初めての超長距離ラン 1999・5・2−4

 山口100萩往還マラニック A250km 


 羽田から山口宇部まで飛行機に乗ってきた。そこから山口市まではバスに乗った。その車中で今回で5度目の参加、渡辺頼正さん(57歳)出会った。1勝3敗、色々教えてもらって助かった。毎回、奥さんがエイドボランティアで参加している。すっかり仲良くなり、各エイドでもお世話になり、写真を随分撮ってもらった

 
 スタート前にはまだ時間があったので、10分ほど歩いてザビエル聖堂に行ってみることにした。3時からの説明会の後身体を休めたかったのだが、ビールを飲んでも不安と恐怖とで興奮してしまい、かえって休まらなそうだったから向かったのだ。教会では結婚式が行われていた。花嫁の父が道行く人に花を手渡していた。「どうぞ祝ってください」その最後の花を僕が受け取った。「全部なくなったぞ」と喜ぶ姿が印象に残った。心和らぐひと時に触れる事ができた。 僕は昔フランシスコ・ザビエルに似ていると言われた事があった。今はどうだろうか。
 
 18時 エイエイオー。このコースの考案者である小野幹夫さんの掛け声で、いよいよ250キロの部がゆっくりスタートした。実力の無い順に50人のグループが5グループに分かれた。僕は無難の第2グループから走り出した。48時間の制限時間でゴールしなければならない。勿論休んだり、食べたり、用足しの時間も含まれる。
 
 スタートして暫くの山口市内は一列で走行し、街の人の邪魔にならない様に走行しなければならない。信号では当然止まれだ。今まで出場してきたレースとは大分おもむきが違い、のんびりしていた。距離がかなり長いから、始めから気負っていては先が持たない、走り出してからも和気あいあいっだった。快晴無風、やがて一級河川のかつら野川サイクリングロードに出た。新緑の清々しい季節を迎えていた。草陰には早くも夏虫が涼しげに囁いていた。早くもこれから250キロに及ぶ長旅の期待で一杯だった。僕は三重県からのベテラン、木下良三さん(57歳)とこの萩往還について色々話を聞きながら、1キロ7分のペースでゆっくり小郡へ下った。



 13・4キロの上郷駅エイド(補給所)を通過する頃、とっぷり日も大分暮れてきた。ヘッドライトを付け、背中のリュックには赤い点滅ライトを点した。アンパンとバナナとクッキーとレモンをかじり、ウーロン茶を飲んだ。ここから秋吉台への登りが続く。暗い中、赤い点滅する光の列が何処までもゆらゆら連なっている。山口は源氏ボタルが有名だが、それを思わせる幻想的な世界だ。
 
 27・6キロの下郷エイド、21時30分。きっとこの一帯には秋吉台のカルスト台地が拡がってるのだろうが、暗くて何も見えない。そのうち明るい月が顔を出した。僕達を照らしてくれる。満月に近い月だった。ライトのスイッチを切った。蛙が大合唱する中、ウシガエルみたいに僕の腹がグーグー鳴り出した。番犬がけたたましく吠え立ててくる。「決して怪しい者ではありませんから」

 43・9キロの西村交差点エイド、地元の若い女性が大勢ボランティアをしていた。僕はモテモテだった。平均年齢50歳くらいの萩往還では、まだまだ僕jは若い方なのだろう「ゴールしたら誰とお付き合いしようかなぁ」と冗談が言えるくらい気分も体調もよかった。ここから石柱渓への山道に入る。国の天然記念物である渓谷が月明かりでぼんやりと浮かんでいた。立ち止まらず、走り抜けた。森の奥では梟が目を光らせているが、僕の足音だけが森の壁に囲まれたトンネルに響き渡っていた。

 57・4キロのエイド 1時30分 豊田湖の石切亭だ。「ちょっとペースが速過ぎじゃないの」と武石雄二さん(53歳)が話しかけてきた。ギリシャのスパルタスロンにも出た事があるベテランアスリートだ。昨晩泊まった大部屋で知り合ったのだ。いつか僕もスパルタに行きたいなぁとその時思った。
 武石さん他3人に暫く着いて行くが、左足の靭帯が痛み出し一人になる。静まり返った俵山温泉街をずるずる足を引きずって通過した。千年の歴史ある霊泉なのだそうだ。
 街中のエイドで海宝さんが応援してくれていた。アメリカ横断マラソンを2回も完走してるスーパーランナーだ。曲がらない足をやっと曲げ、エイド前の沿道に腰を下ろし、スタミナドリンクを頂いた。
 砂利ヶ峠を越え、18キロをダラダラ下ると海に出る。「パァーン」乾いた音が夜明け前の油谷湾に鳴り響く。一番電車の明かりが右前方を下関へ向かって流れていった。前にも、後ろにも人影はない。先はまだまだ長い、不安はあった。自分を信じて走り続けた。やがて空が白み出した頃、海勇食堂に辿り着く。

