクチナートまでの45kmには行かず、チュサンまでの32kmにする。ラストレースをジョムソンではなく、チュサンからムクチナートの17kmにしてはと、そしてそれが採用されることになった。なんだか頼りにされて嬉しかった。
         













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          Lo-Manthang(3809m)〜Yara(3650m) 37km

           スタートの時間を皆でのんびり待っていた。話題は残り何日で国に帰れるかだった。弱いホームシッックとなっているようだ。僕も昨夜から残りのことばかり考えるようになっていた。多分、ホームシックとは無縁なネパール人のウペンドラとタシは考えてはいないであろう、イギリス人でカトマンズに居を構えるリチャードも考えてはいないと思う。リジーも少しでもネパールの野山を走っていたいようだった。毎日その日のレースが終わって皆が走り終わると、ウペンドラを誘いどこかへ走りに消えてしまった。このレースの1週間前にも、エベレストベースキャンプからエベレスト街道を辿り、更にカトマンズに至る、250kmのレースを終えたばかりだった。僕なら、このムスタンだけで満たされ、1ヶ月以上は余韻に浸っているだろう。きっと彼女の住処はここヒマラヤなのだ。今日も晴れた、暑くなりそうだ。


           

           地図を見ると、今日のコースは大きな登りがなく、最後に険しい下りがあるだけだ。スピードランナー向けのトレイルと見た。僕はスピードランナーではないが、今日のコースは比較的呼吸が乱れにくい
          から、今までのように登りで呼吸が荒れることが少ないと思う。今までと比べて満足な走りが期待できそうだ。
           先ずは、ローマンタンのメイン通りにある長いマニウオール(マニ車の列)をカラカラ右手で回しながら時計周りに走る。再びゲストハウスに戻る頃には皆、各ポジションに納まり、互いの距離が広がっていった。前方からウペンドラとリジー、ホーリー、僕、タシ、マット、リチャード、コン、リベッカ、昨日から参加の自称ネパールエリート女性のスオウパ、その後をフィオーナ、チューの順序に走っている。





           
           「ローマンタン風の峠」で、僕らの荷物を運ぶ馬が見えてきた。僕の荷物の中には一眼レフのボディーや4本の交換レンズがあり、携帯電話やタブレットなどの精密機械が入っていた。壊れないようにソフトカバーなどに包んでいたが、大丈夫であろうか、自分の青いザックを軽く叩いた。しかしこの時、既にタブレットには大きなヒビができていた。その事実を知ることが嫌で今まで確認をしてこなかった。だから後で見たときには、ある程度の覚悟はできていた。「ショック〜!やっぱりだよ〜」となった。





           

           写真を撮りながら、度々後ろを振り返った。少しずつ小さくなってゆくローマンタン、再び帰ってくることはあるのであろうか、近い将来ムスタンは近代化しているに違いない。既に隣、中国からの立派な道路が延びつつあった。沢山の物資が送り込まれてくるに違いない。僕は、そうなる前に訪れてみたかったのだ。心臓発作で一時は断念しなければならないのか、と気持ちがかなり追い込まれていた。だから今見えているローマンタンの全景が、感無量だった。
           峠を越えると、ローマンタンは姿を消した。気を取り直して我に返り、前を向いて走り出した。







          他のツアーのポーターたち


           

           まだタシには一度も勝ってはいなかった。今日くらいは勝ちたい。その思いで殆どカメラは出してはいなかった。全力で走ると不安なので、少しだけ本気で走った。マットとタシが諦めてくれるとありがたいのだが。
           前方からは白く険しい峰、ヒマラヤ山脈が少しずつ近づいてくる。カリガンダキ川を挟み西の山並には、前半辿ってきた谷や町、道らしきものが見えていた。今日の絶景はカメラは出さず、脳裏に焼き付けた。約700mの高度差がある最後の険しい下りは、尻餅をつきながら必死に下った。タシの下りの速さとテクニックは流石シェルパーニだ。でも追いつかれたくはなかった。後ろを振り返らず、足元に注意を払いながら下り切ったDhi Gaon村(3600m)に着き、初めて背後の斜面にタシの姿を探した。タシの姿はなかった。やっと一息ついて、麦畑に包まれた村や、山肌にカメラを向けることができる。











