2018・3・24 Trail Running Nepal Stupa to Stupa 54.8km

 

 

 

 

  3・23

 レースの受付は、今日の19時までだ。カトマンズまでバスの所要時間は6時間から7時間とあったが、たぶん9時間を考えた方がいいだろう。8時発のカトマンズ行きのバスに乗れば間に会うはずだ。バスは約1時間遅れてやってきた。18時くらいに到着してくれれば大丈夫だ。

  時刻は15時。バスは順調に走り、最後の休憩をしているところだった。カトマンズまで30km余りだ。受付が終わるのが19時だったから大丈夫、時速10kmで走っても間に合う時間だ。

 しかしカトマンズ盆地への登り口からは、毎度の大渋滞となる。積載量を大幅に超えるトラックが黒煙を吐きながら、今にも止まってしまいそうな速度で九十九折れ道を登っている。狭い道を、対向車に気を付けながらバスがトラックを追い越すが、数メートル先に次の黒煙を吐くノロノロトラックが現れてしまうのだ。峠までの10kmを90分費やし、そこからカトマンズへの降りも混雑が続いている。何年も前から続いている工事は、まだ終わりそうもない様子だ。道はガタガタで、埃だらけだった。バスの揺れと共に、首振り人形みたいに体中をシェイクしながら進んだ。

「今日はここまで」

 18時30分。バスはタメルには行かず、タクシー乗り場で突然止まった。みんなタクシーに次々と吸いこまれていった。僕も乗るつもりだった。受付までの残り時間が少なくなっていたからだ。

「タメルまでいくら?」

「500円だ」

「ふざけんなよ、タメルはここを登った所だぞ」

「450円にする」

「300円だ」

「400円だ」

「300円だ」

「みんな450円でも乗ってるぞ」

 無駄な時間だった。歩き出した。

「タメルまでは歩いて1時間だぞ、遠いぞ、お前は馬鹿か!」

「お前こそ馬鹿だ」

 

 受付の会場に着いた。たったの1km、10分で歩いた。リチャードはいなかったが、リジーが受付をしてくれた。僕のエントリー代がフリーとなっていたが、65ユーロを支払せてもらうことにした。

 

高級バス

世界最強のウルトラランナー

 

 3・24

 スタートのStupa(寺)のボーダナートには、スタートの1時間前に着けた。タメルのホテルからタクシーで4kmの距離は270円だった。本当は300円で交渉していたのだが、1000円札はあったが、細かいお金が270円しかなかった。釣銭がなかったみたいで、それでいいよ、ということになったのだ。これもネパールだ。

 

 着いたはいいが、誰一人いなかった。本当にここでいいのか、大会は今日なのか、スタート時間が違うのか不安になった。何度も調べてみたけど、間違いなさそうだ。集合5時から、スタート6時だった。

 

 スタート40分前。フランスからのランナーが現れた。お腹を壊してしまい辛いという彼女も、僕一人だったから不安がっている。

 スタート30分前。空が薄明してきた。その中を、祈りを捧げにネパール人が次々に登ってくる。

 スタート20分前。驚いたことに、ネパール人ランナーがいつの間にか10人ほどやってきていた。

 スタート15分前。リジーがレース旗を持ってやってきた。

 スタート10分前。リチャードや、速そうな白人ランナーたちがやってきた。

「リョウイチ、来てくれてありがとう。あそこの祈りのお茶を飲んできてよ、無料だから」

 リチャードが言う。それがとんでもなく苦い薬草茶だった。

 スタート5分前。大会の説明が始まった。その間にも、ランナーが集まってくる。

 スタート時間。記念撮影と、選手の紹介。僕も招待選手として紹介してもらう。

「爺さんだから、ゆっくり走りますからよろしく」

 スタート予定の8分後にスタート。参道の狭い階段を降りだした。ぼくは一番最後から走り出す。そうすれば頑張らない覚悟ができるからだった。でも、本当に最後の一人になってしまいそうだったから、頑張りだした。

スタート

PC 1 ( 5・8km) 、600mを登った。55分

700段の階段 25kmあたり

ゴールのボーダナート

 

CP 1、5・7km。藪漕ぎをしながら、見上げる道を登り続けた。  コース上にはピンクのリボンが20m置きくらいに枝などについてた。何度か見失うが、探せば見つかるから問題ない。

 

CP 2、20・4km。誰もいない長い林道だった。そして、景色が変わらない緩やかな降りだ。草陰で大便を出している間に、長身のヨーロッパ人、白シャツのネパーリー、青シャツのネパーリー、黒シャツのネパーリー、黄色シャツの女の子に抜かれた。

 落葉の下に隠れる石に躓くことから脱出したいと思っていた。青シャツを抜くと、悪戦苦闘していた唯一の日本人ランナー岩里くんに追い付いた。彼は世界中のトレイルレースに参戦中だ。

 

CP 3、31・8km。世界で活躍する女子ネパールランナーのミラが、この先から700段の階段があるから、と言われたが信じられなかった。白シャツをその階段で抜いたが、本当に長い階段だった。

 幾つかの小川を渡り、林道にでると山羊の群れに道が塞がれてしまった。白シャツに抜かれる。少し進むと白シャツが気持ちよさそうに昼寝をいていた。

 

