カトマンズ 1月8日〜 

高級バス?僕のダルバート
 1月8日、6時15分。小雪が舞っていた。早々に下山して正解だったかもしれない。バスのチケット売り場にはまだだれもいなかった。始発が6時30分だった。次が7時、この便で最終となる。昨日、僕がシャブルベンシに着いたときには、既にバスチケット売り場は誰もいなかった。出来るだけ早く帰りたかったのだが始発は無理みたいだ。6時30分。静かな街に派手なクラクションが鳴り響いた。そのバスに村人が数人乗り込んだ。エンジンはまだ静かだ。ネパールのバスは客で一杯にならないと走り出さない。
 7時。チケット売り場に人だかりが出来た。6時30分発のチケットを売り出したのだ。「これがネパーリータイムだ」、と説明された。7時20分。バスが走り出すようだ。動かない。喘息持ちがヒーヒーもがいているみたいにして、あのたくましいエンジン音はなかなか鳴り響かなかった。坂道まで皆で押して行き、バスはバックのまま無音で落ち出した。30mほど下でいきなり「グウオンッ」、と力強いエンジン音が聴こえてきた。我先に、と乗り込んだ。
 車内は行きのバスと比べてゆったりしていた。各座席の頭上には扇風機があった。いや、顔の横だった。こんな所で扇風機が回り出したら、たまったものではない。バスが動き出すと、乗り物に慣れないチベット人達が窓を空け、一斉に吐き出した。臭いが車内に充満しだし、扇風機がカランカラン音を立てて回り出した。寒い。耐えるしかないのだろうか、若い男が動き出した。どうやら医者の様だ。薬を水で飲ませ、扇風機は止まった。一人の老婆がかたくなに薬を飲む事を拒んだ。吐くだけはいてしまい、うずくまったまま動かなくなった。全財産を身にまとった様な服装だった。特別な行事があるのだろう、気の毒だった。彼女はカトマンズまでの8時間をじっと動かずに耐えていた。
バスターミナル付近
 土砂崩れの道では、トラックやタクシーが越えられず、エンジン音だけを100%轟かせて立ち往生していた。このバスも苦労した。その間、後発のバスに抜かれてしまった。お互いに派手なクラクションを無意味に鳴らす。「もたもたするなよ」「うるさいな」とでも云ってるのだろうか、バスは2度の休みを入れながら頑張った。
 バスターミナルから30分、歩いてタメルのシエスタにたどり着いた。いつ以来だろうか、暖かいシャワーを浴びた。少しまどろんで、楽しみにしていたストーンマッサージに行く。
 夕食はチャチャカフェ、田中さんの声がした。その声を聞きつけ、何人かが顔を出す。皆カトマンズに住む日本人だった。ネパール人との考え方の違いなのだろうか、愚痴のオンパレードだった。
 田中さんとトンバを飲みに抜け出した。トンバはチベットの飲み物だ。竹筒に醗酵させたヒエが入っていて、その中にポットのお湯を入れれば白濁したインスタントの酒が出来る。飲み干し、再び8回までお湯をいれ、少しずつ味も、アルコール度も変わるが長い時間楽しめる優れものだ。安い所では20Rs、高いところでも80Rsだ。そこは最安値の店だった。安く酔いたい人達で一杯だった。
トンバ屋
 1月9日、曇り。何かに吸い込まれていく様な濃厚な一日だった。
 朝、田中さんとチャーを飲んだ後、スワヤンブナートに向かってなんとなく歩き出した。トンバの店前を通り、カトマンズの西を流れるビィシュヌマティー川に出た。橋のたもとでは川にゴミを捨てに来る人がいて、ゴミを漁りに来る人や犬や牛やカラスで賑わっていた。ゴミ山を包むようにバラックがあった。街角にいるストリートチルドレンはここから来ていた。バラックを訪ねたが写真を撮るのは難しそうだった。