           

           Yara、2時間16分、4位。
           8分後、タシが悔しそうに帰ってきた。写真を撮らずに走れたらシェルパー二・タシには負けることはない、これがきっかけでタシと仲良くなった。
           足はすっかり埃を被っていた。靴を脱ぎ足を開放した。埃が日焼け止めの役割もしていたような気がする。正面から降り注ぐ直射日光の影響が少なかった。
           ウペンドラが地酒を飲もうとしていた。粟を発酵させたチャンと言う酒だ。お湯を入れて発行させ、濾したものがチャンだ。作り方を見ていてが、今日は遠慮する。ウペンドラは気持ち良さそうに酔い始めた。


















           ヤラ村はこれまでの中で、最も貧しい村だった。汚れた身なりと、憔悴した表情に少し戸惑うほどだ。出会った村人に、アーモンド入りのチョコを配ってみた。最初は戸惑う村人達も、それが憧れのチョコであることを確認すると、神妙な顔で口の中に含ませた。すると勿体無いと思ったのであろう、直ぐに包みに戻してしまった。

           今日も散策に出かけた。Tashi Kabumゴンパ、洞窟寺院を目指す。今にも土石が崩れてきそうな深い谷間を抜けると、絶壁があった。辺り斜面一杯に穴が空いている。百ほどの瞑想窟から形成されていた。僕達は中央の大きな穴を目指して登りだした。穴の中には、簡素な木梯子が上へと伸びていた。扉があり、そこを開くと、中央にチョルテン(仏塔)があった。チョルテンの周りには、小さな石を彫った仏像や仏塔が所狭しと残され、壁には綺麗な壁画が描かれている。多くの人たちが昔ここで瞑想し、石を奉納していたのであろう。この谷や山並みを見ながら、そして星空と対話しながら瞑想していたのだ。しかし今は使われてはいないようだ。
           





































           ここには電気はない。陽が暮れると空は薄明となり、谷は闇に落ちた。蝋燭の明かりの中での夕食が済んだ頃、なにやら外が賑やかになった。蝋燭の明かりを持って女性達がどんどん中に入ってくる。そして歌いだし、踊りだした。歓迎の宴が始まったのだ。地面の埃が舞い上がった。残念ながら埃ばかりで写真に収めることが困難だった。澄んだ歌声が谷に広がる。昼間に登った瞑想窟へは、この歌声は届いたのだろうか、単調なリズムがいつまでも続いた。
           外に出ると空は星で埋め尽くされていた。そこへ大きな明るい流れ星が走った。空、地、人、昔から変わらぬシンプルな生活だった。僕達は快くお礼をした。気を良くした女性が再び歌い踊りだした。
















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            ぃ烹錚遑磽茖錚襭譯蕁複苅横娃娃蹇法Γ味錙檻唯瓧遑遙茖瓧遑隋。味錚錚陝。劭n・31km


            ソーラークッカー
            太陽熱でお湯を沸かしている。



            ローマンタン・ゲストハウス
            3日間お世話になった部屋




             

