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  • 2017.06.06 Tuesday
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    2012 さくら道ネイチャーラン

      
     二年振りにネイチャーへ戻ってきた。初めて走ったのが2002年、そして今回で6度目のネイチャーランだ。昨年は妻の千夏と、もう一つのさくら道、266劼鯀る遠足(とおあし)の方に出場していた。二人で励ましあい、30時間もの間、激しい風雨の中を耐え、44時間もかけて完走を果たした。
     「さくら道ネイチャーに良一さんがいないとダメだよ」と、今回も沢山の方に声をかけていただきました。大会の元となった人の名前が僕の名前と瓜二つ、佐藤良二なのだから無理もない、僕も偶然とは言うものの、話題性から考えてみても僕が出ていたほうがよさそうだと思っていました。それに大会に面白みを加えることができていいと思っている。ちなみに千夏の名も、良二さんの妻が八千代さんだから、「千」つながりで全く似ていないことはなかった。だから来年は二人で走りたいと思っている。「私はまだ無理だよ」と言っていた。今回チームの応援に来てくれることになっているが、大変さを知り、更に敬遠にならなければいいのだが。

     縁起はなんとなく担ぎたくなる。20日、名古屋へ昼に着き、マッサージをする。夜は皆で「世界の山ちゃん」という名古屋では有名な手羽先の店で検討を称えあう。いつもと同じことをしておけば、一安心する。完走する気がしてくるから不思議だ。何度完走していても、250劼猟垢さ離は不安と恐怖で一杯だ。特に今年はヘルニアもさることながら、昨年の夏に起こってしまった心臓発作が心配だった。それが心配だから千夏は来るのだと思う。だから無理はできない。自己ベストを更新させたいが、来年千夏と走りたいから無難に完走、それが今回の使命だった。でも、いつもより身体の状態がよかった。自己ベスト更新の欲は捨ててはいない。やる気は高いほうがいい。
     
     4月21日、朝の6時がスタート。僕は6時15分からのウエーブスタート、6番目の最終組だった。前回の結果がたまたま上位だったからだ。僕たちのチーム「鳳」からは5人が走る。男子3人全員が最終組だった。竹ちゃん(竹田賢治)、梅ちゃん(梅澤功)である。女子が二人、琴美ちゃん(鈴木琴美)第4ウエーブ、尚ちゃん(白倉尚子)第2ウエーブから走り出す。僕は昔からのライバル、と言うではないが国内外のレースでよく顔を合わす加納くんと共に走り出した。
     竹ちゃんと梅ちゃんはどんどん前へ意欲的に走っていってしまい、もっと先を優勝を目指す、前回優勝の鍵さん、そして松下くん、沖山さん、木曽さん、日吉さん、我孫子くん、日置くんなどがありえない速さで消えていってしまった。今年のレースは戦国レースになるのでは、と言われていたが、竹ちゃんと梅ちやんがどこまで食い込めるであろうか、楽しみだ。僕と加納くんはきちんと信号を守りゆっくり走った。その中、少しでもタイムロスをしたくないのだろう、一人の女性ランナーが赤信号でも走り抜けて行く。
     
     やたらと蒸し暑かった。滝のような汗だ。帽子もウエヤーも重りの様に重く感じながら走っていた。天気予報は曇り、最高気温が12度だった筈。しかし美並では22度になっていた。それに日が差してきた。サングラスは今回は必要ないだろうと置いてきてしまっていた。ウエヤーもロングにチームTシャツの二枚重ね、更にロングタイツを履いていた。こんなに汗を掻いていいわけがなかったが今更仕方がない、少しでもゆっくり走るしかない。他のランナー達も汗だくだった。
     深夜から雨になる予報だ。冷たい雨になるのだろうか、それとも嵐のような雨なのだろうか、僕は小雨程度ではないかと予想し、準備していた。それらの装備はライトとともに、25番目のエイド(補給所)に預けてあった。はたして明るいうちに25エイド、123・9km地点に到達できるのであろうか、段々不安になったきた。むしむし蒸し暑い中を、芝桜の鮮やかなピンクや、側溝やガードブロックなどに定間隔で咲く蓮華の花を見、満開を終えた佐藤桜の花吹雪を浴びながら幸せを感じようとして走った。
     狙ったわけではないが、100kmをサブ10(10時間以内)で走っていた。もうすぐ第一関門の白鳥だ。千夏が首を長くして待っている。信号待ちをしていたら、また背後から信号無視して走っていくあのランナーが、更にS字カーブでショートカットをする。車が全く来ないのであれば、まだ許せるが、後ろを振り返らず右手を派手に上げるだけは言い訳がなかった。車も来ているし、後ろから見ていて危なっかしい。「危ないだろうが、このボケが」、聴こえる分けなかったが大声で言いたかった。
     白鳥町の商店街に入った。千夏の姿が遠くからでも見えていた。




                 美濃白鳥駅前通り

     千夏と、もう一人朱美ちゃんが出迎えてくれていた。新たにチーム鳳に仲間入りした福井県のメンバーだ。千夏の走友で、ここ白鳥町から5km西にある油坂峠の先からは福井県だった。彼女もいつかはネイチャーを走ってみたいに違いない。
     毎度の事だったが、僕の名前に驚いていた。「ほらほら、佐藤良一さんだって、おんなじ名前だ」

      
         No21エイド   第一関門 白鳥町 106・9km 10時間38分 休憩10分

     前回は10時間丁度で着いていたから、38分の遅れだった。練習が足りていた訳では無かったからこんなもんだろう。しかし、汗の掻き量が激しかった。休憩中、身体がどんどん冷えてきた。さっさと補給をして、走り出さないと風邪を引きそうだった。沿道を走っていると、町の人達が僕たちの姿を見つけると取るものも取らずに駆け寄ってきて声援を賭けてくれた。回を重ねるごとに、沿道から声援を賭けてくれる人の数が増えてきている。それだけ、さくら道ネイチャーランが浸透してきた証拠だった。そして、一様に僕の名前を見て共感していた。
     心配していたライトだったが、ギリギリ足元が見えている明るいうちに、預けていた24エイドに辿り着くことができた。夜間走行になる為、反射板ベストを身に着け、ヘットライトを灯し、標高920mのひるがの分水嶺に取り掛かった。上りの練習はいつもしていた。だから比較的に自信を持って走った。登りだすと10人ほど抜いただろうか、汗が大分でてきた。例年の蛭が野は0度前後、今年は14度と高温だった。普段と違うコンディションでの走り、今回は苦労しそうだ。駒ヶ滝の爆風を左から受けたら、もうすぐ峠だ。レンタカーで先回りしてチームの応援をしている千夏が、遠くから手を振っていた。