CP 4、45・4km.白シャツに抜かれるが、追い付いた。トップグループから離脱してしまった2人と話をしながら散歩していた。森の中のトレイルを何となく走っていたら、白シャツが追い付いてきた。

「一度も止まらず、すごいね」

「年だから、ゆっくりだよ、でも休まずだから」

「ひと眠りしてから行くよ」

 34kmの部のランナーが現れだした。

「このコース、凄く綺麗ね、幸せだわ」

 君たち、辛そうに見えるけど。

 

CP 5、51・5km。最後の登りだった。白シャツに抜かれた。

「だいじょうぶ?」

 ここまでの間で、飲み水の配分が合わなくなってしまい、脱水を起こしてしまい、呼吸が荒くなっていた。降りで、もたもたしているうちに白シャツが先に行ってしまった。

 タルチョーの森、グリーンタラを降った。

 視界が効きにくくなってしまったと言うフランス老人を少しだけ引っ張った。

 イタリアの女性と、イギリスの男性に抜かれる。

 森を抜けると見たことのある街に出た。ラムさんの家がある街のようだ。脱水していたから歩いたり走ったりした。でも知っている道だったから安心して走れる。

 人や車をかき分けるように走るとスワヤンブナートが見えてきた。そこを時計回りをするとゴールがある・・・?  行き過ぎてしまったようだ。もう一度回ってゴールとなった。

   8:40:32 (114人中、40位)

 

 休憩所がボーダナートの見えるテラスにあった。抜いたり抜かれたりした話をしながらくつろいでいた。表彰式が始まった。この大会は賞金と、モンブランのトレイルレースに出る為のポイントがもらえる。賞金は優勝者が40000円だった。ネパールのブッダ選手だ受け取った。後日、彼はその賞金を大会側に寄付をしたのだった。

 

 その夜は、日本人ランナーの岩里くんと、例の桃太郎で飲み食いした。この後、インドを経由してキルギスのレースに向かうそうだ。

 

 3・25

 リジーによるGHT(グレート・ヒマラヤ・トレイル)の説明会が、タメルのロッククライミング学校で行われた。僕は来年、ここを歩く予定にしてる。リジーが辿ったGHTを、英語だったが逃さないようにして、画像を見ながら聞いていた。でも、この会の本当の理由は違った。新しい靴もウェアー買えない、将来性のある恵まれないネパール女子ランナーの為のドネーションを集めることにあった。彼女たちの実力は世界レベルだった。それを育ててきたのが他ならぬリジー・ハウワーだったのだ。ネパールでスポーツと言えばクリケットにバトミントンだ。ランニングスポーツは貧乏人がするスポーツだとみなされてきた。しかし、リジーが育てたミラ・ライという女の子がモンブランで4位になり、その後も海外のトレイルレースで活躍するようになったのだった。海外の雑誌でも紹介されるようになったミラ・ライは、ネパールでも名が知られるようになり、リチャードとリジーの働きかけもあって、今ではこうして大会も沢山企画出来るようになったのだ。

 最後に、ミラを始め、1足のランニングシューズすら買えなかったカーストの低いところから、世界を舞台に活躍できるようになった女子ランナーが一人一人が感謝の挨拶をしてくれた。昨日のレースに参加していた多くのランナーがここに集まっていた。そして、その場でネットから振り込んでいた。僕も後で寄付するつもりだった。驚いたことに、昨日優勝したブッダ選手が、賞金をそのまま寄付をした。リチャードとリジーの教育の賜物だと思うが、感心してしまった。

 解散となった時、リチャードが今回のエントリー代をリョウイチは招待だったからと返しにやってきた。ぼくは、そのお金+気持ちを寄付することにした。

 

 3・26

 夕方、ウプレティー美樹さんと食事した。今回は、ポカラでもあっていたが、落ち着いて話すことができた。美樹さんとは、2010年のアンナプルナ100劼能蕕瓩堂颪辰拭その時は、世界の石川弘樹さんと一緒だった。その後交流が始まり、北インドのレースを紹介された。そして完走出来た。しかし、それだけではない。その頃の美樹さんの仕事がNHKネパール特派員だった。美樹さんがNHKのアジア支局に連絡をして、日本人の男性で、障害を持ったランナーが北インドで行われる「La Ultra The High222km」を、日本人としては初めて挑戦すると連絡してくれたのだ。その取材を受ける事になり、日本で放映されることになったのだ。その美樹さんと、これからのネパール、これからの日本、これからの自身の生き方、など沢山話した。

 

 

 

 

帰りの飛行機の乗客の殆どがネパール人だった。みんな初めて飛行機に乗るみたいで、やたらに騒がしい。会話の中に「和民」が多く聞かれた。どうやら日本の居酒屋チェーンの「和民」に働きに行くネパール人たちだったのだ。隣のカップルは幼馴染なのだそうだ。しかし、男は新潟、女は福岡に向かうそうだ。なんだか色々考えさせる。

 

 

 とにかく、今回のネパールの旅は有意義だった。旅は色々な縁と出合いに満ちている。

 


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    NHKおはよう日本に出演

    動画 YouTube     (2013 LA ULTRA THE HIGH 222km at RYOICHI SATO)            2013年、8月3日

    著書 「なぜ走る」 佐藤良一

    購入先 http://docue.net/archives/event/ nazehashiru_shop

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