              英語で説明をされても半分も理解していない。とにかくウプレンドラのマーキングを辿るしかなかった。景色もトレイルも荒れ放題だ。そのトレイルも殆ど踏まれていない過去のものだった。
             出発前にカタ(祈願する時などに使う白い布)を渡された。多分、有名な瞑想寺に奉納する為に渡された物であろう。ムスタンには至るところに瞑想窟の穴が、岸壁の斜面に空けられていた。今まで散々見てきたが、今日の瞑想窟は別格な場所だった。塩が地表ににじみ出ている白いトレイルを行くと、今度は赤い風化した山並みが見えてきた。全く栄養がない土だ。そして塩分がある。生活するには無理である。しかしそこにも村があり、不毛の大地を耕しに鎌を持って出かけていく人の姿があった。その殆どが麦畑だったが、所々赤い蕎麦の花を咲かせた畑があった。とても限られたギリギリの生活をしている。昨日、ギロという蕎麦団子を食べた。ニンニク入りの蕎麦掻にハチミツをかけて食べたのだ。それがすっかり気に入ってしまい、この後頻繁に注文していた。チベット全土、殆どの食生活はツァンパ、麦か蕎麦を挽いて粉にしたものにバター茶を加えただけの、簡単なもので済ませている。他に食べるものがなく、殆ど現金収入がない為、肉はお祝い事に少し食べられるだけだ。調べによると、栄養的には殆ど足りているそうだ。山間部の人たちが成人病にかかることは、殆どないそうだ。

             






             

             強い日差しが真上から降ってくる。赤一色の山肌と、青一色の空だった。動植物の気配はまったくなかった。正に死の世界だ。生命の痕跡は、所々にオレンジのマークが石につけられていたウペンドラの足跡であるマーキングだけだ。
             見上げた斜面の奥に太陽の光があった。その光の中心から何かが降りてくる。すごい速さで近づいてくる。ウペンドラだ。その後をリジーが追って降りてきた。楽しそうに笑っていた。二人の去った後に残るものは砂埃だけだった。谷底に石が落ちてしまうように、二人は下って行ってしまった。
             登りが続き、やがてタシに追いついた。二人で恐る恐る綱渡りのように、痩せ尾根を渡った。山頂から少し急な斜面を降りると小さな窟があった。生き物の世界からかなり隔てられた山奥で、嘗て僧が瞑想していた場所だ。近くの石にカタを結びつけた。そして思いを馳せてみた。
             来た道を戻る。やがて来るはずのマットの姿が無かった。更に後続のリチャードやコンやレベッカ、フィオーネとチューは来た。タシと心配する。その時マットは足を滑らせ、谷底に少し落ちていたのだ。 
















             針金に麻を巻いただけの命綱は劣化していた。










             再び白い大地に戻ってきた。遠くに人が住む街が見え、畑の緑があった。さっきは絶望的な所に住む人たちだと思ったが、再び見る同じ村は生を感じさせる景色に感じる。それだけ赤と青の世界で見てきた瞑想窟の場所が衝撃だった。






             

             頭上、高いところから声がした。ウペンドラだった。僕がマーキングを見失って走っていたのだ。ホーリーは僕と同じミスをおかし、更に先に行ってしまったようだった。誰もいない乾いた谷に、ホーリーの必死な叫びが届いてきた。ウペンドラも自分のマークが不完全であった事を気にして、リジーと共に高台から様子を見ていたのだ。
             高台に行き、見上げると、いくつも岩肌に穴が空けられ、一つ一つが中で繋がっていて、上まで昇れるようになっていた。僕は遅れてきたホーリーと穴にもぐった。暗い階段を上がり、開いた穴から顔を出してみた。そこに広がるムスタンを忘れたくないと思った。









             後続たちがわかるようにマーキングを増やして5人で走り出す。僕が遅れ、タシが遅れ、次にホーリーが遅れだした。ウプレンドラとリジーの姿は見えなくなり、ホーリーとタシの差が時間と共に広がって行った。







             

             Myamdo村近くで村人が老人が一人で歩いていた。そこは村なのに他には誰もいないかった。抜け落ちた歯を除かせ、満面の笑顔で迎えてくれた。その後も何度か道端で村人に会った。そこには村も畑もなかった。あんなにゆっくり歩いて、一体何をしに、何処へ向かっているのか不思議だった。しかしその笑顔はどれも迷いはなく、自信に満ちているように見えた。「タシデレー」「たしでれー」










             4時間16分、5位





            千夏へ、お見上げのネックレスを作った宿の女性



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              Lo−Manthng   RESTDAY