             
             No25エイド 117・9km 休憩50分

     梅ちゃん、竹ちゃんの順で、僕の10分ほど前を走っているらしい。竹ちゃんが、言葉も掛けられないほど衰弱しているとのことだった。僕も弱音が出そうだったから、足の引っ張り合いにならないように、少しこのエイドでゆっくりしていくことにした。特にタイムも順位にも拘ってはいない、それに汗を掻き過ぎたのだろう、ここで足が軽く攣ってしまう。
     30分もマッサージをしてもらった。ついでに仮眠。気持ちよく走り出した。次のエイドまで9kmもあった。思っていた以上に時間がかかり、手持ちの水が底をついてしまった。やはり、気温が高いせいだろう。次のエイドを出た途端に補給した物、全てを吐き出してしまった。それでも定期的に水分と蜂蜜などのエネルギーを補給していった。でも悲しい事に、その度に吐き出してしまった。呼吸を荒げ、なかなか治まらなくなってしまった。歩いたが、それでも治まらなかった。焦った。心臓に負担をあまりかけたくはない。
     荘川桜が見えてきた。呼吸を荒げる僕を千夏が心配そうに見ていた。うつむいて、顔を上げると景色が白く霞んでいた。落ち着け、時間はある。
     やがて呼吸が落ち着いてきた。白川郷エイドでマッサージをしてもらえるはずだ。その間にしっかり補給できるだろう。仮眠をすることもできる。そこまで約30km、エイドが5箇所ある、頑張るぞ。
     外に出た。不気味なくらい静かな暗闇だな、と思った。きっと嵐が来る。
     午前0時を回った。156・6kmの平瀬温泉白川タクシーエイドに着いた。テントが大きく揺さぶられている。嵐が来たのだ。木々はざわめき、暗い空では不気味な唸り声を上げていた。そういえば明日、富士五湖ウルトラマラソンがある。仲間たちが大勢走るのだ。初めてウルトラを走る不安な気持ちを思うと気の毒だと思った。
     各エイドでは乳製品を積極的に口に入れた。エイド間では15分に一度の間隔で、幸せを噛み締めていた。それは頑張ったご褒美に蜂蜜を舐め、一口の水を飲むことだった、たったこれだけだ。「あの橋まで行ったら、楽しみにしていた水が飲めるぞ」

           No28エイド  第二関門 荘川桜 143km  15時間26分  休憩15分

     白川郷に着いた。皆、風で飛ばされないようにテントを押さえていた。テーブルの上には美味しそうなものが並んでいた。沢山食べたい、でも食べられない、もどかしかった。プリンやヨーグルトを少し食べた。そして千夏に促され、マッサージテントに移動した。そして先生にいわれる。「心臓と胃が圧迫されています」。驚いた事に、筋肉だけではなく、内臓まで解してくれたのだ。お蔭で、その後は吐く事もなく走ることができた。実は先生はランナーでもあり、昨年、同じさくら道266kmの遠足を僕たちに遅れる事1時間で完走していた。あの悪天候の中を走った仲間だった。その後、五箇山タクシーエイドや、道の駅福光でも心配をしてくれ、治療をしてくれた。完走できたのは先生のお陰だと思っている。

         No34エイド 第三関門 白川郷  172・6km  19時間37分  休憩50分

     6km先、次のエイドまではトンネルばかりの退屈なエリアだったが、幸い風の影響はなかった。静まり返った冷たい空気が支配する中で、僕のおならの音が気持よくトンネルに響いた。乳製品の食べ過ぎだろう、頻繁に出した。
     外に出ると強い横風にあおられた。橋を渡るときが特に怖かった。車は全く来ない、だから車道に下りて走った。エイドに着くと、両膝を血に染めたランナーがいた。横風にあおられ深い側溝に落ちたそうだ。それだけの強い風だった。外に出るのが億劫になる。
     186・6km、道の駅ささら館エイドを出ると空が白み出していた。トップ争いをしていた沖山さんが歩いていた。五箇山タクシーエイドに着くと、ちょうど鍵さんが出るところだった。第一回大会優勝者の沖山さんも、前回の覇者鍵さんも苦戦していた。今年は例年と比べてかなりのリタイアが出ているそうだ。
     マッサージをしてもらい、ますます体調がよくなった。そして食欲も出てきて、カレーと素麺を食べた。身体の底から元気が漲ってくる。
     五箇山への登り坂、上のほうで赤いジャンパーの千夏が手を振っていた。その五箇山トンネル入口エイドのテントが今にも吹き飛ばされそうだった。大変なのにスタッフの親切がありがたいと思った。イチゴとスイカをたらふく頂いた。竹ちゃん、梅ちゃんとは大分差がひらいてしまったようだ。「次は20km先の福光でね」と言い残し、千夏たちの車が先を急いだ。

           
          No40エイド 五箇山 212km 
     
     トンネル内の歩道は、湧き水と泥でぐちゃぐちゃだった。靴が水を吸い、段々重くなってくる。812mの梨谷トンネルに続き、長い3.2kmの五箇山トンネルだ。景色が変わらないトンネルは眠たさが大敵だ。走らないと睡魔に襲われてしまう。15分ごとの、水分補給というご褒美を口にしながら走り続けた。トンネルを出ると、今度は5km坂を下る。そこが第4チェックポイント大鋸屋だ。背後から強風が吹き降ろしてくる。一度スピードが出てしまうと制御が訊かない。太ももに大きな負担がかかった。しかし、いつも苦労して下る苦手な道は、2年続けて肉離れに苦しんだのであった。不安だったが、体調がよみがえっていたせいか、まだ走れる足が残っている。残りは38km、9時間が残されている。どうやら完走は出来そうだ。
     城端の郊外に、満開の桜の大木が目を楽しませてくれた。強風でも花びらを散らせなかった。僕も桜の木に負けないように、5時間以内の2時前迄に兼六園へ着こうと思った。
     福光のエイドには千夏たちの姿はなかった。レンタカーを返す時間になってしまったのだ。最後のマッサージをしてもらった。走り出したのが11時だった。残り26.6km、登りが二つ、それを越えると森本駅だ。そこからは残り7kmで兼六園だ。「3時間で着くぞ」、ペースを上げた。華山温泉、川合田温泉、富山県と石川県の県境、この9kmの間を去年は千夏と二人で、カエル鳴く、雨の滴る深夜に3時間も歩き通した所だった。今回は約1時間で走り切れた。こんなに近いのか、と驚いた。
     森本エイドに1時20分に着いた。7kmを40分以内で走れば2時までには着ける。遠くに白と黄色の二つのシャツが動いのが見える。加納くんと千木良さんだ。二人を脅かしてやり、そのまま兼六園を目指した。その後、他の二人のランナーを追い越し、園内の坂をダッシュ。ゴールが見えてきた。朱美ちゃんの姿は見えていたが、千夏の姿が見えなかった。雄姿を見せたかったが仕方がない、とゴールの佐藤桜に触れようとした時、千夏が何処からか飛び出してきた。目頭に涙が溢れてきた。
     
     完走できて本当によかった。久々のまともな完走だった。心臓への不安、肉離れの不安、練習不足の不安、ヘルニアの不安、それらから開放された安堵の嬉涙だった。これで今年のスパルタは完走することができる。

     



       No50エイド  金沢 兼六園 250km 31時間44分 22位(114人中 完走82人)








      チーム鳳、5人共完走した。


      白鳥町、文元の酒蔵。桜の花酵母の酒が旨かった。


      白鳥町、藤枝の桜


      いつもは夜走る昼間の御母衣湖


     

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      2011 さくら道ウルトラ遠足

        夢をつないださくらのトンネル266km 
      2011・4・30〜5・2
       
       さくら道には二つのレースがある。さくら道ネイチャーラン250キロと、遠足266キロである。ネイチャーには過去5回走っていたが、遠足には出場した事が無かった。一度は出てみたかった大会だった。今回それが叶った。きっかけは走り仲間の稲垣寿美恵、すーさん誘いだった。彼女は極度の方向音痴だ。走力的には同じ位だったから、てっきり道案内の役で、と思っていたのだ。このレースはネイチャーと違って道案内がいない、コースマップを基に走らなければならないのだ。ならばと一度は走ってみたかった遠足に申し込んだのだ。選考で妻の千夏も走れる事になった。そしてさくら道完走目指しての練習が年が明けてから始まった。
       