 86・2キロ 5時40分、入れ違いに武石さんが出てきた。僕は鮭定食を食べ、外に出ると木下さんがやってきた。かなりしんどそうだった。道を間違えたらしい、ベテランでも間違えることもあるのかと急に不安になった。
 店を出ると、外はすっかり明るくなっていた。ストレッチを充分にして再び走り出す。のどかな漁村の風景が続いた。俵島のチェックポイントへは大変な登りだった。「おはよう」折り返してくるランナーが挨拶する。その中に佐田富美江さんの姿があった。女子のトップだ。スタート前夜、ウルトラセミナーが開かれた時の講師が佐田さん(37歳)だった。彼女も昨年スパルタを完走したそうだ。そんな凄いランナーの心のこもった話と資料で勇気を沢山もらった。
 風光明媚な断崖に本州最西端の碑があった。ここも天然記念物の名勝地だ。僕も折り返し、次なる名勝ポイント川尻岬無へ向かった。
 
 107・2キロ 沖田食堂 8時40分。着替えとテーピングをしマッサージクリームをぬった。雲一つ無い快晴、暑くなりそうだ。若者達が早くもバーベキューをしていた。ビールを上手そうに飲んでいる。カレーライスとカルピスで我慢だ、我慢!
 再び一人旅が始まる。113キロのクーラーの利いたレストランシーブリーズでは冷たいグレープフルーツジュースを飲む。暑さでぐったりした身体を奮い立たせ先を目指した。
 
 117・2キロの立石観音には日本の大きな奇岩がそびえていた。僕にとって117キロから先は未知の世界だった。前の富士五湖117キロが最長だ。まだ半分も来ていないのに気持ちも身体も限界である。しかしまだ1キロか2キロ走れそうだ。走ってみようか。心の中で繰り返すと何とか行けそうだった。125キロの千畳敷までの330mの登りも下りも歩いた。頂上は風が強く、大きな風車が動いていた。ここからこれから向かう青海島150キロと萩200キロが遠くに霞んで見えていた。何も考えたくは無かった。

 黄波戸漁港。下りは歩きとおした。走るランナーを横目にトボトボ歩いた。時間の貯金は欲しかったし、下りだから走る気になればまだ走れた。しかしウルトラセミナーの教えによると、ここの下りを酷使してしまうと、後半持たなくなるというなだ。歩いた方が完走には近いと教えられた。
 雲が広がってきた。大型の低気圧が近づいてきたのだ。仙崎はかまぼこと金子みすずで有名だがそれど頃ではない。青海島に入る交差点にザックを置いて身軽になり、片道10キロの鯨墓と言うチェックポイントに急いだ。海上アルプスといわれてる風光明媚で激しい道だった。70歩走って30歩く、これを機会に「サトウ走法」と名づけてそれを繰り返した。どうしても完走したい、ただそれだけを思った。
 寂しい鯨墓を折り返し、157キロ、静か浦キャンプ場でカレーを頼んだところ、そこに木下さんとウルトラの女王と言われる鈴木隆子さん(57歳)がやってきた。二人共食欲が無く、少し分けてもらった。まだまだ胃は元気だった。胃液を吐くランナーにくらべたら頑張らねば。いよいよ6時、走り出して24時間が過ぎようとしていた。