          ここから先のブログはややハードな部分が出てきます。

処理場が無いバラック
 川沿いに小さなヒンドゥー寺院があった。なんとなく入ると「グオーッ」という悲鳴が聞こえた。水牛の
首が落とされた瞬間だった。やがて大量の血が一面に拡がった。儀式に使う生け贄だった。儀式が終わると食べるらしい、黒い牛は悪魔の使いだからめでたい時には食べるのだ。
ごとりっ
 さらに気の向くまま歩いた。なんとなく階段を登るとまたヒンドゥー寺院がたった。入口の物乞いに5Rsとチョコを喜捨した。中に入ると、おごそかな顔をして可愛らしく着飾った女の子3人の儀式が行われようとするところだった。ネワール族は10歳未満の女の子は一度神様と結婚する儀式をする。しかしこんなにお金をかけた儀式は珍しいようだ。クマリ、生き仏様がネパールでは有名だが、それを凌ぐ絢爛さだった。
クマリ?
 スワヤンブナートの入口に着いた。長い石段を登ると本殿だ。僕はその山を囲む約2kmのマニ車に興味が湧いた。時計周りにマニ車を回しながら歩き出した。「オン・マニ・ぺメ・フン」南無阿弥陀仏と唱えながら歩くのだ。ラマ教の建物が目に入った。お経を唱える声、ラッパや太鼓の音が聴こえてきた。これは行くしかない、マニ車から離れた。そこはチベット一色の世界、チベットから逃れてきたチベット人とラマ僧で一杯だった。おごそかな空気に包まれていた。裸足になり、「タシデレ」こんにわ。読経にする仏間の隅にに腰を下ろした。一斉に僕を見た。読経は続いた。やがて読経が終わる。ひそひそ、話し合っている。笑顔で話し合っているから悪い事ではなさそうだ。冗談を言いながら僕を物色しているのがわかる。
 食事の時間になったようだ。お邪魔虫は退散するか、と立ち上がった。それを無理やり阻止された。僕にも配膳がきた。野菜がたっぷり乗ったラーメンだった。「トゥージェチェ」ありがとうございます、頂いた。食後は外で日向ぼっこしながら雑談、何を言っているのかさっぱりわからなかった。でも幸せな気分だった。ここまで来るのに大変な思いをしてきたはずだ。なのになんて心の温かい人たちなのだろうか、少し泣けた。そして漢民族が憎らしくなってきた。「僕は何をしたらいい」 尋ねたが、僧は笑うだけだった。
スワヤンブナート
マニ車
僧達とランチ
チベット難民ラマ僧
 繁華街へ向かった。古い建物は傾いていた。それでも生活している。目を向けるとアウトカーストの外、アンタッチャブルの人がうごめいているのがわかる。行き場を失ったアウトカーストの子供達。女の子は更に小さな売られたり、拾われたり、浚われたりした幼児を、元締めから借りる。「私達には今を凌ぐお金も食べ物も無い」と観光客などに訴える。その女の子達は10歳を迎えると売春婦として売られていく。売れない女の子は手足を切断され、哀れみをこう姿にされるのだ。
 歩道橋に片足でハンセン病の女性がいる。通るたびにチョコを口の中に入れてあげた。今日は写真を撮らせてもらった。いったいどんな生い立ちなのだろうか。
 今年は去年と比べて劇的にシンナーを吸うストリートチルドレンの数が減っていた。決して長生きはしていないはずだ。いったい何処へ姿を消したのだろうか、私設に入れてもすぐ脱走してしまうらしい。きっと面白くないのだろう。
 大通りを子供が二人と犬が一匹、どこかに向けて歩いていた。麻袋とゴトク、ゴミを漁る時に使う道具だ。僕にはこの二人の少年と一匹の犬が楽しそうに映った。そしてたくましくも感じた。人間は強い
い。お金が無くったって生きていける、仲間を思いやる心があれば幸せなんだ。二人と一匹が語っている気がした。
すぐ隣がトンバの店眼差し生きる仲良し3匹
 荷の重い課題を背負い、気分転換におしゃれなカフェに入った。そこは別世界だった。「カルディ」、実家の新百合丘駅にもある馴染みの店がタメルにあった。外の喧騒は届かない、広々とした店内だった。外では警備員が立っていた。従業員も教育が行き届いていた。外はいつの間にか本格的な雨が振っていた。僕が長い時間コーヒー一杯で粘っていても笑顔で接してくれた。中国人女性の携帯電話がうるさかった。てこずると思ったが静かに出て行った。日記の整理はここで済ますことができた。
 一人で最後の晩餐をしたかった。チベッタンの店ギリンチェは美味くて安い、でも場所は解りにくいから、とシエスタで云われていた。見当をつけて行くとすぐ見つかった。名物のタントゥは日本のきしめんに似ていた。具が沢山乗っていた。モモも美味かった。トンバをアルミのストローで吸いながら今回のネパールを思い起こしていた。睡魔が襲ってきた。気がつくと閉店だった。
 夜道をシエスタに向かった。怪しい男達に挟まれた。「ハッシッシ、マリワナ、ガンジャ」「チャヒンダイナ、ジャウジャウ、チョロチョロ」「そんなもんいらねよ、乞食野郎あっち行け」少し云いすぎだったか。
カフェカルディタントゥ
今度は何処走る?またねエベレスト