       名古屋に一泊し、早朝のあおなみ線で一駅、小本駅に降り立った。参加者250人の列がJR東海バスまで続いていた。ランナーとスタッフの懐かしい顔ぶれが沢山待っていた。「妻の千夏です。初の超長距離なんです」と皆に紹介し、暖かく向かい入れて頂いた。

       
       7時、第一号佐藤桜をスタートした。晴れていたが、風も無く涼しく走りやすかった。千夏とスタート時に硬い握手をした。「必ず完走できるし、そのための走りこみは出来てるからな」と心の中で伝えた。
       初めての道だったから、皆の後を千夏と名古屋城を目指した。そこから先はネイチャーのコースと同じだから千夏と別れて兼六園を目指し、待ち受けるつもりだった。
       お腹の調子が悪かったから、公園のトイレに駆け込んだ。用を足し、千夏に追いついた所からは名古屋城が良く見えた。国道に出るところではサポートの皆が集っていて、長旅へと見送ってくれていた。

       名古屋城
       
       僕達の走りのベースは丹沢である。週末はロードの登り下りをしたり、トレイルを走ってきた。平日の夜は1時間走をほぼ毎日繰り返した。僕は以前から痛めていた足底や、ふくらはぎの軽い肉離れが気がかりだったが、千夏の身体は日増しにたくましくなってきた。よほどの事が無い限り完走すると思った。もし完走ができたらスパルタスロンに出れるのだ。二人でスパルタを走れると言う大きな夢につながるのだ。少し前までは「私はスパルタは絶対無理」と拒み続けていたのだが、最近では遠足を完走して、スパルタへ行く為の休みを取る段取りまで考えていた。この自信は何処からくるのだろうか、たいした変化だ。
      清洲橋

       10・2キロ 名古屋城から千夏と別れてトップでゴールする予定だった。しかし暫く二人は景色を楽しんで走っていた。それでもトップ10の中を走っていたのだ。回りには塩原さんや入江さんと言った少し前まで24時間走の日本代表者達と一緒だった。汗も殆ど掻いてなく、千夏の出来は上々だと思った。「もう大丈夫だから先に行っていいよ」と促され23.9キロ名神高速高架下からペースを上げた。
      木曽川橋
       
       26・3キロ 裁判所前にチェックポイントがあった。「奥さんを一人にしちゃったの」冷やかされてしまう。現在6番目らしい、やはりペースを上げてトップで走ろう。
       すっきり晴れなかった。山の方には暗雲が立ち込めていた。天気予報ではこれから曇り出すが、雨が降り出すのは明日の遅くのはずだった。しかし今まで千夏が走ってきた殆どが雨レース、しかも大雨が多かった。嫌な予感がした。それでもいつもリタイアせずに結構良い順位でゴールしてきたから、もし嵐になっても完走するだろう。しかしまた降るのか・・・。
      長良川

        34・9キロ 木曽川を渡る。いつもなら遠くに白銀の峰が望めるのに水分を含んだ重たい雲に覆われていた。
       岐阜市内を北に向かった。若いランナーに追いついたが、ペースを上げて見えなくなってしまった。
       大粒の雨粒が道を斑に濡らした。生暖かい風が吹き抜けた。雷光が走る。割れる雷鳴が頭上に轟き渡った。軒下に3人のランナーがレインコートを被る所だった。さっきの若者の他にベテランらしき寡黙そうな二人の姿が見えた。まだ雨は本降りにはならなそうだったからそのまま走り続けた。
      いたち坂
       
       57・6キロ 東北北陸自動車道高架下の私設エイドには松下夫妻が待ってくれていた。「今二番目ですけど千夏さんと一緒じゃないんですか?」僕もそのほうがいいのではないかと思ってきていた。素麺をたらふく頂き、ウインドブレーカーを着て美濃を目指した。
       長良川と長良川鉄道を絡む様に道が続いていた。千夏に電話したが通じなかった。きっと元気に走ってるのだろう。白鳥までは走り切れる走力は身についたと思う。しかし、そこからの暗闇と、道の不安や睡魔を一人で乗り越えられるだろうか、初めての超長距離では誰もが夜はベテランに着いて行くのが当たり前だ。僕が一番適任してるのは当たり前だった。今回はスパルタに出る為、どんなに遅くても完走しなければ意味が無いのだ。しかし2時間は離れただろう、寒い中待ってるのはしんどい。どうしょう・・・。
      こいのぼり乱泳
       
       67・9キロ みちくさ館 メールをした。「白鳥から一緒に金沢を目指しましょう」返事は中々返ってこなかった。まだ調子良く走ってるはず、自分の力だけで走れるからそんな事をしなくてもいいのにと思っているのかもしれない、それでも白鳥で待つ事にした。
       立派な洲原神社に目が止まった。時間つぶしに見学した。ここら辺はブッポウソウの生殖地らしい、そこで猿の群れや雉に出会った。東海一の美山鍾乳洞に興味をそそられ道を外れたが、道が険しそうだから直ぐに引き返してきた。広い長良川を長いこいのぼりの大群が気持ち良さそうに泳いでいた。
      洲原神社
       
       83キロ 雨の中、コンビニの向かいで越田さんがエイドをしてくれていた。「奥さん、いい走りをしてましたよ」と教えてくれた。安心したが、メールの返事が無いのが気がかりだった。
       雨風が強くなってきた。スーさんにレインコートを差し出してもらったが断った。千夏が予備を持っていたから白鳥まで何とかするつもりだった。
       深戸には良二さんが植えた桜並木が続いている。昨年は桜吹雪だったが、今回はしっとりと緑の若葉に覆われていた。
      深戸の桜並木の

       93・7キロ 16時50分 郡上八幡 昔の名金バスはコースを離れて市内を走っていた。市内へはまだ行った事が無かったから行ってみる事にした。ここの郡上踊りが有名だ。夏の間30余夜にわたって踊り、お盆では4日間夜が明けるまで踊り続けるらしい。踊りのウルトラである。城下町には歴史ある古い街並みが広がっていた。残念ながら、城はガスに覆われて見えなかった。
       約1時間でコースに舞い戻ってきた。少し行くとコンビニがある。そこでカメラの電池とロールケーキとコーヒー牛乳を買って、外で休むことにした。千夏からメールが着ていた。「もう直ぐ八幡です。心配しないで待っていてください」15分前だった。もしかしたら先に行ってしまったのかもしれない、急いで白鳥を目指した。
      吉田川夕暮れの田んぼ
       
       懐かしい白鳥の駅前を走り抜け、橋を渡り、スタッフに誘導してもらいながら桜守良二さんの碑を折り返した。民宿さとうの大エイド 116・1キロ 20時15分 3位 急いで来たが、千夏の姿はまだ無かった。
       カレーライスを2杯頂いた。千夏が来るまで仮眠する事にした。座敷へ上がるとテレビで女子のフィギアスケートを放送するところだった。勿論、皆の真央ちゃんが出ていて千夏も大ファンだ。仮眠どころでは無くなり、真剣に見てしまった。結果は残念だったが、良いすべりだったと思う。
       10時03分に千夏がこれから良二さんの碑に行くからと顔を出してくれた。偉い、加村さんに次ぐ女子2位、その時はまだ元気そうだったが、折り返してくると疲労が蓄積されたのがわかった。ゆっくりしたいのだが、ここは居心地が良すぎて危険なのだ。休みすぎて弱気になり、何人も止めてしまっている。早々に補給をして出発した。
      海宝さんとイベリ仔豚
       