               
               朝2時、外が明るくなっている。屋上に上がってみると満天の星空がかき消され、下弦の月が昇っていた。雪山が月明かりに照らされて白く輝いている。目の前に立ちはだかる、嘗ての城壁の白壁も怪しいくらいに明るく照らされていた。
               昨夜は中々眠ることができなかった。お腹の調子がよくなかったのだ。頻繁にトイレに行く。経験してきた限り、この腹痛が重症ではないことはわかっていた。きっと疲れもあったのであろう、明日をのんびりすれば回復するに違いない。今、僕はローマンタンに居るのだと幸福も感じながら。月明かりの中、太陽が昇るまでじっと耐えていた。 
               マニ車を回す音が聞こえてきた。早朝、静かに村人達が動く気配で明けてくる。マントラを唱えながらマニ車を回す音が、カラカラと絶え間なく鳴り響いていた。外に出ると、家畜の山羊やヤクを放牧する為に通りを塞いでいた。家畜たちが通り過ぎた後には、道一面が糞で埋め尽くされている。その糞を大事な火種として持ち帰る村人がいた。深夜、あれほどけたたましく吠えていた犬たちは、世が明け、陽が昇ると大人しく寝はじめた。
               天井の高いゴンパの中は、薄い霧が漂っていた。低音のサントラが響いてくる。朝のお勤め、マントラを唱え僧侶達の声である。「ブオーン、ブオーン、バシャーン」時折、ラッパやシンバルの地鳴りのような音を轟かせる。まるで神様をおこしているみたいだ。僕の身体に、ムスタンの音と空気がしみこんでくる。


               日当たりがいい王宮前の広場では、朝の仕事を終えた女達が、子供たちを連れ、のんびり過ごしていた。僕は宿に戻り、4色のボールペンとチョコレート一袋を持って、再び広場に戻ってきた。ボールペン10本はここにいた全ての子供達に行き渡った。その時の、サンタクロースでも見ているような子供達の瞳を見ると、はるばる日本から持ってきた甲斐があったと思った。親達も大喜びしていた。

               朝食後、村の散策に出かけた。小僧達の学び舎を訪問してみることにした。昨日、葬式をしていた直ぐ近くだ。その家には人の気配がなかった。おそらく鳥葬をする為に、丘へ登っているのであろう。魂は天へ昇り、肉体は大地へ帰るのだ。
               小僧達は、一生懸命に将来の夢をノートにクレヨンで描いているこころだった。家族がいて、そのほとんどの絵には、虹がかかり、緑あふれる野山を描いていた。緑の大地と虹に、大好きな家族の絵は、日本も同じだと思った。
               MDSAの働きによって少しずつ緑が増えてきている。病院や学校設立のおかげで、20年前より平均寿命が45歳から55歳に延びたそうだ。それでもまだまだ苦労が多いせいか、ぼくと同世代の男女が70歳くらいに見える。高齢者が多く、長生きできているムスタンだと思っていたが、そうではなかった。でも心からの幸せの皺にも見えるくらい、よく笑っていた。ユーモアがあり、優しくて、笑いが絶えない禁断の国だ。きっと、自然環境が厳しいからこそ、ささやかな幸せのありがたさや大切さを知っているのであろう。先進国では益々怠ける便利なマシーンが増えた。心からのありがたみの気持ちから、人の義理ばかり気にする生活になったな、と思った。

















               女性5人はトランプに熱狂していた。ウペンドラは僕と同じくお腹を壊して元気が無かった。ムードメーカーでひょうきんな彼がちょっと心配だ。アジアの二人、コンとチューは寝てばかりだった。マットは僕と同じように街中を散歩していることが多かった。リーダーのリチャードは、度々こだわりのコーヒーを煎れてくれていた。
               夕方、一人で「風が強い丘」、という名前の山に登った。四つんばいでよじ登ったり、足元がすべるから、幾度か行き場を見失ったりしながら、無事、頂上に達した。昇ってからわかったのだが、左右には穏やかな稜線上に道がちゃんとあった。そこを僕は険しい所から直登してしまったのだ。そこから望んだ景色は、トップ・オブ・ザ・ワールドだった。どこまでも波打つ山並みが続いていた。原始の惑星、「地球」の姿だった。