    NAMASUTE


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    ランタントレッキング 1月7日 (4日目)

     時間の余裕もなかったし、満足してしまった。今日一日頑張って歩き、明日はカトマンズで気持ちいいストーンマッサージを受けたいと思った。今度のネパールも密度が濃く、慌しかった。昨日はのんびりしてしまった。そのせいか、テンションが緩んでしまった。よし、シャベルベンシに下ろう。
     8時、30km先のシャベルベンシに向かって歩き出した。ある程度地形の記憶があったから気が楽だった。9時30分にランタン。11時30分、来るとき沢山のトレッカーで賑わっていたゴラタべラを通過した。ここからは狭く、切り立った谷が続く。沢の水はどこも凍っていた。時折氷の欠片が落ちてくる。
     前からシャリシャリシャリッという金属音が聴こえてきた。近ずくと氷壁があり、足元を氷の欠片が流れていた。その時後方から数人のチベット人がなにやら叫んできた。思わず手を振りそうになる。様子がおかしかった。すると空気が少し変わったのだ。頭上で何かが起こった。その瞬間には走り出していた。氷に足を取られて転んだ。臀部を打撲したようだ。後ろを振り返ると、氷の塊が音を立てて、まるで落石みたいに落ちてきた。チベット人達は転んだ僕を笑いながら追い越していった。
    ランタン谷岸壁の蜂の巣
    スクティー
     彼らを追いかけようと思ったが止めた。無意味だ。再び歩き始めると、ヒマラヤンモンキーの群れに遭遇した。黄色い目をしたボス猿が行く手を阻んだ。かなり近づいた時だった。一瞬身体を沈め、姿が消えた。そいつは頭上遥か上の木から下を見下ろしていた。凄いジャンプ力だった。そして森の中へ群れと共に消えてしまった。
     2時30分に初日に泊まったドミンに着いた。クッキーとミルクティー(チャー)を頼んだ。
     4時にシャベルベンシーに着いた。キンジャン・ゴンパを出て8時間だった。
     宿をさがしていると、二人のトレッカーに呼び止められた。二日前に大勢のトレッカーがいた。その中に二人はいたそうだ。イギリスから来た若いカップルだった。「もう戻ってきたのか」、と驚いていた。同じ宿に決める。色々話をした。結婚すると冒険できなくなるから、その前に長旅をしているのだそうだ。インド、ネパール、チベットを6ヶ月。そういえば、ポカラのペンギンハウスにも同じことをしている日本人カップルがいたな、と思い出した。酸素がたっぷり、ビールが美味かった。
    ヒマラヤンモンキーシャブルベンシーモモとタントゥー


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      ランタントレッキング 1月6日 (3日目)