       予定の23時30分少し前に出発する。20番目の通過だった。ここから徐々に勾配が増し、民家が減り暗く寂しい道になる。雨の勢いは衰えそうも無かった。何百何千の蛙の鳴き声に圧倒される。
       霊峰白山への登拝口の馬場として栄えた名残の、長滝白山神社を横目にする。
       石徹白への分岐点、500mほど左上の方を2つのライトが動いてるのが見えた。コースは右に辿るのだ。間違えもレースの内だ。僕は1mも間違えない自信があった。千夏も安心し切ってる様子で、健気に付いてきていた。
       眠たそうだった。126・3キロの高鷲町商工会館には軒下があるはずだから頑張ってもらった。何とそこにはエイドが有り、お粥にお汁粉をご馳走になるばかりか、テントの中で仮眠までさせてもらった。千夏は直ぐに深い寝息をかき出した。ぼくは15分で起こすタイムキーパーの為起きていた。その間、地図を見ながら大雑把な行程予定を計算していた。
       道の駅 大日岳10kmの標識が見えてきた。勾配が更に増し、歩きが増えてきた。千夏はけして無理はしなかった。初めての超長距離だったが、落ち着いた運びをしていた。まだまだ先は長かったが、完走の確信を感じた。
       「凄い もう大日岳に着いちゃった」と喜んでいた。言いづらいが、大日岳の登山口だった。道の駅は更に5キロも上だった。落胆は当然しただろうに文句一つ言わない千夏の強い意志を感じた。必ず金沢に連れて行ってやる。定期的にブドウ糖を与えながら走った。
       ダイナランド入口が見えたら道の駅まで直ぐだ。そこにはトイレの明かりだけしかなかった。二人共用を足した。男子トイレでは、中で仮眠中のランナーがいた。
       凄い水量を含んだ駒ケ滝には毎回圧倒される。此処にも佐藤桜があるのだ。長良川源流を越えると分水嶺だ。森の奥から梟の鳴き声が聞えていた。

       136・5キロ ひるがの分水嶺からは、今まで辿ってきた太平洋に注ぐ長良川に変わり、日本海へと注ぐ庄川に沿って下る事になる。峠を越えると一段と風雨が強くなった。分水嶺公園にもエイドがあり、少し暖を取って再び走り出した。途中のデイリーヤマザキに立ち寄り雨具とゴム手袋を買った。それだけ冷え込み、天候が荒れてきたのだ。
       ゆっくり走ってると寒いからペースを上げると、直ぐ千夏の姿が見えなくなった。だから歩きも
       混ぜた。300m走ってから200m歩くと背後に追いついて来た。4度追いついたらブドウ糖を口の中に入れて上げ、水を飲ます、それを繰り返した。千夏は悶々と走り続けていた。
       折戸の交差点、右に行ってしまうと飛騨高山に行く。白川へは少し寂しいが左に折れるのだ。御母衣湖の岩瀬橋を渡ると荘川桜まで3キロだ。

       151キロ 4時、樹齢450年 二本の桜の古木があった。しかし見上げる事も出来ないほどの嵐で、二人で写真どころではなかった。すこし先のエイドに避難した。
       外に出ると少し明るくなっていた。横殴りの雨が爆竹の様に雨具のフウドを激しく叩く。湖上を横縞に波打つ雨のカーテンが風に乗ってうねってる。千夏は嵐を呼ぶらしい。二人共強風に 煽られてフラフラ歩いた。時には後押しされて激しく走り出す事もあった。いつの間にか雨具は引き裂かれてしまっていた。疲れ果ててしまったので、福島保木トンネル内の待避所で肩を寄せ合って少し眠った。千夏の身体は直ぐに重くなり、深い寝息を掻いた。それにしても長い長い御母衣湖が記憶に残った。
      白川郷分岐エイド
       
       164キロ 7時 平瀬の温泉街に入った。ここも白山登山基地のひとつだ。ネイチャーの時は白山タクシーの車庫ではかなり賑わうのだが、今回は人影が全く無く、雨風に振り回される木立のざわめく激しい音しか無かった。バス停前の佐藤桜が看板も枝も可愛そうに、無残にへし折れてしまっていた。
       「なんでこんな所を通すの?」と意味不明なことを言い出した。幾つかあったダムが全て御母衣ダムだと勘違いしていた。デジャブの御母衣湖に苛立っていたのだ。やはり一人にしないでよかった。鳩ヶ谷ダム、椿原ダム、赤尾ダム、くろばダム。庄川を下り続けているのだ。
      荻町
       
       175.3キロ 9時 白川郷には悪天候にも関わらず多くの観光客で一杯だった。それを縫うようにして僕らは走り抜けた。高速バスが目の前を通った。後部座席には20人ほどのランナーが車窓に首を預けていた。リタイアしたランナーは自力でゴールまで行かなければならないのだ。
       幾つもの長いトンネルを抜けた。長い橋上を風になびきながら落ちてしまわないように気をつけて走った。橋を渡る度に、トンネルを抜ける度に岐阜県から富山県に七回変わった。深い谷に張り付くように集落があった。激しい雨量の為、至山肌には幾筋の白い滝が出現していた。
      合掌大橋
       
       192・8キロ 12時 道の駅 上平ささら館 上平から高岡のローカルバスにもランナーの姿があった。僕達はそば定食を食べて少し寝るところだった。車中の皆も疲れ果てて首をもたれていた。残り65キロ、午前0時に着ける予定だった。
       前を三人のランナーが寄り添う様に走っていた。追いつくと視覚障害者と伴走者達だった。良く此処まで来れたと三人に感動する。
      湯出島橋
       
       204・5キロ 2時 下梨からは五箇山への登りがある。その登り口にリタイアしてしまった人達がエイドをしてくれていた。カレーライスを大盛りにしてもらい美味しく頂いた。このカレーは白鳥から移動しながら熟成されてきた物だからから、この上無く美味だった。内臓が元気でいてくれて良かった。これで暫く走れる。
       雨が上がってきた。ベテランの中村さんが言うには「4時くらいのゴールかなぁ」との事だが、そんな事は無い、時速5キロで歩いたって1時には着くはずなのだ。しかし・・・
      相倉集落
       
       五箇山トンネルまでは歩く事にした。千夏の歩みが遅いから相倉合掌集落見学に立ち寄った。その駐車場からランナーが飛び出して来た。軽快に走り出す赤いウエアーの青年は、のろのろ走る僕を見て、怪訝そうな目を流して走り去って行った。道が違うんじゃないのと言いたかったのかもしれない「畜生、次に会ったら説明してやるのに・・・」 
       世界遺産の集落は観光客で一杯で落ち着きが無く、早々に引き返した。
       トンネルの手前で千夏に追いついた。さっきランナーさんが来て私達の事を話したら「信じられないです。尊敬します。」だって、千夏が代わりに話してくれていたのだ。

