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  • 2017.06.06 Tuesday
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    Manaslu Trekking 帰り



     殆ど駆け足で降り続けた。ソナムも早く帰りたいようだった。今月はシーズンオフにも関わらず、二回分のガイド料が手に入るのだ。家族、それに三人いると言う彼女にプレゼントを買うらしい。ご機嫌に唄を歌いながら、電話はしながら歩いていた。



     ラバに乗った男の子がご機嫌だった。意地悪なおにいちゃんがラバの尻を叩いたときだった。ラバが暴走しだしたのだ。必死に泣き叫びながらラバにしがみついている男の子、追いかけるお兄ちゃん、お母さんも泣き叫んでいた。数分後にラバは落ち着きを取り戻した。男の子は落ちなかった。そして再び歩き出した。振り落とされていたら大惨事になっていただろう。何も無かったかのように歩き出す三人の心境が知りたかった。それぞれの非を認めているからだろうか、なにも無くてよかった。



     タトパニで久しぶりに身体を洗った。気になるのが足の裏だった。粘液で足の裏べとべとで、赤く腫れている。足の裏を綺麗に洗い流したが、靴下を履いて暫くするとべとべとになってしまった。早く医者に見せなくては。



     大晦日の日だ。様々な荷物を背負う若者達に出会った。鉄の建築素材を担ぐ若者は12kg×10本だった。女性だって5kgのベニヤ板を10枚運んでいた。ネパールには鉄道がないし、道路もろくに整備されていない。トンネルだって一つも彫られてはいなかった。殆どが人力なのだ。人って凄い生き物なのだと改めて想い知らされた。
     帰りのバスは乗っていて生きた心地がしなかった。普通なら崖崩れのために通行止めにする道を、このバスは無理矢理走った。唸りを上げ、歩く速度並みのスピードで走り続ける。
     
     翌日の元旦に、再びバスを乗り換えカトマンズに向かう。今日は朝から激しい雨だ。谷間の坂道を、タイヤを滑らせながら進んだ。谷底にはジープらしき車の残骸が残されている。紙一重の状態だ。遂にはスリップで動かなくなり、皆でバスを押した。僕は外人で、脚の裏が痛むからバスの中から応援していた。カトマンズに着いた時には、心底バスドライバーに感謝した。

    バスの中で

    あの運転手さん、そんなに激しくバスを揺らさないで下さい、後ろの人が吐きそう
    あの運転手さん、前のおばさんの「かーっぺっ」て吐きだす唾が僕の所に飛んでくるんです
    あの運転手さん、足元の鶏が目を回してるみたい
    あの運転手さん、谷川を走るとき、僕側の時は内側気味にお願いします
    あの運転手さん、今、横に大分タイヤが滑りましたが
    あの運転手さん、バスが進んでませんよ、あっ、蝶に抜かれました
    あの運転手さん、僕もバスを押すんですか?足に豆があるので
    あの運転手さん、せっかく動き出したのに、今度は何故バスを止めたんですか?あっ、CDの調子が悪いんですね
    あの運転手さん、今度は何故バスを止めたの?タイヤがツルツルで交換するんですね
    あの運転手さん、今僕天井まで飛んだよ
    あの運転手さん、僕谷に落ちて死ぬのかな?ネパールでは度々バス落ちるもんね
    あの運転手さん、車掌さん凄いんですよ、こんなに揺れていても集金にくるんです
    あの運転手さん、僕のお尻が限界です
    あの運転手さん、もう6時間も経ちましたが、ドロドロ地獄から出てませんよ
    あの運転手さん、僕頑張るよ
    あの運転手さん、街に着いたよ、良かったね!
    あの運転手さん、何で走り出さないんですか?えっ、バスが一杯にならないと出さないんですか

    あの運転手さん、やっとカトマンズが近づきましたね!
    あの運転手さん、横入りの車ばかりで中々進まないね
    あの運転手さん、10時間走って170劼世茵良く皆耐えたね
    あの運転手さん、もうこの辺りから歩いて帰ります。さようなら

    あの運転手さん、詰まらない妄想してごめんなさい


     これはスペヤタイヤ、嘘だろ、新品を売ろうよ。


     薬屋さんで足の裏を見せたらやっぱり凍傷だと言われた。粘液はなくなり、薬を貰い、痛みも引いていた。いい加減に少しは走らなくては、と想いスワヤンからボーダまで3時間を要して走ってみた。坐骨神経痛はまだ治ってはいないようだった。ボーダでは偉いお坊さんの、まるで唄のようなマントラを聴かせてもらった。また走りの一年が始まるし、新しい挑戦が待っているのだ。ありがとうネパール、愛してる。