      マニ石ランタン村
       ランタン村はチベット族が住む谷最大の村だ。村の外れまでお経が彫られた石、マニ石が積まれていた。深い谷が明るくなった。風もないし、天気もいい。今日の目的地キャンジン・ゴンパまでは約7km。2時間もあれば着いてしまうだろう。チべッタンブレットに地産の蜂蜜を付けて食べていた。そこにお客さん、宿の主の弟だという。キャンジン・ゴンパに宿があるという。行くしかなかった。やはり宿代300Rsはサービスで食事代だけでいいみたいだ。昨日は900Rsだった。高地のためかなり高めだ。
       牧草地、カルカには沢山のヤクが枯れ草を食んでいた。鳴き声は牛ではなかった。顔立ちも見慣れた牛ではなく、バイソンだった。むやみに近づくと危険だ。昨夜、僕を苦しめたヤクのチーズはランタンの産業なのだ。チーズファクトリーは夏季にだけ稼動する。
      キャンジン村3800
      ヒゲ鷲村人
       神々しい峰々が眩しい。あらゆる村人が日向でくつろいでいた。昨日までの苦労を忘れさせてくれる、穏やかな時間だった。時折遠くで雪崩や崖が崩れる乾いた音が轟いた。
       ブッタハウスに荷物を下ろし、ダルバートを食べた後、村を散策した。旅人は僕一人の様だ。村人の数も少ない。寒い冬場、女子供は下の村に降りる。男達はカトマンズに出稼ぎに行く。残る村人は宿の新築か改善のための材木運びをしている。帰りの道中で大勢の材木を運び上げる人達に会った。
       キャンジン・ゴンパは丘の上にあった。100Rsを支払い中に入った。ダライラマ13世の像が鎮座していた。バター油に燈を灯し平安を祈った。
       キャンジン・リ(4550m)が近かった。予定はその奥、ツェルゴ・リ(4984m)に登頂したかった。しかし今回は体調を考えてキャンジン・リに取り付いた。200m上がると白いゴンパがあった。その頃には一面の雲の中に入り込んでいた。景色が望めないのであればつまらない、降りる事にした。
       晩飯はモモ(蒸し餃子230Rs)とチョウメン(焼きそば280Rs)を食べた。ミルクティーはポットで(100Rs)、残りは部屋で飲んだ。しかし明け方には、ポットのミルクティーもカチカチに凍っていた。
       満月に近い月夜だった。雪や氷河に反射し、昼間のように明るかった。その月が沈む明け方は、零れんばかりの無数の星に空は埋め尽くされていた。
      パンゲン・ドプク
      キムシュン6745mリルン7225m
      キャンジン・ゴンパ
      リルン氷河ランシサ・リ6427月夜のキャンジン北の空東の空
       


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        ランタントレッキング 1月5日 (2日目)

         元気ならキンジャリ・ゴンパまで行くつもりだった。しかし、まだ頭痛も腰痛も少し残っていたから調子を見ながら今日の宿泊地を決めるつもりだ。天気は快晴だったが、風が強かった。
         朝8時にドミンを発った。深い谷間のアップダウンを繰り返し、順調に高度を上げていった。森の中でガサガサ動く物があった。顔は黒い毛、全身が白い毛に覆われた猿、ヒマラヤンモンキー。あるいはイタチやリスもいた。大小様々な小鳥が囀り、横切っていく。話によると、熊やユキヒョウも生息するようだ。地球がいとおしく感じた。
         4時間後、12時にゴーラタべラに着いた。大勢トレッカーで賑わっていた。ダルバートを注文する。喧しい中国人トレッカー達がしきりにしゃべり賭けててくるが、中国語だからさっぱり解らない、他の白人トレッカーやチベット人達も迷惑そうだった。自然の中ではもっと静かにできないのだろうか。
         標高3020m、喧しい中国人の中で高山病がでたみたいだ。ガヤガヤの塊は宿の中に消えていった。
         食べ終わる頃、木材を担いだ家族がやってきた。ランタン村で宿をやっているから泊まれと言う。宿泊代の300Rsはサービス、食事代だけでいいと言う。彼らの宿に泊まることにした。
         歩き出したが、足手まといだった。特につり橋を渡るときは横にならないと通れなくて大変そうだった。はな垂れ小僧は僕のストックにしがみつき楽をしようとする、慌てる旅ではないから楽しんで歩く事にした。
        ランタンコーラヤク帰宅重さ20Kgリルン西壁7234m牛糞家に泊まらない?ランタン村あおっ鼻
         2時間後、ランタン標高3500m、彼らのナマステ・ゲストハウスに着いた。客は僕一人だった。森林限界は越えていた。さえぎる物は何も無い。牧草地のカルカが拡がっていた。白い雪を蓄えたランタンリルン7234mの頂が迫ってくる。沢山の渡り鳥が飛来し、賑やかだ。その中をヒゲ鷲が旋回している。急降下。再び上昇したときには小動物を咥えていた。
         外は風が強い、三脚を使っても撮影は難しそうだ。だから暗くなってからは外には出なかった。それだけが理由ではない、軽い高山病にかかったようだ。食欲がなかった。呼吸も荒かった。そういえば僕は心臓の心配をしなければならなかった。右心室心室頻拍。頭や腰が痛くて心臓の事を忘れていた。
         少し寝た。急に呼吸が激しくなり、苦しくてなかなか寝られなくなる。発作が起きる気配は無い、ただの高山病だ。安心する。酸欠らしい、速い呼吸をして、酸素が体内に浸透すれば落ち着くだろう。
         明け方に吐いた。何かつっかえた物が出た気がした。呼吸が楽になった。そういえば思い当たる節があった。ここの家族からもらったチーズだ。皆で歩いていた時、休憩中にもらったチーズ、それはかなり汚れていた物だった。そのチーズがあたったのだ。不安で耳障りだったトタンを叩く風の音も穏やかに聴こえてくる。理由が解ると安心して眠ってしまった。
        渡り鳥
        ヒゲ鷲
        ナヤ・カン5844m