 ビールで乾杯するリタイアしてしまったランナー達を振り切り、外に出ると雨が降り出してきた。仙崎に着くころ渡辺さんがニコニコ手を振りながらやってくる。どうやらラストランナーの様だ。「おーっ 佐藤君良い感じだねーッ」。ぼくも笑顔で手を振った。そして小さくなる後ろ姿を見ながら、これからの事を思ったら涙がこぼれて来た。「きっと 完走してください」と祈った。
 釣具店で雨具を買った。そして2kgの荷物を背負い、黄昏る国道を走り出した。なんとなく集り出した5人で、次の宗頭文化センターエイドを目指した。柴犬がトボトボ付いてくる。大雨の中蛙の鳴き声がさらに大きくなる。「ピーピー チリチリリン 」と虫みたいに鳴く蛙もいた。サトウ走法を犬と共に繰り返した。それにしても長い。センターには飯に風呂がある。それを楽しみにのろのろ雨の中を進んだ。
 175キロ、21時20分 宗頭文化センターに着いた。犬もここまで付いてきて、中に入って休んだ。「迷犬(萩)ハギー」と名づけた。渡辺さんの奥さんが出迎えてくれた。「頼正さんは元気に走ってましたよ」と伝えた。またそう願った。
 おにぎりを3ついただき横になる場所を探した。1階にいる人達は皆グッタリしながらも、豆の手当てなどをしながら前進する準備をしていた。さながら戦時中の野戦病院を彷彿させる有様だった。2階ではその殆どがリタイア者だった。収容バスで送り込まれた疲労困憊したランナー達は、まるで死体置き場の様に、大広間で静かに横たわっていた。その中にもぐりこんだ。しかし膝や腰が痛くて中々寝付かれない。豆の処置をしてからトイレに行き大便。真っ黒い墨みたいな物がぽろぽろ出てきた。可なり内臓がやられてるなと思った。玄関に降りるとかなり冷え込んでいた。そこへ木下さんが来てリタイアを決意した。

 0時、勇気を出して走り出した。鎖峠へは細い山道が続く。野犬か山賊でも出てきそうな山奥の一本路、女性ランナーは心細いに違いない。そんな心細いランナーがいつの間にか集り、10人の集団になっていた。
 三見駅から玉江駅の道のりは更に細く、くねくね曲がりくねって、一人では到底走る事ができない。完走経験者の田中さん(57歳)を取り巻き、誰一人ばらけることなくフラフラヨロヨロ走り続けた。寝不足に疲労、身体中が悲鳴を上げていた。幻覚がちらつく。走りながら夢も見た。皆で声を掛け合いながら、萩を目指しペースを合わせた。早く夜が明けて欲しかった。「はら減ったよーっ」。

 195キロの玉江駅、午前3時30分。萩の街に入った。台風並みの強風が吹き、レインコートが真っ二つに切り裂かれてしまった。此処から遠く笠山まで12キロを往復しなければならない。安心したのだろう、その間に10人はバラけてしまった。
 笠山は世界で二番目に小さい活火山だ。周囲10キロの中に、約25000本に及ぶやぶ椿が群生する。走っても、走っても変わらぬ椿のトンネルにうんざりした。
 田中さんに追いついた。まだまだ安定した走りは魅力的だった。彼は完走した事もあるし、付いていければ何とかなりそうだと思った。一緒に笠山の虎ヶ崎食堂でおにぎりを食べて、5分の仮眠をした後東光寺を目指した。5分の仮眠が効を奏し、すがすがしく走り出す事ができた。やがて雨も上がり、明るくなってきた。田中さんに往還道の明木市230キロまで着いていけた。

 215キロの東光寺、8時。500の石灯篭のある、萩を代表する寺である。母方の父、祖父の遠い先祖が山内首藤だ。そして祖母の先祖が毛利家の重臣で、この東光寺ともゆかりが深いと聞いている。朝がまだ早く、山門は閉ざされていたが、このめぐり合わせにご加護を感じ、深く一礼をし、走り出した。
 再び雨が降り出す。しっとりとした土塀やお堀が見事な町並みだ。

 223キロからいよいよ往還道に入る。雨の降りしきる往還道は、石畳と泥道が25キロも続く
ハイキングコースだ。足に力が入らない、歩くと眠くて倒れそうだった。明るいのに幻覚がみえる。そんな時に、ゴールの山口側から140キロを始め、70キロや35キロのランの部に続き、60キロと35キロの歩け歩けの部、総勢1000人が次から次に萩を目指してやってきた。この人達が220キロ走ってきた僕らを盛り上げてくれている。「おめでとー」「やったねー」「もう少しー」「まぶしー」「かっこいー」「かみさま ほとけさまー」その声援に眠気が吹っ飛んだ。目頭が熱くなった。声を搾り出し「ありがとう」と返した。140キロも70キロも大変なはずなのに本当にありがたかった。250キロはとんでもなく凄い事なのだと改めて思った。もう直ぐ終わろうとしている。
 皆からもらったパワーを頂き、再び走り出した。こんな脚力がまだ残っていたのかと自分の底力に驚いた。ウルトラセミナーで歴代完走者達が言っていた。「この250キロは往還道を走ってみないと良さが解らない」。意味が良く解った。ここまで走れてよかった。痛みを噛み締め、疲労を噛み締め、幸せを噛み締め、一歩一歩を味わい、走った。