      R304
       
       冷たい冷気に包まれたトンネル内では、僕が早歩き、千夏がゆっくり走るペースが一致した。歩くと再び眠気に襲われる。梨谷トンネル812m、五箇山トンネル3072m、僕はトンネル内で歌いながら歩き切り、後ろを千夏は頑張って走り通した。
       外に出ると生暖かい空気に包まれた。そんな小春日和もつかの間、湿った冷たい空気が頬を掠め、黒い雲が背後に迫る。やはり嵐を呼ぶ千夏なのか・・・。
       ずぶ濡れになりながら急な下りをトボトボ走り、城端駅を目指した。やがて雨は上がった。途中数人に抜かれる。その度に「もう雨 降りませんよね」と尋ねられた。もう雨はこりごりだった。
       市街地に入り、暗くなるころ家の軒先から「ご苦労様」と手招きされたが、素通りしかけたところ、玄関先には大弾幕が張られているのだった。「ゴールまでたったフル1回。」さっき抜かされた3人のランナーが玄関でくつろいでいた。この先にもエイドが有るらしい、残りフル1回分かぁ、長い夜になりそうだ。
      大鋸屋
       
       眠さと疲れで距離感が狂って、やたらと長く感じた。1キロが3倍の3キロ程に感じてしまう。つまりゴールまで100キロ以上に感じていた事になる。いったい何度「嘘だろっ」「未だかよっ」とぼやいた事かしれない。喧しい蛙達には「うるせぇーっ」と八つ当たりもした。
       229.5キロ 9時、福光のエイドでは再び3人が顔を会わせた。僕はたまらず仮眠をした。中村さんが言ってた通りゴールは4時頃になりそうだ。
       9時30分、走り出した。そして登りは歩いた。湯谷温泉が道路脇にあった。「もうここ終わりでいいよな」と言いながらも先を見据えて走り続けた。約15分おきに二人でブドウ糖を食べた。食べると意識が回復する。華山温泉まで500m、川合田温泉は左折・・・。「温泉に寄ろうか?」
       235・3キロ 11時、石川県に入った。県境までが遠かった。少し行くとエイドがあった。本当に助かる。有りがたくお粥を頂いた。「此処までくればもう直ぐだ」と言われても、気が重かった。寒さで膝が痛かったし、足の裏には深くてでかい豆が出来ていた。小石を誤って踏んでしまうと、その痛みが全身に流れる。その度に「畜生っ」「ばかやろうっ」「しまったーっ」と喚き散らした。千夏には「うるさいよーっ」と叱られる始末だ。「だってーっ」
       242・2キロ 宮野町までは車の往来も無く、殆ど街灯の無い中、ヘットライトの明かりだけを頼りで走っていた。「あそこに人が3人動いてるよ」「いや 5人だ 白いYシャツ着てるよ」こんな幻覚を何度も見た。民家を見つけたときには安心した。此処から先は金沢に向かって、どんどん明かりが増えてくる。まだ力が残っているランナーが駆け下りて来た。その中の一人が「長い」「眠い」「痛い」と訴えながら僕達に割り込んできた。先を促しても、ペースを上げても着いてきた。嫌がらせみたいにしがみついていた。二人にしてほしかった。千夏も嫌がっていた。
       森本駅に突き当たり、左に6キロで兼六園入口だ。ランナーがやってくる。「おめでとう」と凄い速さで行ってしまった。もう直ぐだと思って進むが、中々距離が進まない、兼六園を過ぎてしまったのかもしれないと真剣に焦った。ふらつく僕らに私服警官二人が尋問してきた。さっきのランナーといい、この二人といい、現実感が無かった。いつの間にか私服警官の姿は無く、人っ子一人居ない金沢の街を三人で歩いた。
       兼六園1キロの標識があった。目の前を座頭市みたいにマントを被り、杖を着きながら身体を傾けてよたよたしてる姿があった。これも幻覚かと近づくとランナーだった。「お疲れさん もう直ぐだね」しか言えなかった。
       
       252・2キロ 兼六園に入った。1500本目の佐藤桜、誰かが居て盛大に出迎えてくれるだろう、残りを500mを二人で全速力で手を繫いで走った。その後ろを抜かさんばかりの勢いで、必死に着いてきていた。その500m先には目を凝らしても誰も居ない、佐藤桜があるだけだった。二人だけのゴール写真を撮ってもらうつもりで必死に走ったのに・・・。三人は途方に暮れた。
       本当のゴールは更に5・6キロ先の「ゆめのゆ」だった。精魂尽き果てた千夏は「この辺で寝て明るくなったらゴールしない?」と言い出した。その後も「休もうよ」と言う。着いてきたランナーは申し訳ないが先に行ってもらった。彼の気持ちは良く解っていた。
       「ゆめのゆ」も中々見えてこなかった。ほんの少し空が白みかけた頃だった。スタッフに促され、ゴールテープに向かって手を取り合い、完走を果す事が出来た。
       感動より深い疲れが支配していた。
       早く風呂に入って休みたかった。
       悲惨な足の裏だった。
       千夏は、「スパルタもネイチャーも無理」と言っていた。


       仮眠室のテレビでは、オサマ・ビン・ラディンがアメリカ軍により射殺されたニュースが流れていたし、ここ金沢に本社のある焼肉チェーン店の集団食中毒の事件も・・・。
       知らない間に世の中では色んな事が起きていたのだと思った。僕らは充実した時間を過ごした。千夏は「楽しかった」と言ってくれた。「大した者だ」と思った。大きな仕事を成功させた瞬間だった。



       想像以上に上手く走れたのかもしれない。二人共明日にでも走れそうな回復だった。今年も色々な出会いがあり、沢山の助けがあった。有り難い事だ。無事の完走に感謝した。

       金沢から白鳥に戻り、良二さんの住まいだった「民宿てんご」に向かった。円覚寺にある墓前で今年は二人で報告をしてきた。
       来年はネイチャーの時に来ます。では・・・。ありがとうございました。


          エントリー 235人  
         
        スタート  203人  男子168人 女子35人
        完走者  83人      73人     10人
              40・88%    43・45%  28・57%

              37位?
       岩瀬家と水芭蕉世界遺産を走る白鳥の酒蔵夢をつないださくら道

       スパルタを目指すぞ・・・・

      0

        2010 さくら道国際ネイチャーラン


         久しぶりとなる今年の「さくら道」は、4年振りだ。 それでも以前と何一つ変わらないでいてくれた。スタッフや参加仲間が「お帰り」と出迎えてくれたのだ。
         ことしの2010は17回目の開催である。僕は、2002に始まり、飛び飛びで5回目の挑戦となる。誰でも何時でも参加できる訳ではない。この大会のハーフの部143キロを完走するか、スパルタスロンを走り切っていなければならないのだ。そして、さくら道でもしリタイヤしてしまったら、向こう3年間は走らせてもらえない、と言う狭き門である。
         今年の目標は、28時間23分の自己ベスト更新。具体的には27時間を切る事、5位くらいだろうか、あくまでも全てうまく事が運べばのはなしで、250キロの長い距離と時間、色々な事が起きる。それらの障害を一つづつ対応していくのだ。。さくら守である佐藤良二さんの精神の一つ、夢に向かって諦めないで続ける事である。