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      Manaslu Trekking 12月29日 Lo〜Deng


       足の裏が痛かった。夜間に写真を撮っているとき、靴下だけで歩き回り、軽い凍傷にでもなったのかもしれない、でも急いで歩いた。目標は4日後にはカトマンズに着くことだった。その訳は、1月3日にカトマンズのシバプリで80kmのトレイルレースがあるのだ。峠を越えられなかった物足りなさを、このレースで埋め合わせをしようと考えたからだ。



       チベットの風景からあっという間に深い谷のインナーヒマラヤに下りてきた。ガネッシュヒマールの白い雪を頂いた山々も隠れてしまい、寂しさが積もる。そんな中、森の奥で動く気配を感じた。初めて見る鳥の集団だった。決して飛ぶことがなかった。雷鳥の仲間なのか、エベレストのタンボチェ周辺に住むダフェという雉の仲間なのかはガイドのソナムに訊いても解らなかった。











       デンの宿に着くと、ヒマラヤンラングースが出迎えてくれた。なんと足元にはラングースと思われる頭蓋骨が転がっていた。雪豹に食べられた後だとソナムは言う。ラングースは警戒する声を高らかに発していた。その様子を見ていたら、いつの間にかあの男の子がそばにいた。チョコを上げると、今度は美味しそうに、踊るように咀嚼してくれた。そこにソナムが来ると、その子は姿を消してしまった。上空がゴーゴーと唸りだし、白い雪が舞いだした。帰らなければならない寂しい気持ちに拍車を掛ける。
       明けると男の子の姿は無かった。昨夜は風の音で中々寝付かれなかった。昨夜は帰る事が寂しかったけれど、今朝になると早くカトマンズのゴチャゴチャしとした世界の温もりに帰りたくなっていた。

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        Lo 村からのマナスル

        Lo 村の夕焼け

         部屋で休んでいたら、外の気配がいきなり明るくなった。外に出てみると、雲の切れ間から夕日が差し込んでいる。広がる雲が、高山ならではの変化に飛んだ珍しいものばかりだった。彩雲も現れていた。僕は興奮し、駆け足で御気の入りのポイントに急いだ。村に入る峠のチョルテンだった。夢中でカメラのシャッターを切った。再び空が雲に覆われ、深夜に再び月明かりに起こされた。


        LO からのマナスル




         美しいマナスルに見送られながら早足で下りだした。
         

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          Manaslu Trekking 12月28日 Sama~MBC~Lho

           日が暮れると同時に雲が抜けた。月の明かりが煌々とヒマラヤを照らしている。星の写真を写すには月が明るすぎた。僕は部屋に戻り、シュラフに潜り時間をつぶした。こんな時は中々眠れない。「今、星の位置は?今の月の位置と明るさは?流星群の様子は?」気になるのだ。
           突然、外の明るい気配が消えた。月が山に隠れようとしているのだ。僕の撮影タイムがやってきたのだ。山靴は履かずに靴下を重ねて履き外に出た。こうすれば、皆の夢の邪魔にはならないからだ。シャッターを切ったり開いたり、部屋と外を何度も行き来した。足先の感覚が殆ど感じられなくなっていった。その努力のおかげで、少しは納得いった撮影ができたきがする。そう思えれば眠りに着くことができるのだ。残念ながら明日は下山しなければならない。だから今夜が勝負だったのだ。冷え切ってしまった脚の痛みが酷くなっていた。



           夜が明けると今度は雲が湧き出てきた。僕たちはマナスルベースキャンプを目指した。殆ど足跡が残されてなかった。数日前に誰かがソムド村に何かを届けに行った跡だろう。ベースキャンプへの道に曲がると道は途中で寸断されていた。暫くは無言でラッセルをした。標高4400m、なんとなくこの辺かな、と言うところで折り返した。雪は胸の高さに達し、深入りは禁物だった。まったくカメラを出す気持ちにはなれなかった。


           