 244キロ、コースの最高所560mの板堂峠を越えると下りの舗装道路にでた。もう直ぐゴールの瑠璃光寺だ。まだ見ぬシンボルの五重塔を目指した。
 気が緩んだのか、色々な事が思い出され、涙がこぼれ出してきた。川尻岬の暑く長い登り下り。千畳敷の長い坂と強風。眠くてフラフラの鎖峠。遠く単調な道が続く笠山の虎ヶ崎。大声援をいただいた泥と石畳が続く歴史の道
、往還道。気力も体力も100%搾り出し、豆の畑となってしまった足の裏の痛み、膝や腰の痛みを堪えて懸命に走ってきたんだ。
 
 20分前に田中さんがゴールしていた。「おーい さとうー なにやってんだー」雨の、中傘をさしながら迎えに来てくれた。声も上ずり「走りましたよ」と答えたら大量の涙が溢れてきた。
 250mほどの緩やかな登り坂の先に、僕のためのゴールテープが張られ、その周りには懐かしい顔ぶれが待っていた。なんとも言えない幸せ一杯のゴール。45時間33分39秒、48番目だった。木下さんが「雨でよかったね」僕も皆も、涙でグシャグシャか雨でグシャグシャか見分けが付かない顔だった。

 ポンコツロボットみたいに錆付いた身体を風呂に付けた。足の裏は思わず目を背けたくなるような豆豆豆だった。少し浴槽の中で眠くてウトッとしたら溺れそうになった。あっと言う間に2時間が過ぎていた。もう直ぐ48時間だなぁ、と外に出てみると、ラストランナーが必死にゴールを目指していた。「あーっ 渡辺さんだっ」嬉しさと驚きで言葉にならない事を叫んだ。奥さんもほっとしてるだろうと。「人間って、凄いんだ。」。

 249人で92人が完走、完踏した。このドラマチックなコースを考案した小野さんや、ボランティアの方々、暖かく応援をしてくれた山口の人達、他の部のランナー達、共に250キロを目指した仲間達、
 そして、何よりも250km頑張った二本の足に感謝します。上半身より。


 予想タイム            実測タイム
21時30分   下郷       21時30分
1時30分    豊田湖      1時00分
6時00分    海勇       5時40分
7時30分    俵島       7時10分
10時00分   川尻       8時20分
11時00分   シーブリーズ   10時00分
13時00分   千畳敷      12時30分
19時30分   静か浦      18時00分
23時00分   宗頭       21時20分
00時      宗頭 出発   00時
6時00分    笠山       6時30分
9時00分    往還道入口    9時00分
14時00分   瑠璃光寺     15時33分


 
 「何故走るのか」と問われる。 「何故生きるのか」と同じだ、と答えた。 何故と考え、それに対して、チャレンジし続けることが大切な気がする。 
 頭の中だけで結果を出せば何も出来なくなる気がする。 そこに志を加え、それ相応の心と身体の準備をしたならかなりの事が出来る気がする。 だから心に限界を作ってしまわないことが大事だと思う。

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       2003 山口100萩往還マラニック 5月2日−4日

     5年連続の萩往還、また来てしまった。2週間前に宮古島トライアスロンが終わったばかりでの無謀な挑戦である。スパルタも萩も完走率は40%、でも制限時間が48時間で12時間スパルタより長い、風光明媚なコースはいいが走れるわけ無いだろうという所が多いのだ。大会名にもある100の意味は(100%気力・体力・能力を搾り出さないと完踏できない)と言う意味だ。今回も弱い自分と何度も対面することになる。
     