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                Ghami(3570m)〜Lo−Manthang(3800m)40km

                 
                 

                 清々しい朝だ。疲れもない。昨日に比べたら今日のコースは迷うことも無く、一度登ると後はだらだら長く下るばかりだ。ところで最年長コンは大人しかった。少し反省をしたように見える。
                 スタートして吊橋を渡り、登った所にGhami病院がある。MDSA(ムスタン地域開発協会)、近藤さん達が建てた第一号の病院だった。医師1名、看護士2名、医師補1名、日本人スタッフが常駐している。挨拶に伺ったが、まだ朝が早すぎて現地のスタッフしか居なかった。風が強いから、入り口がすべて中庭に面している。その中庭の中央には、日本を思わせる桜のつぼみのオブジェがあった。
                 この病院が無かった頃は、祈祷師を呼ぶか、1週間以上掛けてポカラに行かなければならなかった。現在、ムスタンには3棟の病院と7校の小学校がMDSAによって建てられ、農業や畜産の実践や教育をし、貧困に喘ぐムスタンの人々のために役立てられている。









                 きっとMDSAが農業の指導をしたのであろう。これから畑仕事に出かける、明るい表情の村人達に見送られながらローマンタンを目指した。





                 タシとマットを追い抜き、長い登りを辛抱強く歩いた。





                 










                 登りは傾斜が急なガレた所だった。4120mの峠Mui−Laを越えると、がらっと世界が変わり、そこから先は、緩やかな平の下りが10km以上続いていた。
                 Char Gomba(3920m)には、ネパール最古、800年以上昔に建てられたゴンパがあった。折角なので、チベット式に五体投地をし、旅の安全を祈願した。
                 外に出るとタシが出て行くところで、マットがやってくる所だった。二人共ゴンパには入らなかった。順位とタイムに拘っている様子である。
                 乾き切った何もない大地だった。所々にお経の彫られたマニ石や祈祷旗が目標だ。それを結ぶ道は無く、あるいは全てが道だ。己の足で繋いで行く。風に身体をなびかせながら、まだ見えないローマンタンを目指した。遂に緑が現れた時、憧れのローマンタンであることを知った。涙目になりながら、走るペースを上げた。
                 ローマンタンは城壁に囲まれていて、入り口が解らなかった。少しずつ焦り始めた時、ウプレンドラのマーキングを見つけ一安心、街の周りを時計回りに一周、ゴールのゲストハウスで先着に出迎えられた。
                 最後のチューが中々来なかった。風は益々強くなり、砂埃で目も開けられなかった。小砂が肌を打ち、強い太陽の光に肌を焦がしていた。それでも外で、チューが現れてくれるのを全員で待っていた。
                 チューは僕らの荷物を運ぶ馬と共に姿を現した。リタイアしたのだ。皆で完走をしたかった。皆の落胆は大きかった。今日のコースは楽だったのに何故だ。僕も悔し涙で一杯になる。 明日は走らないでのんびりできる。しっかり身体を回復させ、後半戦に備えて欲しい。

                 村を歩いていると、太鼓の音が聞こえてきた。小僧達が学ぶ学校の直ぐ脇だった。初めは学校の事業かと思ったが、その悲しげな読経と太鼓の音が亡くなった人を送るものだと気がついた。行ってみると、悲しい嘆きで一杯だった。ムスタンの大地へと帰るのだ。

                 ムスタンはネパールからはみ出した位置にある。東西、北に見える高地の先は中国、チベットだ。ラジオからこぼれるのは中国語だった。ムスタンの人たちはチベット語を使うが、チベット本土の人たちは北京語の教育をしているのであった。流通する電化製品も中国製だった。しかし壊れているものばかりだった。ただの飾りとなってしまっていた。