        説明会

         昨夜までの冷たい雨が嘘の様に晴れ渡ってきた。4月17日 6時のスタート前である。
         18人のグループが6つ、3分おきに名古屋城をスタートする。全部で108名、僕の6時12分スタートのグループにはマイスターの仲間が二人いた。野村純一くん、ジュンジュンは東芝のエリートランナーであり、元100キロ日本代表である。小河哲くんは新鋭で、スパルタを昨年初完走していた。
         600グループが金沢兼六園を目指してスタートした。その中にはマイスターの鈴木誠、マックがいた。2008の覇者である。603には加納くんの姿、スパルタや御岳100キロトレイルなどでよく並走する事があった。606では松下栄美ちゃんが、609には松下剛大くん、まつたけの姿、この二人は先月結婚したばかりの新婚ランナーであり、昨年のさくら道のゴールでプロポーズ・・・、どこかで似た話を聞いたことがあるなぁ・・・。出会いは更に以前のさくら道のリタイヤバスの中だったのだ。そして今年、何とこの二人が・・・。でも、二人共100キロ日本代表カップルだし、まつたけは2007の覇者だし・・・。ありえるな。

        名古屋城スタート

         612の出番である。記念撮影をしていよいよ走り出した。ジュンジュンを差し置いてどんどん前に出て行った。11・3キロの最初のエイドまでで600のグループまで抜いてしまう。マックやまつたけ達は遥かに先を軽快に走っていることだろう。きっと一度も会わないんだろうなぁ。目を細め、遠くに目をやった。
         信号待ちを繰り返しながら、郊外えと逃れる。木曽川を越えるた。遠くに白銀の山が見えていた。今年のひるがの分水嶺は寒そうだ。
         岐阜市の魔の踏み切り地帯、「名鉄本線」「JR高山線」「名鉄犬山線」3つ目の犬山線では中々やって来ない電車3本をやりすごすのに7分掛かってしまったが、その間ランナーの姿もなく、トイレも済ませたし、のんびりできた。
         左のふくらはぎが攣りだした。今までに感じた事の無い嫌な感覚だった。おそらく一時的なものだと思うが心配だ・・・。道が単調で落ち着いてると、身体の内面と向き合うことがある。そうすると「少し膝がいたむな・・」「腹が減ってきたな・・」などと気がついて、意識をすると本当に痛み出したりしてしまうことがある。そのうち意識が他に移ると、いつの間にか痛みが消えていたりする。今のこの痛みもそうであってほしい。
         35キロのエイドでは、早くも良二の話に花が咲き、この先では毎回エイドでは同じ事の繰り返し「アッ 佐藤良一さんだって、もう一本足して二にすればいいのに・・・。」「やめて下さいよ これは僕の名前なんですから・・・。」この辺りでは、よほど良二さんは尊敬されてるのだ。名前が同じでも駄目だ、と言う事なのだ。しかし、立派とは何なんだろう・・・。

        木曽川

         僕の今は亡き父と、志半ばで亡くなった佐藤良二さんとは一歳違い。
         母と良二の妻八千代さんとも一歳違い。娘が二人いたが、長女の美智子さんと僕も一つ違いである。
         僕は今回レース後に白鳥にある民宿「てんご」に予約をしていた。そこでは今でも八千代さんが一人で細々とやり繰りしていた。娘たちからボケない様に「てんご」仕事をしたほうがいいよ、と言われているそうです。長女は遠く茨城県の筑波だが、次女がひるがの分水嶺の近くだから時々手伝いに来てくれるそうだ。教科書にも登場するというのに普通すぎるぐらいに普通なお母さんで、だから良二さんは安心して大きな夢のある仕事に没頭出来たのかも知れない。「太平洋と日本海を桜でつなごう」
        その資金繰りをする為に始めた民宿だった。
        55・6キロ

         フルマラソンの距離を3・35で通過。49.9キロのエイドの信号待ちで、昨年の覇者、鍵さんが「8キロ道を間違えた」と言いながら、その後ろには地元の吉岡さんと、ジュンジュンが追いついて来た。信号が青に変わった。走力を考えると、後から出たほうがよさそうだ。その差は綺麗に拡がりを見せていった。
         67・2キロ 14度 美並の桜は散り始めていた。トンネルを一つ抜ける度に気温表示が一度下がり、桜の花びらも残されていた。きっと白鳥の桜が今が丁度満開に違いない、淡い煙るような薄ピンクが白鳥町を覆っているのを想像してみた。
         12℃、狭い谷間を抜けると高台に城が見えてきた。踊りで有名な郡上八幡の城である。強い向かい風に絶える時間が続いた。足元には桜草・すみれ・菜の花が咲き誇り、時々「ケーン ケーン」雉の鳴き声と共につがいが姿を見せてくれた。
         所々でカメラのレンズが待ち受けている。桜のトンネルの中を走るランナーの絵だ。その中を誇らしげに走り抜けた。
         長良川鉄道を抜けると白鳥のメインストリートに続く。旗を振りながらの応援、ゼッケンに書かれた名前をみて、更に応援の声にも力が加わるのだ。「ありがとうございまーす」
         第一関門 106.9キロ 16時01分 6位

        81・4キロ

         予定が6時だったから、新幹線並みの正確である。エイドではジュンジュンがうな垂れていた。今度は先に行かせてもらう。僕の前にはマック・まつたけ・鍵・日吉の順に約10分間隔で拡がっていた。
         たまにやってくるランナーを見かけたら、家の玄関や店の暖簾を掻き分けすぐ近くまで走り寄り、満面の笑顔で応援をしてくれた。「サトウ リョウイチ がんがります」
         白山に連なる山間の道を、高度を上げていく。やがて残照が高嶺にわずかに留まり、冷気が降りてくる。いよいよ本番だ、気を引き締めた。
         124キロの第24エイドには、夜間走の道具を預けていた。防寒着にライト、明かりを灯すにはまだ早かった。道は九十九曲がりを繰り返し、更に高度を上げる。辺りは雪の壁である。雪が割れて地表が出ている場所には蕗が芽を出し、美味い盛りを迎えていた。
         駒が滝の爆風を左に受けると、間も無く分水嶺である。
         泉が湧いている。ここから太平洋と日本海を二分する。南に長良川を経て伊勢湾、北へ荘川を経て富山湾へと注ぐのだ。
         ダイナランドスキー場の夜間照明が煌々としていた。昨日もかなりの積雪があり、今年はまだスキーヤーで賑わいを見せていた。
         夜の帳が下りてライトを灯した。森の奥から鵺の鳴き声が聞えてくる。「ピーーーン ピーーーン ピーーーン」梟の仲間である。誰か森の奥で口笛を、もの哀しげに吹いている様な声が震撼させる。
         牧戸交差点の標識がみえてきた。右が高山で、左の白川郷に折れる。寒風の吹き抜ける岩瀬橋を渡ると、御母衣湖が見えてきた。一瞬ランナーの灯す光が谷間に消えた。トンネルを3つ越えると、遠くに煙の様なものが見えてきた。それは二本の巨大な桜の老木に向けてライトアップされたものであった。「荘川桜」このさくら道の元になった樹齢400年を遥かに越えた、あずま彼岸桜である。
         第2関門 143キロ 20時09分 5位