     スタート前、説明会場の山口県警武道館には一年振りの懐かしい面々がいて、ホッとする。1999年に初めて出場した時に、萩の攻略方法を一つ一つ丁寧に教えてくださった渡辺御夫妻にご挨拶。その体験談は僕がしっかり後輩に伝えている。
     18時、瑠璃光寺を50人づつが5分おきにスタート、250人が5つに分かれた。僕は最後のグループでのんびりスタート、気がつけばエリートばかり、スパルタでは2001年覇者の大滝さん、1998 2位の小野木さん、2002 4位の森下さんは萩3連覇中、1993萩1位の深川さんなどである。萩に居ながらスパルタの話題になり、さらにアメリカ大陸横断マラソンの話題へ拡がり、ワイワイガヤガヤなんとなく走り出した。
     13km、上郷駅で暗くなりヘッドライトを灯し、秋吉台に向かって上りがつづく。赤いバックライトの点滅が暗闇の中をゆらゆらと続いていた。
     22km、二本松峠の水田では蛙の大合唱である。これを聴くと萩に来ているんだなと実感する。その間もサハラの横山さんや、スパルタの今井さん、岡崎さん、鈴木さんなどと、話し合手が変わっていく。
     50km、「ホーッ ホーッ」国の天然記念物の石柱渓の奥からフクロウのお出迎えである。長い豊田湖への下りで宮古島で痛めた左膝が痛み出た。まだ先は長い。痛くなるのはまだ早すぎると宥めながら走る。(58km 12時45分 101位 )石切亭に着いた。はら減ったぞー。おにぎりとうどんが食べられる。


     砂利ヶ峠を越え、大坊ダムエイドの嬉しいトン汁を食べて一息入れ、油谷へ下る。激しく揺れたせいか、ライトが突然消えてしまう。無灯で走っている所に西村さんに声を掛けけられた。予備のライトを借りした。大感謝である。昨年は72kの俵温泉で予備の電池をあげたことがあった、やってあげたり、やってもらったりの萩往還である。
     油谷湾の明かりが見えてきた。「パーン」。毎度聞く一番電車の音が響き渡り、光の列が流れていった。
     俵島94k、快晴無風、明るくなってきた。俵島は千枚棚の田んぼが有名でその一番先は本州最西端、そこを折り返した。杉山さんがニコニコしながらやってきた。彼はいつも行く新百合ヶ丘駅前の銀行でガードマンをしている。はじめて会った2年前はハーフやフルを走る一般市民ランナーだったが、いつもマラソン話になった。その後彼は100kや山岳マラソンに手を出して、遂に250kの萩に来たのだ。是非完踏してほしい!川尻岬、沖田食堂107k 7時30分 80位



     カレーライスの大盛りを食べ、満足する。立石観音や龍宮の、潮吹き、津黄峠と名所めぐりを初参加の二人に説明をしながら上り下りを繰り返した。その一番高い千畳敷330mを登ると、遥か遠くこれから向かう海上アルプスとも言われている青海島、更に遠くぼんやり萩の山が見えていた。80k先、愕然とする。



     長門の村人に何故走るのか聞かれた。「走りたいから!」と答えてみたが、痛々しい走りにその説得力はなかった。前のランナーは「走る理由は分からない」と答えたらしい。
     仙崎はかまぼこが有名だ。何処が一番うまいのかな、とフラフラしていたら一台の自転車がスッと止まった。大塚さんだ。彼とは昨年のスパルタで同部屋だった。亀井さん、岡部さん、大塚さんと僕の4人だった。4人共完走した。あの時は楽しかったねと話が弾んだ。来週行われるアイアンマン ジャパン トライアスロンの練習がてら佐賀から応援に来てくれたのだ、元気をいっぱいもらい青海島の先の鯨墓を目指した。鯨墓にはいつも同じ女性がチェックしてくれている。去年は大きなお腹を抱えていたが、今年も第二子を抱えていた、「どうぞ」とそのお腹に触れる。250kを走る皆の「気」をお腹に送るのだそうだ。「気」のお礼に飴玉を頂いた。来年を楽しみに別れを告げた。
     折り返すと知った顔がやってくる。田中さん、森塚さん、杉山さん、まだリタイヤしていない、お互い満面の笑顔で飛び跳ねて挨拶する。そんな姿を見ると前に足を運べる。暗くなるころやっとやっと食事ができ、風呂と仮眠所のある宗頭文化センターに到着。 (175k 19時20分 60位)