           再びSom村が見えてきたが、同じ所で夜を過ごすことは脳がないから、Lo村まで降りることにした。なんとなくLo村から見たマナスルの姿がいいなと思ったのだ。登りと比べて下りは滑り難儀した。多分、登りよりも下りの方が時間が掛かったかもしれない。時々、斜面を人の頭くらいの岩や氷の塊が落ちてきた。緊張しながら無事にLo村にに着くことができた。空には重い雲が広がってきている。
           暮れるまで 時間があったから村を歩いてみた。ゴンパに寄ってみたら留守だった。ある家から祈りの唄チェチェが聞こえる。シンバル、ラッパに低音の読経だった。物悲しい響きは誰かが亡くなったのだろう。村に人影はなく、寂しい。殆どの村民がこの家に居るようだ。祈りの声はいつまでも続いていた。
           今夜は星空は現れないようだから、天気を気にせず寝られそうだ。歩きだしは辛かったが、チベットの世界に入り、何もかもがこれからだというのに戻らなければならなかった。物足りなさを感じる。






           


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            Manaslu Trekking 12月27日 Namurung~Soma



             歩き出すとヒマラヤンタール(ウシ科、ニホンカモシカの仲間)が対岸に現れた。野生動物に出会えると嬉くなる。この辺りには大木が多かった。殆どの木には斧の切れ込みがあり、そのうち風や雪の重みで倒れるだろう程度の深さまで掘られていた。谷間には土地が少ないから人も家も少ない。だから森が消えるほどの伐採はしなくてすんでいるようだ。
             



             6000m級の山が見えてきた。そして足元には早くも雪が残り、凍っていた。静寂の中を、谷間に爆音を響かせながらヘリが現れた。上部で誰かがレスキュウを呼んだのだろうか。
             高度が上がるに従って人も街並みも変わり、緑の木々がなくなった。インナーヒマラヤを抜けてチベット文化圏に入ったのだ。ネパールの公用語での挨拶は「ナマステ」、僕がチベットの挨拶を「タシデレ」とすると喜んでくれた。ゴンパに入れてもらい、僕は五体投地礼を繰り返した。やっぱりチベットの文化圏に来ると僕は安心する。人や物でごちゃごちゃ世界は苦手だ。



             Ghap Gumba



             マナスルが現れたのは突然だった。はじめは大きな入道雲かと思ったが、それが巨大な見たことがある山だと分かった。手前の山にゴンパがあった。そこまで登ってみることにした。寺の麓の立派な門を潜ると、僧院から子供達の勉強する声が聴こえた。声が途絶えると、一斉に子供達が外の雪原に飛び出してきた。僕を見つけると、簡単な英語で挨拶をしてくる。この僧院では英語を教えているのだ。偉いお坊さんになっても英語は必要なのかもしれない。「お願い、それ以上の質問はしないで、英語はわかりません」、と英語で答える。
             



             ゴンパは鍵がかけられていた。日向でマ二車を回していた御婆さんがジェスチャーでたたき起こせ、と言うから戸を叩いた。中から尼さんが出てきて開けてくれた。ゴンパまでの道は雪が膝の高さまであり、日向では雪が解けでグチャグチャだった。誰も登ってはこないのだろう、足跡が一つも無かった。ゴンパの入り口を泥で汚してしまった。尼さんの仕事を増やしてしまった様だ。「ごめんなさい」
             奥に行くに従って人物の撮影が難しくなってきた。魂が吸い取られると考えられているからだ。家もどことなく暗く沈んで見える。大自然の中で謙虚に暮らしているのだ、と思った。でも子供たちは元気だった。遊び道具を見つけて思いっきり遊んでいる。でもタルチョーにぶら下がる遊びはどうなんだろう。「ほら怒られた」


             Namla Gumba



             ナムルンには昼過ぎについた。少し昼寝をする。夕暮れ前に起きたらマナスルは雲の中に隠れてしまった。そこへ二つのグループが降りてくる。一つのグループは、ドイツ人の若い美人女性二人にガイドとポーターだった。もう一つのグループは太り気味の一人の日本人男性とガイドにポーターだった。とても登ってこられたとは思えない体型だった。訊くと、彼はカトマンズからヘリで飛んできて、マナスルがよく見える雪原で写真を撮って来た帰りなのだそうだ。さっき見たヘリは、このチームがチャーターしたのだったのだ。僕は突然おしゃべりになった。僕にとってはやっと自由に話ができる人と出会ったのだ。テンションが上がった。ドイツ人、スコットランの人、日本人、ネパール人、皆でトランプをして楽しんだ。
             
             



             不思議な天井の絵


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              Manaslu Trekking 12月26日 Deng~Namrung