        荘川さくら

         予定は20時30分、少し早く到着した。今度はエイドにまつたけがうな垂れていた。ここでも先をいかせてもらった。
         ダムからの大きな下りのカーブで右足を少し捻ってしまった。それからが大変だった。平瀬温泉白山タクシーのエイドで脚首と膝をセルフマッサージ、その間ストーブで暖められた毛布を全身に巻いていただいた。外気は氷点下5℃、意を決して外に出た。「さむい」「凍ってしまう」「膝がいたい」そんな僕をまつたけが抜いていった。「待ってなくていいのに・・・」待ってなんかいません。
         そんなまつたけもストレッチを繰り返していた。「お先に・・・」の繰り返しで距離を稼いで行った。
         新月で、雲一つ無く、満天の星空から見下ろされながら、約5キロ置きのエイドで膝をストーブや蒸しタオルで暖めながら、次のエイドを目指した。膝の屈伸をすると、左ふくらはぎが腫れてることが解った。まるで左だけ座布団を挟んで屈伸してるみたいだった。
         世界遺産、ライトアップされた白川郷の合掌集落を横切る。老朽化が進み、維持費が掛かるのだろう、取り壊し中の館もあった。合掌造りの宿があった。暖かな布団の中でいい夢を見ているのだろう。
         国道に出る交差点で右膝を揉んでる所を、亀井さんが車で通りかかった。「もうすぐエイドだぞ・・・」やがて右膝の痛みより左ふくらはぎの方が強く痛み出した。不思議だ、膝の痛みが薄らいだ。かなり
        もたついていたのに、まつたけが追いついて来なくなった、心配だ。
         第3関門 「道の駅 白川郷」 172・6キロ 23時38分 4位

        へこみます

         予定より遅れ出ていた。諦めるのはまだ早いが、26時間は無理になってきた。もたもた考えていたら、まつたけが息を吹き返してやってきた。3人後ろに奥さんの栄美さんが迫ってきているのだそうだ
        。尻に火が点いたのだろうか、あっと言う間に視界から消えてしまった。やはり「気持ちだ、痛くなんかないぞ・・・。」
         かなり痛い。痛いぞ、畜生・・・。
         目の前から白い霧が大量に噴出している。それはトンネルからだった。音も立てづに異次元空間を造りだしていた。ほとんどのトンネルは無風で、生ぬるい空気が漂っているのだが、きっと向こう側の出口、真正面から風が入り込んでるに違いない。やはりトンネル内は冷凍庫みたいに冷え込んでいて、冷たい風が吹き抜けていた。
         癸械競┘ぅ鼻。隠牽魁ィ献ロ この辺りは岐阜県と富山県を7度も越える。橋が6箇所とトンネルがあり、その度に県境を越えるのだ。きっとカーナビがうるさいだろう。そんな寂しくて寒いエイドを引き受けてくれていたのが亀井さん、我がマイスターの亀ちゃんだ、「本当にありがとう、助かる。」
         198・1キロの五箇山タクシーまでが長かった。ふくらはぎは、まったく使い物にならなかった。その間二人に抜かれてしまう。次に来るのは栄美ちゃんか・・・。
         次のエイドまで登りが5キロ程続く。ひたすら歩き通した。一生懸命大きく、そして素早く腕を振った。見上げる先に道が続き、更に上には星が煌いていた。「千夏・・・ 辛いよ・・・ 」そこに見事な流れ星が現れた。「28時間台で必ず・・・。」誓った。
         五箇山トンネル入り口エイドには、マックの奥さん琴美ちゃんがいた。「直ぐ先に仲間がいるよ」エッ まさか・・・。
         トンネルの出口まで約5キロ、20分の差、追いつくのだろうか・・・。歩くと寝てしまうから走り通した。出口付近を漂う人影が振り向き「なますて・・」マックだった。痛みと、眠さ、白川郷過ぎまで優勝を目指してずっと一人でトップを走り、その絶望でトンネル内を5キロの道のりを50分掛けて歩き続けたのだろう。やや正気を取り戻し、大鋸屋を二人で前後しながら坂を下ってきた。
         第4関門 大鋸屋 212キロ 5時12分 6位

        石川県 残り17キロ 
        マックは先に歩き出した。僕は夜間走の道具を預けて、身軽になりスタート、そこに加納くんがやってきた。26時間台の記録を持つだけあり、余裕が残っていた。僕がマックに追いつくと、加納くんが抜いていった。「おーい 良一さん 追いかけろー」マックに促され、追いかけてはみたが、20分もすると前の加納も、後ろのマックもまったく見えなくなってしまった。
         この辺りの桜はまだまだ見ごろだった。兼六園の佐藤桜の並木は桜吹雪かな・・・。
         ぼやぼやしてる所に栄美ちゃんに行かれた。松下夫婦のアベック優勝に向けての快走には追いかける気もしなかった。もはや登りも下りも走れなかった。平坦な所は何とか腕振りで無理やり走れるのが精一杯だった。
         石川県との県境を越えた。金沢に向かう下りでハーフの部、143キロのトップに抜かれる。がんばって追尾した。登りを歩いていた。そして追いついた。だがしかし、次の下りで離されてしまう。
         最後のエイド、残りが7・2キロ。ハーフの2番手が何とエイドを素通りして追いかけてきた。「すいません 僕を引っ張ってください」驚いたことに弱視のランナーで、時々酷くなるのだそうだ。29時間切りに赤信号。諦めて彼のペーサーを引き受けた。必要とされていたのだ。彼の母親がどこかに居るらしい、そこまで早歩きだ。何とジュンジュンに抜かされた。「追いつくとおもいませんでしたー。」いい走りだった。
         山の上交差点「何やってんのよ 走りなさい」厳しい応援だなーっと思ったら、彼の母親みたいだ。先に行くことにした。兼六園3・2キロが見えた。残り20分、まだ間に合う。五箇山の誓い、「千夏 お前のご主人様は・・・ 走るぞー」 もどかしい信号待ち、何度も腕時計を凝視する。「行ける 行ける」30秒の貯金か・・・。兼六園の信号、いい具合で何とか抜けた。坂を登り、えっ 見えない、一番端だったのか、「畜生」 そして、遂に佐藤桜にタッチ。
         250キロ 28時間58分 9位

        松下夫妻

        脚の具合は最悪だった。肉離れを起こし、内出血。最後に走れていたのが嘘のように歩けない。亀より遅いかもしれない、温泉ではお湯は使えなかった。100度の熱湯に触れたようだ。ただ唸るしかできなかった。
         反省は勿論多々あるが、補給が上手くいって吐き気がなかった。まだまだやれるかもしれない手ごたえも有った。でも今は耐えてくれた。身体をきちんとケアしよう。

        関島秀樹さん よたよたしていた僕を見かねて温泉に連れて行って下さりありがとうございました。大変にお世話になりなした。 八千代さん 貴重なお話をありがとうございました。 お二人には必ず再開しに伺いたいと思います。
         関島さんは、さくら道ライブツアーをされている方です。「てんご の 夢」桜のように生きた男、心にしみます。



         また来年・・・。


         

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          2006さくら道ネイチャーラン 

            さくら道ネイチャーランとは
            
           その原点である佐藤良二さんは、満開の桜を見上げ、その美しさに目を細める人々の笑顔が何よりも好きでした。花は人の心を和ませ、人の心と心を繋ぐ。この世の平和の祈りを託して、花を見る心が一つになり、皆が仲良く暮らせる世の中になって欲しいと言う思いをこめて、太平洋と日本海を桜で結ぼうと夢見た桜守だった。そのさくら道を36時間以内に走るのがこの大会だ。