                ローマンタン



                日向で和む















                3時間44分・5位





                0

                  ■達茖紕譯紂複械横娃娃蹇法腺韮茖瓧蹌蕁複械毅沓僑蹇烹械牽襭


                   
                   
                   5時に起床、5時30分に朝食、準備、6時30分にスタートだ。昨日とは違って今日は距離が長く、アップダウンが激しい。ムスタンは極地的な強風が吹くことでも知られている場所だ。出来るだけ10時ごろから吹きだす砂嵐を避けたい。早速の急登に四苦八苦する。




                   
                   長い石段の連続であった。1時間半も、ひたすら足がかりを上へ上へと伸ばした。やっと着いた3660mのDajong峠から、登ってきた谷を見下ろした。動くものが全くなかった。強い日差しに照らされ、肌がちりちり音をたて、焼けているような気がする。
                   Samar村を過ぎると、今度は激しい降りとなる。道はガレていて怖かった。地の底を目指すように下る。タシはどうやら下りが得意の様だ。野生的な動きで下って、あっという間に姿を消してしまった。さすが天下のシェルパ民族だけはある。   
                   やがて小川のせせらぎが聞こえてきた。やっと地の底に着いたのだ。ウペンドラが付けてくれたマーキングが細い支流に伸びていた。1kmほど登ると洞窟寺院があった。グル・リンポチェ(最高僧)が瞑想をしていた洞窟だった。そこを一人の男が守っている。お布施を渡し、中を案内をしてくれた。洞窟守は視力も言葉も失いかけている様だった。地図には載っていないこのCaveMonastery(洞窟僧院)に年間何人の訪問があるのであろうか、極まれに地元信者が食べ物を運ぶくらいなのかもしれない。
                   ここはチェックポイントになっている。時間的にタシとマットは入り口で引き返したようだったが、折角だから僕は洞窟にもぐり込んでみた。この辺りの地形は砂岩だ。しかし洞窟内は花崗岩でできていた。煙で燻されていた洞窟内が、一部分が鍾乳洞になっていた。と言うことはきっと探せば温泉を探すことができるかもしれない。天井には無数のカタが引っかかっていた。男が湧き水を飲め、と言うので飲んでみた。とても冷たかった。身体の何処かにスイッチが入ったような、爽快な気がした。
                   







                   

                   深い谷底には日の光は届かなかった。時々石が頭上から降ってくる音と、自分の足音、荒い息使いが聞こえる、それ以外の音を立てる物はなかった。ひんやりしていて、とても静かだ。川底に戻ったとき、小石が崩れてきた。コンが降りてくる音だった。
                   川底からは、厳しい登りが続いた。薄暗い谷底を登ると、少しずつ天の窓が広がって明るくなってくる。そして、じりじり肌を焼く強い日差しの世界に出た。峠に出る。極端な地形の変わりようだった。険しい谷間の風景から一変した。見渡す限りのなだらかな砂の丘がどこまでも広がっていた。


                   



                   
                   見晴らしのいい一本道を行くと、チェックポイント兼水分補給ができるChhyungkar(3850m)が見えてきた。ジープ道を調子よく走っていたら、近道のマーキングを見逃してしまった。おかしいな、と辺りを見回すと、遠くにマットが走る姿が見えた。随分遠周りをしてしまった。
                   結局マットの30分遅れで着いた。ちょうど水も空からな状態で着いた。水分補給をする。



                   