     ここは誘惑ポイント、リタイヤした人達が風呂にも入りビールを片手に宴会をしているのだ。少し仮眠したいがやかましくて1時間横になり外に出た。6度、かなりひんやりしてきた。杉山さんが入れ替わりにやって来た。ここからは道が分かりにくい、そして睡魔が襲ってくる、ベテランが集団を引きつれ萩まで連れて行く事が多いが、あえて初めて一人の力で乗り越えてみたかった。
     暗闇の中、気をしっかり持って幻覚ポイントへ。車も来ない。家も無い。人は居るはずが無い。細くて寂しい道、鎖峠、別名くされ峠だ。夜の大自然に押し潰されそうになりながらライトの光を先へ先へと延ばした。体が大きく揺れだす二晩目の夜。樹の幹や葉っぱが人の顔に見え語りかけてくる。時より動物の気配に目を覚ます。
     三見駅からは道が分かりにくいし、眠くて仕方が無い。やはり一人だと何倍も堪える。夜中の2時、話し声、母と娘が手を繫いでる。「おかしい」。近ずくと、それが踏み切りだと気がついてホッとする。幻覚と幻聴との戦いが続いた。日本海に出た。岩を叩きつける波の音、街の明かりが見えた。ジャングルから生還した。そんな心境だった。
     萩の玉江駅 194k 12時30分だった。30分ストーブの温もりに誘われて深い眠りについた。いい気持ちだった。自宅で暖かな布団の中で昼ねをしている夢だった。
     4日、1時。体が動かない。やる気もなくなっていた。萩を甘く見ていた、決意がかけていた。これではいけない! 外へ出なければいけない! 人気の無い萩の街をもがきながら早歩き。「はら減ったー、」「長いぞー、」「遠すぎだー」と文句を言いながら笠山を目指した。
     207k 2時50分、虎が崎食堂でおにぎりを食べる。また30分仮眠、やはり昼寝をしている夢だった。幸せな夢、目を覚まし、現実を知り愕然とした。同時に自分の情けなさに腹が立つ。
     東光寺。遥か昔、僕の先祖はここの僧侶だったそうだ。門前で手を合わせてきた。やがて明るくなり、毛利の時代から残る歴史の道、萩往還道の険しい山道へと向かう。(223k 9時 16位)

     この大会には250キロのほかに、140、70、35のマラニックと60,35のハイキングの部がある。約1000人が瑠璃光寺から往還道を通りこっちに向かってくる。5回目となると知った顔もある。今回は、間カンペイさんの姿もあった。
     「はいっ 250が来ます、道を空けて!」「さすが佐藤さんパチパチパチ」「おかえりなさい」「すごいね もすぐです」拝んでくれたりもした。だれた体が英雄の様にシャキッとするし、嬉しくてウルウルである。ここまで来れて本当によかった。それに対して笑顔で応えてみるが、今にも泣き出しそうだった。
     歓迎してくれる人も居なくなると、再び幻覚が見えだしふらふらしていた。後続の人にも抜かれ、見送りそうになった。頑張ってそれに付いて行く。人と人が力を合わせると、凄いと思った。二人のペースが上がる。一人ではしんどい、しかし付いて行く必要があった。何とか付いていけなければならなかった。暫くは頑張れた。次第に離れる。足がマメだらけになっていた。佐々並豆腐エイドでマメの治療に1時間もかかってしまった。石畳を避けるように歩き続けた。残り6k、天花畑に深川君の姿、遅くなってごめんと誰かに電話をしていた。ゴールでは彼女が待っていて、プロポーズをするのだと言う。250キロを走りぬく自己表現なのだ。「おめでとう」もうすぐゴールインだ。彼を残し最後の僅かな力を搾り出してラストスパートのつもりで「いててっいててっ」と言いながらサイドステップみたいに走り出した。
     そして瑠璃光寺のゴール。 43時間30分41秒 41位 僕の後ろから深川君が二人で無事にゴールインした。



     長い長い、本当に長い萩が終わった。弱い自分と、諦めなかった自分がいた。何故走るのか?ここまで長いともはや健康のためではない。「何故生きるのか」の問いと同じで、答えは難しいが、何故走るのかと考え続け、挑戦してみたいと思う事に意義があるように思えた。日本人初のスパルタ完走者西村正和さんはこんな事をいっている、「人間の限界は体がつくるものではなく、心がつくるものだということ。人間はそれ相応に準備さえすればかなりのことができる。だから自分の心で限界をつくってしまわないことだ」。人生でももういいやと思わず希望を持ち続ける。その向こうには想像以上の嬉しい事が待っていてくれる。

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      NHKおはよう日本に出演

      動画 YouTube     (2013 LA ULTRA THE HIGH 222km at RYOICHI SATO)            2013年、8月3日

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