                デェンのロッジには6歳くらいの男の子がいた。僕が日記を書いている間、恋人の仲のように、いつまでも僕に身を寄せ、離れなかった。時々ペンを触ったり、ノートを触ったり、そのたびにニコニコしていた。彼はしゃべらなかった。字も絵も促してみたが書いてくれなかった。それは僕が一人の時だけで、他に人が来ると何処かへ隠れてしまうのだった。部屋に戻ると、その子は入り口で、静かに中を覗いていた。チョコを上げたが動こうとはしない。好奇心のある眼差しで僕を見るだけだった。不思議な子だ。「もう寝るから」、と言うと自分の部屋に戻っていった。僕が一人で朝食の時も、彼は僕に寄り添ったが、他の人が来ると姿を消した。
               今日はスコットランドからのトレッカーと共に歩いた。新婚夫婦である二人はポーターとガイドを雇っている。お互いのガイド組、トレッカーの僕たち三人組み、ポーターは荷物が重いため先行し、後に抜かれる形で歩みを進めた。僕はつたない語学力で、今日本の朝ドラでスコッチウイスキーの物語をNHKで放送していることをどうにか伝えたら喜んでくれた。
               



               このあたりの子供たちは学校には行けていないようだ。親たちに挟まれ、小さい子でも薪拾いをしていた。出会う人たちは炭で手や顔を黒くし、髪の毛はぼさぼさのまま寒さのため氷付いていた。
               日が登るとヤクやラバが重い荷物を背負って往来が激しくなる。道が狭いから避ける時に気を付けなければならなかった。彼らに体当たりされたら簡単に飛ばされ、場所によっては谷底に落とされかねないのだ。





               谷の幅がどんどん狭まってくる。沢の水音が体に響く爆音となり、岩を削っていた。まるで巨大な洗濯機だった。深いV字谷は、更に深く掘り進んでいる。こうして時と共に、地形も形を変えていくのだ。全ては作られ、全てが壊され、また作られるのだと思った。
               朝の仕事から解放された村の子供たちが元気に遊んでいた。そこら辺にあるもの全てが遊び道具となる。子供は遊びを作り出す名人だと思った。
               見渡すと信じられないような絶壁の隙間に小さな村があったり、畑があった。ただ生活をし、楽しみを見つけ、夜が来が来て寝る。何とシンプルな生活なのだろうと思った。そして僕たち文明人より生命力に溢れ、生き生きしているのだ。

               


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                Manaslu Trekking 12月25日 Jagat~Deng


                 明け方、まだ星が瞬いていた。深い谷の上空が無数の星たちで埋まっている。


                 村を出ると吊り橋がある。それを渡り400m登ると、比較的大きな街に出た。ガイドのソナムが指さす所にモダンな建物があった。日本人が建てたのだという。場違いなほどの立派な学校に見えた。それにしても随分山奥に建てたものだ。






                 深い谷には幾筋の滝がある。どれも落差が半端のない高さだ。その中に正真正銘のレインボーフォールを見つけた。どの滝も魅力的で大迫力だった。ややすると、ひっそりと別れ道の標識が見えてきた。左に行くとマナスル、右を辿るとツンバレーを経てチベットの峠に至るのだ。古き良きチベットの生活が残され気になるエリアだと聞く。いつか行ってみたい。








                 吊橋を6度渡った。滝を数え切れないほど見てきた。小さい沢には水小屋があり、麦や稗や粟を挽いている。覗いてみると、番をする女が昼寝していた。斧で樹を叩く音がする。5人の男が松の大木を倒していた。その傍らで二人の男が、大きな鋸を引き合っていた。建築木材も、近くのヒマラヤ杉や松などの巨木をその場で切って板にするのだ。


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                  Manaslu Trekking 12月24日 Arughat~Jagat

                   翌早朝に歩き出すと、学校に通う子供たちが笑顔でやって来る。その傍らで、同じ年の子供たちが荷物を運んでいた。就学率がまだまだ低いネパールの現実だ。両者の距離は広い。
                   


                   朝の靄が立ち込めてきた。今日は暑くなりそうだ。




                   メリークリスマス




                   温泉が湧きだしていた。タトパ二と呼ばれている。ネパールに火山はない。ヒマラヤ山脈は今でも造山運動を続けている。その岩盤同士が擦れ合う時の地熱が地下水を温めるため、ヒマラヤ山脈の所々で温泉が噴き出している。ここの温度は60度と熱く、冷たい湧き水でブレンドして、用途に応じて調整されていた。湯舟もあったが枯れ葉しか入っていなかった。
                   Jagat に到着、ここから先はマナスルエリアだ。入域許可書が必要となる。インナーヒマラヤのド真ん中。深い谷は暮れるのが早かった。