                    Geling村(3570m)から先頭のウプレンドラがマーキングしてくれるマーキングを頼りに道無き道を辿るが、そのうちマーキングを見失ってしまう。前のマットとタシの姿はなかった。後ろのコンも見えない。仕方なく地図を頼りにMyi峠(4020m)を目指した。人が足を踏み入れた形跡は全く無かった。棘のある低木に苦闘しながら地図を見て、信じるべき方角に向かっていた。
                   目をこらすと反対斜面に道らしき痕跡が見えた。明らかにホーリーの足跡がそこにはあった。暫く走っていると、山のうえからタシが駆け下りてきた。彼女もマーキングを見失っていたようだ。僕が確信を持ってウタ(こっちだ)と伝えると、僕の後ろをついてきた。
                   峠付近の岩の上に人影が突然走り出した。ウプレンドラだった。やっと着いた峠のくぼ地には、風を避けていたリジーもいた。マーキングのペンキが切れ、一旦ゴールした後、心配で引き返してきたのだと言っていた。後続が見えないし、風がかなり強くなってきたから4人で戻ることにした。そして一斉に駆け降りだす。下りの得意なタシはウプレンドラとリジーに付いていけたが、僕はまるで留まっているくらい遅く、その差はあっという間に広がり、山陰に消えてしまった。僕はそんなに遅いのか、何と言う奴らなのだろう、あいつ等、きっと人間ではない。







                   

                   遠くに緑の塊が見えてきた。今日のゴールGhami村(3570m)だ。近藤さんが作り上げた立派な風除けの石垣と田んぼが広がっていた。その畦道を僕は走った。
                   ゴールすると、ウプレンドラがビールを飲んでいた。僕も頑張った褒美にビールを注文した。中国チベットのラサビールだった。ネパール産より中国チベットの物資の流通が近いからだ。このラサビール、幸いアルコール度数が2%と低いから高地でも安心して呑むことができた。 












                   
                   全員がゴールした。そこで街の散策をしに出かけることになった。しかしコンとチューは来なかった。疲れていただけではなかった。ウプレンドラのマーキングが無くなっていたことに対しての抗議だった。香港のトレイルやマラソンも日本と同じく、ボランティアによって至れり尽くせりらしい。不手際に腹を立てていたのだ。チューは同部屋でもあり、コンの巻き沿いを食らってしまったのだ。僕らはほおっておくことにして歩き出した。























                  6時間1分、6位



                   

                  0

                    。烹腺韮贈釘裡鼻複横牽娃沓蹇法腺達硲釘味邸複械横娃娃蹇烹械隠襭


                    これから向かうムスタン方面




                     
                     朝7時30分、カグベニでメインのマニ車(右手でお経の書いてあるマニ車を回すと、お経を一度唱えたことになる)を時計周りに走り、スタートとなった。その後、皆すごい速さで急斜面を駆け上ってゆく。後ろにはチューとマットがいた。今日のコースは走りやすく、距離も短かった。皆、レースモードで突っ走って行ってしまった。心拍数が僕も160を多分こえていたと思う。持続させないように走りを止めて歩く。
                     その後も、調子良く走れる訳も無く、写真を撮りながら景色を楽しみながら走った。遅かったが、ムスタンをちゃんと走れることが、たまらなく嬉しかった。不安でこれからが少し心配だったが、それよりも、この広い原始の世界を思わせる大地を、たっぷり走れる幸せを感じていた。きっと序の口なのだろうけど、ダイナミックな地形に魅了されながらのんびり走り続けた。
                     ジープロードから離れ、生活の道を走る。やがて広いカリガンダキ川は急に狭まり、深い谷へと姿を変えた。大きな壁をよじ登るようにして上がった先に、今日の目的地チェレ村があった。村に入り、更に登った村外れにゴールの宿があった。先にゴールしていた皆が外で待ってくれ、賑やかに迎えてくれた。
                     走っていた間はずっと穏やかな天気だった。10時頃から急に風が吹き出した。その前に着けてよかった。(2時間10分・5位)