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          ランタントレッキング  1月4日 (初日)

           こぼれる雲
           早朝5時に起きだし、サプリだけを口の中に放り込み、タクシーに乗り込んだ。千夏も一緒だ。僕は7時30分発のシャブルベンシー行きのバスを予約していた。バスの発着する所はタメルの北の外れにあるナヤ・バスパーク。ガイドブックの説明では解りにくい所にあった。バスには行き先も、番号すら書いてはいなかった。車掌の少年が「ドゥンチェ・シャベルベンシー」と早口で叫んでいる。慣れないと聞き取れない。親切にタクシーの運ちゃんがバスを見つけ、席も確保してくれた。バスはF1のスタートさながらに、エンジン音をいきり立たせ、車体を大きく前後に揺さぶっていた。車内は既に満席だった。
           7時10分、千夏との別れの抱擁をする間もなくバスが定刻前に走り出してしまった。心の準備のないまま、8時間の長いバスの旅が始まってしまった。20kgほどのザックは抱えたままだ。身動き取れず、千夏には手を、窓越しに小さく振るのがやっとだった。僕の身体は本調子ではない、終点のシャベルベンシーまで持ちこたえることができるだろうか、不安になった。「無理しないで行ってきま〜す」
           でこぼこ道のハイウェーを激しく車体を揺さぶりながら、カトマンズ盆地の外輪山を登っていく。盆地内は濃い霧に包まれていた。石楠花の木立の合間を「俺はここだぞ」とでも訴えているのか、暴走族さながら大きなクラクションを「パラパラパラー」と鳴り響かせながら逞しく走って行く。いきなり、パーッと明るくなった。峠を越えたのだ。外輪山から雲がこぼれていた。太陽が眩しかった。行く手にはランタンヒマラヤの白い峰が目に飛び込んできた。心が疼く。
           10時。下りきったらトリスリの街が見えてきた。ここで休憩するらしい。皆降りてしまい、まわりの店に散らばった。そして腹ごしらえを始めた。僕も手招きをされ、ダルバートを注文する。再びバスのエンジンが唸り出した。「パラパラパラー」町中の皆が耳を手で覆った。出発だ。
          ダルバート八百屋
           バスはヒマラヤの奥に向かって登り出した。次の休憩はドゥンチェ。すでにチベット文化圏に入っていた。外国人はここで届け出をすることになっていた。僕一人だった。ここでも偉いラマ僧が来ていて、村人達はチベットの民族衣装に着飾り、祭り騒ぎだった。
           もし落ちると下まで1000Mから1500M、ガードレールはない。日本では通行止めにするくらいの土砂崩れ跡も逞しく越えていく。余りの揺れで、吐き出す人が増えてきた。脳みそが激しくシェイクされる。「こんな所で死にたくない」と祈った。
          祭りバス道路ローカルバス
           3時。シャベルベンシーに着いた。信じられない、バスの上にも人が大勢乗っていた。
           ランタン谷に入る入山届けを出した。今日は僕一人だけだった。この谷は咲き誇る高山植物が有名だ。冬はシーズンオフ、寂しいトレッキングになりそうだ。一つ先のドミンを目指して歩き出した。途中、少しお酒の入った集団に出くわした。息子を迎えにシャベルベンシーに行くそうだ。楽しそうに歌を歌いながら森の中に消えていった。
           ドミンには年配の二人の日本人と日本語をシャベルガイドと荷物運びの二人がいた。皆でロキシーを飲みながら語り合った。摘みはスクティー、羊の干し肉だ。カマドを見つめていると心が落ち着いてくる。
          ドミンの宿かまどアマとバブースクティーダルバートトイレ

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