                   お手伝い、休憩中


                   子供たちにチョコレートを配る




                   つり橋は一方通行

                   街に出かけるチベッタン家族


                   4歳にでもなると、立派な担い手だ

                   ククリと言う山刀で木を伐採していたおじさんは裸足だった


                   突然、崖崩れのような音がした。前方の荷物を括り付けられたラバ隊が動きを止めた。近よって見ると、数人の男が崖の下に降りていた。荷物を担ぎ上げる男も居たが、男達は一頭のラバを見下ろしていた。そのラバは、荷物ともども足を滑らせて崖から落ちてしまったのだ。ラバは生きていたが、殺される運命にあった。骨を折ってしまったラバを持ち運ぶことはとてもできない事だ。男達は出来るだけ大きな石を持ち上げ、ラバの頭上に落としたのだ。苦しまず、ラバは死んだ。




                   谷間の学校には中々太陽の光が届かない


                    標高500mのアルガットから登り降りを繰り返し、高度を上げてきた。Naykは2340mだ。ここにもヒンディーの人はホテルを建てていた。その資材を運ぶのは男だけではない、女でも20kgの角材を6本も担いでいるのを見た。1本担ぎあげると200ルピー、約250円の仕事だ。価値観は日本の1割くらいだろうか、気の遠くなる仕事だ。
                   真っ暗になるまで村人たちは働き続けている。薪運びするその多くは女と子供だった。男たちは大きな街で、或いは中東などの外国で働いているのだ。高収入だが危険な仕事ばかりなのだそうだ。


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                    Manaslu Trekking バス移動


                     9回目のネパールだ。これまでにはアンナプルナ内院、ランタン、エベレスト街道、アンナプルナ一周、ムスタンをトレッキングしてきた。今回歩くマナスル一周は、外国人に開放されて10年と間もないエリアだったから楽しみだ。予定では10日間で一周する。2か月前に行われたマナスルトレイルランは7日間で走破する大会だった。その下見のかねてのトレッキングのつもりだ。
                     本来ならガイドを雇い、複数人数でなければマナスルエリアの入域許可書は下りないが、架空の人物一人を作ったら許可はあっさり貰った。シナリオは、相方の人が急病のため来れなくなった、である。今回手配してもらったガイドは21歳のソナムという21歳の若者だ。先週もマナスルをガイドしている。2週間前にドカ雪が降ってしまい、峠は越えることができなかったという。雪は深く、胸の高さまであるらしい。行けるところまで行って戻ることになりそうだ。



                     おんぼろバスはカトマンズを朝の8時に出発し、力強いエンジン音を響かせ走り続けた。車内では揺れるバスの動きに合わせ、尾骶骨や頭を打たないように必死だった。バスの運転手が休憩している時に、みかん売りがバスの中に乗り込んできた。待ってましたとばかりにガイドのナムルンが一袋12個入ったみかんを買った。皮が硬いが味が濃く、ジューシーで美味かった。これまでの経験で、長距離バスに乗るときには呑まず食わずでバスに乗っていなければならないのだ。変えあだの中を空にして、車酔いに備えるのだ。しかし亜熱帯の中を走ってきて、喉がカラカラだったのだ。だから尚更美味く感じた。谷間に時々顔を見せるガネッシュヒマールの白い峰に少しずつ心がときめいてくる。
                     バスは8時間を要し、3度の休憩をしてマナスルの玄関口Arughatに着いた。村は縦に500mほど長く続いている。物資の往来が激しく、子供たちは元気に走り回り、微笑ましかった。しかし、村の外れまで行くと、そこには貧しいチベッタンたちが身を寄せ合うように静かに暮らしているエリアだった。この町は、以前はチベット人の街だった。しかし、外国人ハイカーたちが来るようになり、商売に貪欲なヒンディーたちが押し寄せてきてしまった。ホテルがますます増えてきそうだった。今はシーズンオフ、そのトレッカーの姿は殆ど見かけなかった。



                     ヒンズー教徒たちが少しずつチベット文化圏に入り込んでくる。


                     アルガットのホテルから望めたガネッシュヒマール7000m級の山々

                     自然の滑り台で遊ぶアルガットの子供たち

                     水場でポーズ


                     日が暮れると真っ暗になり、焚火の炎に村人の顔が浮かぶ。


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