                    ジープロード





                    Chhomnang3050m



                    チェレ村直下



                    Chele3200m



                    カリガンダキ





                    今日の分の非常食を食べながら皆を待つ


                     
                    チェレ谷





                    暮れるChele村全景

                    0

                      ムスタントレイル280km・ウオーミングアップ

                      羽田〜クアラルンプール〜カトマンズ〜ポカラ〜ジョムソン



                       JOMSOM(2743m)〜KAGBENI(2807m)23km

                       4月29日、晴れ、走り出すのは明日から、多分これから先もずっと晴れの日が続くはずだ。今日は少し速めのトレッキングで、足慣らしの峠越えをする。
                       ジープロードを外れ、本道からも外れ、地元の人しか知らないような、心細い人の踏み後を登る。この登りでなんとなく皆の走力が見えてくる。その中で不安な3人がいた。最年長55歳、香港人のコンは過去35kmを走ったのが最長距離。49歳、フィリピン人のチューはハーフマラソンを二度走った事がある程度。それでも来月はアイスランドの250kmステージレースにエントリーしていると言っていた。イギリス人のフィオーネさんはフルマラソンを走った事がある、と言っていた。三人とも完走はできるであろうが、きっと苦労するだろう。リジーは流石、ツールドモンブランを4連覇しているだけあって強い歩きだ。ネパール人二人、山岳ガイドをしているシェルパのウペンドラとタシは問題はない。ホーリーはリジーと同じ仲間で美人で速かった。フランス系アメリカ人のリべッカは、7月に僕も走る予定のラダック222kmに参加する、問題はなさそうだ。オーストラリアのマット50歳だけは未知数だった。主催者であり、ランナーでもあるリチャードは勿論余裕だ。その他に部分参加の二人のネパール人で参加者全員である。







                      昔は海だった証拠

                       

                      DHAULAGIRI(8167m)


                       8時に歩き出した。ジョムソンの街が眼下に小さく消えてゆく。カリガンダキ川の対岸奥に雪に覆われた峠が見える。28年前に越えたトロンパス(5413m)だった。その時、高山病で苦しんだ時の事を思い出す。今回のレースでは、最高地点でも4200mほどだから、高山病になることはないであろう。



                      トロンパス(5413m) 


                       峠に着くころには風が強くなってきた。じっと立ってはいられないほどだった。僕はタシと同じペースで歩いてきた。標高3400mの峠に早く着いていたウペンドラ、リジー、ホーリーの三人は、くぼ地で身を隠して待っていた。やはりフィオーネとチューが最後だった。
                       下りは皆で走った。30分ほどでPhayak村(3150m)に入り、クッキーとチャイ(甘いミルク紅茶)で軽く空腹を満たし、途中風に煽られ、幾度かよろけながらKagbeni(2807m)を目指す。帽子とリュックに刺していた日の丸の旗が飛ばされて、慌てて拾いに行くハプニングもあったが無事に到着した。
                       埃舞うKAGBENIは城壁に囲まれている。中に入ると風は入ってはこなかった。高い壁に囲まれた迷路になった街だ。日向では村人達が思い思いにくつろいでいる。28年前に来た時と同じだった。ここから北のムスタン王国には以前はまだ行けなかったが、現在では特別な入域許可書があれば年間400人までは入れることになっている。僕らはポーターやカメラマンを含め総勢20人、年間入域できる20分の1に相当する。入域料は700$と高額だ、だから限られた人しか入ることができない。 
                       一人の老婆が僕の手を取り、自分の額に運んだ。そしてお経を唱えだした。なんとなくお礼をされている気がしていた。子供も遊んで、とじゃれてくる始末だった。近藤さんのおかげなのであろうか、日本人の僕に対してとても友好的だった。
                      KAGBENI







                      近藤さんの畑


                       


                      Musutang Family





                      Lizzy Hawker(UK)



                      Upendora Sunuwar&Tashi Sherpa(Nepal)



                      Tze Kong Yeung(Hong Kong) 



                      Arthur Chu(Philipines)



                      Fiona Glen(UK)



                      Holly Rush(UK)



                      Matt Ingam(Australia)



                      Sworupa Khadkha(Nepal)



                      Richard Bull(UK)



                      Rebecca Byerly(USA)


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