           4月22日 三度目になるさくら道、今年の桜は白鳥の辺りが満開らしい。天気予報は曇り後雨、昨日蛭ガ野で10cm、白川で30cmの積雪があったらしく、夜間の凍結が心配だ。昨年は32:34 27位だった。今年の目標は30時間以内で10位以内と大きく出てみた。
           朝6時、力の無いランナーから順に、16名ずつ6グループ96名が名古屋城の佐藤桜を発ち、250k先の兼六園の佐藤桜を目指す。僕は4組目6:09のスタートだ。
           スタート前、事故で亡くなり出場出来なくなったフィンランドのパシーさんに黙祷をささげた。確か昨年のスパルタで、コリントスからリルケアまでの65kの間で前後した記憶がある。共に走ろう、今年は早いぞ。

           


           同じマラソンチームのマイスターから鈴木くん、亀井くんと僕の3名が参加している。5回目の亀井くんは僕より3分前に、昨年3位の鈴木くんは最終組の僕より6分後のスタートである。
           cp5までの25kmで気負い過ぎたのか亀井くんも抜き、さくら道で優勝経験のある熊谷さんの次、どんどん抜けるから2番目を走ってしまう。こんな走りをしてしまって良いわけが無い、後10倍の距離があるのだ。遥か遠くに白銀の北アルプスの峰が輝いていた。30km地点の木曽川を渡る。何時もならこの辺りで早いランナーにどんどん抜かれていた、どうなる事やら・・・。白鳥では10位かな・・・。
           cp6で昨年3位の佐野くんに、cp8で24時間走237kmで走る田処さん、cp10では24時間走238kmの桜井と昨年スパルタ7位松下くんに抜かれる。僕のペースが落ちたのでわなく彼らが早いのだ。


           コラム 1

           佐藤良二は昭和4年白鳥に生まれた。僕の父が昭和5年。「もしかして息子さんですか」と言われるが無理も無い。僕は佐藤良一だ。良二は孤独を愛し、一人で山ばかり登り、いったい私はどんな人間なのかを自問自答していたと言う。美男子だった良二は映画俳優になろうと鼻にシリコンまで入れるが失敗した。生きる自信を失った良二は武者小路実篤の元へ行くが、何をすべきなのか心の迷いが消えず死を思って輪島に向かう。そこで出会った美しい女性に心を開き、白鳥に戻りバスの車掌となった。桜が好きだというその娘は翌年海に身を投げてしまう。良二が桜を選んだのはその娘の記憶があったのだ。



           トンネルを抜ける度に気温が下がる。美並は20度、まだ桜が残る位だったのが郡上八幡では桜が満開、その先のンネルを抜けたら桜吹雪が美しい、幸せな気分になれる。あれもこれも良二の植えた桜なんだと辿って行く。100k通過9:23自己ベスト、6位のまま白鳥に到着。街の人達からは「あら、佐藤良二さんだって」と声が掛かる。良一なんですが・・・。

           良二は僕が生まれた昭和36年に荘川桜に出会う。荘川村の合嘗造りの家々は巨大ダムの底へ姿を消すことになってしまった。その中には光輪寺に残された桜があった。村のシンボルで、樹齢400年の古木2本だった。
           世紀の移植工事だった。桜は新しい土に根を張り開花した。写真好きの良二はその一部始終を写していた。「この生命力はすごい」アズマ彼岸、荘川桜の姿だった。



           白鳥でのんびりしていると、小川さん・日吉さん・鈴木くん・韓国のソンハに抜かれ10位となる。5kmほど行くと大滝神社があり桜もつぼみで雪も残っていた。いつもならこの辺りでは既に暗闇で、昨年などは満月と夜桜のトンネルを楽しんだが、ひるがの峠までライトを使わないで走れた。各エイドでは「良一さん今年は早いね」、「はい、今年は真面目に走ってます」などと言葉を交わしながら進んだ。荘川桜は4℃、元気で凍結しないうちに先を急いだ。

            
           コラム  2

           良二は村人達が荘川桜を見上げ、目を細める姿を見て自らの人生の目的を見つけたのだろう。「人を喜ばせる」。ひたすら桜を植え続け約2000本まで植えたが、志半ばでこの世をさった。

           走りながら「僕の人生の目的とは何だろうか」、と考えた。中々答えが出ないからいつの間にか距離が進んでくれた。
           
           山の奥からは梟が「ホーホー」、鵺が「ピーピー」と鳴き、「チリリンチリリン」と渡り鳥の幼鳥は一度だけ聴こえた。例年なら平瀬温泉を深夜2時過ぎに通り、とても物静かだった。しかし11時前の今回は、温泉客のそぞろ姿があり別世界だった。
           白川郷入口で久しぶりのランナー桜井さんを抜く、白川の合嘗造りの古民家はライトが照らされとても静かに待っていてくれた。白川村バス停にも桜の樹が根を下ろし良二さん手造りの立て札があった。「太平洋と日本海を桜でつなごう」と書かれている。

           
           コラム 3

           車掌、佐藤良二の名金バス[名古屋ー金沢]266kは日本で一番長い路線バスである。155の停留所を中心に約30万本の桜を植え、太平洋と日本海を繫ぐ桜のトンネル造りを夢見たのである。良二亡き後は姉のてると同僚だった佐藤高三が引き継いだ。

           僕たちさくら道のランナーも完走後に植樹を行っている。

           白川郷を昨年より3時間早く通過した。吐き気はあったが眠気はなかった。五箇山の登りを走り通し熊谷を抜く。少し前に、小川さんとソンハが見えて、それを抜くと4位だったが、その誘惑を絶ち深追いは止めた。
           約5キロの長い五箇山トンネルを抜けると既に明るくなり始ていた。帳がまだ降りる富山平野には、雲海が棚引いていた。長い下りもいいペースで走れている、自分でも驚くべく出来だった。でもまだ先は長い。


           コラム 4

           荘川桜に出会った昭和36年に父 仁助68才が死亡[良二31才]  昭和41年 苗造りがうまくいかなかったがやっと植樹ができる。  昭和45年 体に変調。がんが見つかる。 昭和47年 ごかん山から福光の植樹。  昭和48年 名古屋城に1000本目、福光から兼六園 、1500本目を植樹。  昭和49年 岐阜から名古屋。  昭和51年 入院。  昭和52年 死去47歳。

           長い坂を下ったcp42の大鋸屋エイドではホクホクおでんとたこ焼きが美味かった。残り38km、前の5人がまったく見えない位離れてしまった。
           cp47残り10.8kmで、左太ももが肉離れを起こし、その左足を引きずりながら歩いていると鳥山さんに抜かれてしまった。思い切り痛む足で早歩きをひたすら続けた。そして何度、後ろを振り返ったことか。辛くて、痛くて、途方に暮れる道のりだった。
           残り3kmの最後のエイドでは、後ろとは30分以上離れているらしいので長居をする事にし、たらふく苺をほお張っていた。後日の地元新聞に僕の長居していた時の姿が載っていた。「ホット一息するランナー」がタイトルだった。
           信号待ちのたびに肉離れした太ももをさすった。やっと辿り着いた兼六園の桜並木では、「やったーっ」と声を上げ、両手を拡げながらながら走りきった。そしてゴールの佐藤桜に抱きついた。28時間13分だった。



           小さな一歩の繰り返しが250kmに達した。日本地図に大きな足跡である線を引いてみた。その線が名金線であるさくら道だった。人それぞれの250km。ラストランナー越田さんは、走れなかったパシーの写真を胸のゼッケンに縫いつけ共にゴールした。そして皆で桜を植えた。

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